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【読書】会話を哲学する②


こんにちは!エルザスです。


前回に引き続き、『会話を哲学する』の読書感想文を書いていきます。
マンガの中で交わされる会話を題材に、コミュニケーションの本質を考えていく本です。


前回の記事はこちら↓


会話を哲学する②



伝わらないとわかっていても


普通、コミュニケーションには話し手と聞き手がいますよね?

ところが、マンガにはしばしば聞き手が不在の発言が現れます。でも、単なる独り言ではなく、やはりコミュニケーションだと思える発言です。

典型的なのが「死者への語りかけ」です。
もうこの世にいない人に対して、墓前で自分の決意を語るシーン、多いですよね。

しかもそういう場面は割と名シーンが多い。

「コミュニケーションは話し手から聞き手への情報伝達である」という理解でいると、このシーンはなんとも不可解です。聞き手はこの世にはいないのでそもそもコミュニケーションは成立しないはず。
でも、我々はそれをコミュニケーションとして受け入れている。なぜでしょうか?

ここでも、前回ご紹介した「コミュニケーションとは【約束事】を形成する行為だ」という考え方が役に立ちます。

死者への語りかけは、話し手が心の底から誠実に語っている言葉を描く演出として登場します。
なぜそのような誠実さを生じさせるのか。
(中略)
もはやともに約束事を形成することの叶わない相手と、「それでも約束事を形成できたら」という祈りのような想いを見出すことで、説明できるように思います。

本書161Pより


まだちょっと抽象的でわかりにくいと思います。さっさと具体例を見てみましょう。

「死者への語りかけ」の具体例として紹介されているのが、傑作として名高い『めぞん一刻』です。

『めぞん一刻』/高橋留美子

有名な作品ですがあらすじをご紹介します。
またもガッツリと本書を引用させてもらいます。

一刻館という古いアパートを舞台に、そこで暮らす浪人生の五代裕作と住み込み管理人の音無響子の恋愛や、アパートの住民たちとのにぎやかなやり取りが描かれます。
響子さんが既婚者であり、惣一郎さんという夫と死別しているという過去を持っていることが、五代くんとの関係に重大な影響を及ぼしています。

さて、『めぞん一刻』の最終巻、ふたりがこれから結婚しようという段階になってからの話です。響子さんがいまは亡き夫の遺品を広げて涙を流しているのを、五代くんはたまたま見てしまいます。その姿を見て、五代くんは響子さんの心から惣一郎さんが去ることはないのだということを改めて理解します。

その翌日、五代くんはひとり惣一郎さんの墓を訪ね、語りかけます。

本書157Pより



あなたはもう響子さんの心の一部なんだ……

初めて会った日から響子さんの中に、あなたがいて……

そんな響子さんをおれは好きになった。

だから……

あなたもひっくるめて、響子さんをもらいます。


エルザスが感じたこと 【無上の愛】

名シーン過ぎてもうこれ書いてる時点で涙が溢れてくるんですが、蛇足と承知で私の感じたことを書いていきます。

無上の愛って、こういうことだなと思いました。
愛した相手の、自分以外の人への愛すら慈しめる愛


愛の中でも特に気高い形の愛だと思います。

それを、響子さん本人に伝えるのではなく、「死者への語りかけ」という特別に誠実な形で演出する。
高橋留美子先生の非凡さが光ります。
何度読んでも本当に感動的なシーンです。


さて、ここまで読んでみると、コミュケーションは死者との間にすら「約束事」を形成できるもののようです。

そうであるならば、死者との間に誠実な約束事をどんどん形成することで、人は善い心を育んでいける気がしました。

生きている人との約束も破ってはならないはずですが、死者との約束は、なぜかより重みがあるもののように感じられる。
コミュケーションは本当に奥深くて、不思議です。



ではまた!

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