【読書】会話を哲学する②
こんにちは!エルザスです。
前回に引き続き、『会話を哲学する』の読書感想文を書いていきます。
マンガの中で交わされる会話を題材に、コミュニケーションの本質を考えていく本です。
前回の記事はこちら↓
会話を哲学する②
伝わらないとわかっていても
普通、コミュニケーションには話し手と聞き手がいますよね?
ところが、マンガにはしばしば聞き手が不在の発言が現れます。でも、単なる独り言ではなく、やはりコミュニケーションだと思える発言です。
典型的なのが「死者への語りかけ」です。
もうこの世にいない人に対して、墓前で自分の決意を語るシーン、多いですよね。
しかもそういう場面は割と名シーンが多い。
「コミュニケーションは話し手から聞き手への情報伝達である」という理解でいると、このシーンはなんとも不可解です。聞き手はこの世にはいないのでそもそもコミュニケーションは成立しないはず。
でも、我々はそれをコミュニケーションとして受け入れている。なぜでしょうか?
ここでも、前回ご紹介した「コミュニケーションとは【約束事】を形成する行為だ」という考え方が役に立ちます。
まだちょっと抽象的でわかりにくいと思います。さっさと具体例を見てみましょう。
「死者への語りかけ」の具体例として紹介されているのが、傑作として名高い『めぞん一刻』です。
『めぞん一刻』/高橋留美子
有名な作品ですがあらすじをご紹介します。
またもガッツリと本書を引用させてもらいます。
あなたはもう響子さんの心の一部なんだ……
初めて会った日から響子さんの中に、あなたがいて……
そんな響子さんをおれは好きになった。
だから……
あなたもひっくるめて、響子さんをもらいます。
エルザスが感じたこと 【無上の愛】
名シーン過ぎてもうこれ書いてる時点で涙が溢れてくるんですが、蛇足と承知で私の感じたことを書いていきます。
無上の愛って、こういうことだなと思いました。
愛した相手の、自分以外の人への愛すら慈しめる愛。
愛の中でも特に気高い形の愛だと思います。
それを、響子さん本人に伝えるのではなく、「死者への語りかけ」という特別に誠実な形で演出する。
高橋留美子先生の非凡さが光ります。
何度読んでも本当に感動的なシーンです。
さて、ここまで読んでみると、コミュケーションは死者との間にすら「約束事」を形成できるもののようです。
そうであるならば、死者との間に誠実な約束事をどんどん形成することで、人は善い心を育んでいける気がしました。
生きている人との約束も破ってはならないはずですが、死者との約束は、なぜかより重みがあるもののように感じられる。
コミュケーションは本当に奥深くて、不思議です。
ではまた!