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⑧いえにかえりたい

「私の家は最初からなかったけれども、それでも私は家に帰りたい」

私はもう、最近はこれしか思っていません。

万が一この文章を知恵遅れの親族が読んだら「ああ、家に帰りたいんだなあ、実家かな?」と、そのまんまの感想を抱くのは間違いないでしょう。違います。ではいったい何を指しているのかを説明します。

私は、実家や自宅など、現物の家に帰りたいと言っているのではありません。誰かが自分を見守ってくれて安心できるような、心が休まる「家庭」に帰りたいと言っているのです。しかし、私は家で毎日暴力を受けてきたから、私にはそういう意味で家がありません。

では、どういう暴力なのか。勝手に私の交友関係によこはいりして仲裁をして人間関係を引き裂いたり、自分がハマっている宗教や健康食品を好けとか、自分が嫌いなニュースや有名人や勉強やイラストを嫌えと私に迫るような、私の心を粉々に打ち砕く暴力です。

さらに厳密に、暴力とは何なのかを説明します。暴力とは、ぶつとかどなるとか従わせるとか、そういう表面の話じゃあないのです。体育会系の部活やブラック企業の社内やチンピラの家庭では、げんこつや怒号が飛び交うことはあります。大多数は暴力だとは訴えませんが、たまに事件にもなります。ナントカ学園やナントカスクールとか、ありますよね。大抵誰もが加害者の行動を見て暴力か否かを論じますが、違うのです。同じ作品を見たり同じ言動をしても評価が分かれるように、物事は受け手が全てなのです。被害者側がどう思ったかで決まります。ですからつまり

暴力とは、相手に納得を与えないことを指すのです。

成果を褒めたり、給料を与えたり、目標があったりして、暴力をされる側が「まあこれでもいいかな」と納得できたら、それは暴力ではないのです。醜い男に美女が寄り添う理由も、締切を遅らす芸術家をファンが黙認する理由もそれです。大金や唯一無二の作品があるから、しぶしぶ納得しているのです。

暴力とは、相手に納得を与えないことを指すのです。

仲裁や命令やげんこつや怒鳴り声は自分に相手を従わせる行為です。納得がないなら暴力です。判断は任せますと言い続ければ、必ず仲間や味方や友や家族はやってきます。

「私がこう思うからあなたの意見は聞かない」と私に迫る母の行為は、暴力です。

「俺がこう思うからお前はこれを全てやめてこっちをしろ」と私に迫る父の行為は、暴力です。

暴力とは、相手に納得を与えないことを指すのです。

こんな、小学生でも、幼稚園生でも、世界の誰もが解っている単純なことに気づきもしない白痴の両親は虫ケラです。この理屈を解る人は私の弟だけです。弟は家を出て立派になりました。つまり、実家にはもう人は住んでいません。人が住んでいないのだから、私の実家は家ではありません。

暴力とは、相手に納得を与えないことを指すのです。

私が父に対して「今まで関わってきた全ての人に謝れ」と思う理由もこれです。
他人の仕事や趣味に「俺が教えてやる」と口から出まかせのアドバイスをして攻撃をする行為は納得されません。
「俺は社長の息子だから偉い」とか「俺の知り合いが偉いから俺も偉い」とか「ネットで見かけた陰謀論をたくさん知っているから偉い」などと他人の権威を使って他人を攻撃する行為は納得されません。

話は変わりますが、誰でも言えそうなことを言った大統領は平和賞を取りました。事故を起こした業界幹部は不起訴になりました。イラストの名人は暴言を許容されました。これは、何らかの魅力があるから納得されているのです。魅力とは才能のことです。才能とは好きな研究や趣味を続けて得意分野にすることです。

全ての他人や物や出来事に対して「くだらない」「用事がない」「無駄」「無価値」「興味がない」と言って何も真剣に取り込んでこなかった父に才能がないのは当たり前です。才能は魅力です。魅力のない落ちこぼれからのクレームを、普通は納得できないし、納得できないから、暴力なのです。

未来とは可能性です。可能性とは行動です。行動とはやる気です。

才能も魅力もない無能の分際で、私からの納得という許可なしに、私のやる気を削ぎ、行動を妨害し、才能の可能性をことごとく潰して、私の人生をさんざん破壊してきたことを、そろそろ父には反省してもらいたい。父の大暴れの火に油を注いできた母も、そろそろ反省してもらいたい。私の人生を返して欲しい。私の過去の悪夢を癒すことができないならば、せめて、私の未来を潰すのだけはそろそろやめて頂きたい。人の未来を潰すのは暴力です。もちろん、私の未来を潰すのも暴力です。私が納得していないから、それは暴力なのです。

私は家庭や社内や屋外で、ありとあらゆる場面で殴られながら勉強と趣味を無価値と全否定されてきました。ましてや、「皆の前で殴っていただいてありがとう」と言えと迫られてきました。私が納得していないから、それは暴力なのです。私が全否定されることを「嬉しい」と一度でも言ったのなら疑ってもよろしい。私が納得していないから、それは暴力なのです。

暴力とは、相手に納得を与えないことを指すのです。

……だから、私には心が休まる家庭がないから、なかったから、私は常に「家に帰りたい」と漠然と、いつでも、どこでも、ずうっと感じているというわけです。

私は家に帰りたい。

何故私が苦しんでいたのか、何故両親が嫌われるのか、何故私が好かれるのか、何故暴力が否定されるのか、何故暴力が肯定されるのか、全ての理由を、全ての謎を私なりに書きました。

誰か1人でも理解をしようとしてくれる人がいたら、私は救われるかもしれません。

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