【読書】SFマンガで倫理学/萬屋博喜 その③
こんにちは!エルザスです。
『SFマンガで倫理学』の読書感想文、長引いて3回目になってしまいました。
前回はこちら↓
早速いってみましょう!
SFマンガで倫理学 何が善くて何が悪いのか/萬屋博喜
第6章 文明と未来の倫理(2)
アニメ化もされた『少女終末旅行』を題材に、ニヒリズムの克服について考えていきます。
あらすじはこんな感じです(今更ですがネタバレ注意)。
ようやく到達した最上階で、チトとユーリは自分たちの経験してきた旅にはなんの意味もなく、将来に何の希望もないということを知ります。もはや手持ちの食料も残りわずか。
思わずチトが後悔を口にします。
「ねぇ、私たちこれで正しかったのかな。もっと早くに引き返した方がよかったんじゃないかとか、もっと別な場所に進んだ方がよかったんじゃないかとか……そしたらもっと暖かくて食べ物もある場所に行けたんじゃないかとか……」
「わかんないよ!」
と返すユーリ。
ユーリは続けて、
「どうするのが良かったのかも、どうしてこんな世界に2人っきりなのかも……何もわかんないけど……」
と言い、その場でふたりで横になって夜空を見上げます。そして最後のセリフ。
本書ではこのユーリのセリフを、ニーチェが唱えた「ニヒリズムの克服」と評価しています。
目的達成が空虚でも、誰からも評価され得ないとしても、ただ生きてきたことが最高だった。生きてきたことそれ自体に価値があった。そう思えるのが「ニヒリズムの克服」です。
なぜそんな風に肯定できるのかはわからない。ロジカルな評価ではないかもしれない。
でもなぜか、そう思える。人にそう思わせる力こそが、生命力そのものなのかも。
ナンセンスなものも肯定的にとらえられる。それこそがいわゆるバイタリティなのかも。
私はそんな風に感じました。
この「ニヒリズムの克服」の発想、自分の中に装備できればけっこう最強のマインドセットツールなんじゃないかと思います。
頑張っていても成果がでなかったり、人から評価してもらえなかったりということは現実世界でもしょっちゅう起こります。
それでも、頑張ったこと自体に価値がある。
ビジネス用語で言えば「プロセス評価」の発想こそがニヒリズムの克服ということなのでしょう。
身近な例を考えてみましょう。
noteを投稿してもたいしてスキが伸びなかった。
でも、書いたこと自体が自分にとって最高の体験だった。
うん、そう思える時はある気がする。
そう考えると、私の中にもニヒリズムを克服する力が秘められている気がしてきました。
それに気づかせてくれた本書はやっぱり素晴らしいです。
第7章 人生と価値の倫理
私が一番好きなマンガと言っても過言ではない『火の鳥 未来編』を題材に、永遠に生き続けること、つまり不死が善きものなのかを考えていきます。
私は、火の鳥や鋼の錬金術師、銀河鉄道999を読んでから、「不老や不死なんてろくなもんじゃない」と思っていました。
親しくなった人は必ず先に亡くなっていき、自分は取り残されるばかり。
そんなことが続けば、いつしか新しい人との出会いを喜べなくなるに決まっている。
それが不死というものだと思っていました。
決めてかかっていた、と言っても良いでしょう。
しかし、それはあくまで有限の生を生きる者の価値観からみた評価に過ぎません。
無限の生を生きるようになれば、価値観(つまり物事の評価基準)そのものが変容してしまうかもしれないのです。
そうであるならば、不死というものの評価について再考すべきかもしれない。
そんな風に考えられたのは、本書で『火の鳥』の直前に取り上げられている『進撃の巨人』のテーマが「変容的経験」だったからです。
変容的経験とは、まさに価値観そのものが変わってしまうような経験のことです。
本書では『進撃の巨人』の主人公エレンの変容的経験として、エレン自身が巨人化できることに気づいたことなどをあげ、それがエレンの価値観とその後の行動に与えた影響を考察しています。
現時点の価値観に基づいて真剣に考えて出した結論でも、絶対的なものとして決めてかかってはいけない。
価値観そのものが変容してしまうような経験が、人生には待ち受けているかもしれないのだから。
これもまた、SFを通じて悟り得る真理なのだと思いました。
まとめ
世にSFを題材にした作品は無数にあります。
それらについて、単にストーリーをなぞるだけではもったいない。思索を深めようと思えばここまでできるんだ、ということに気づかせてくれた本書には本当に感謝です。
今年読んだ本の中でもトップクラスの名著でした!
ではまた!