行動を重視するあまり否定していた感情が在ったなと思う
NVCや由佐美加子さんのメンタルモデルの世界に触れる前の私は前向きにどんどん行動すること重視で、それが良いことだと信じこんでいた。
感情に振り回されずどうしたら良い結果や適切な行動を取れるのかを考え、積極的に行動することが良いこと。
その為に学んだり、工夫するのが得意だとも思っていた。
でもそれは怖れの回避だったんだとわかって、かなり衝撃だった。
もちろんわくわくや自分の好奇心からやっていることもたくさん在るなと思う。
行動重視は怖れの回避の場合が断然多かった
でも怖れの回避の割合の方が断然多い気がしてる。
そこから自分の日常で何に注目して、何を考え、感じているのかを眺めるようになって、怖れの回避行動をたくさん創り出していたんだなと思った。
それは悪いことではない。
そこで身に着けたスキルや能力が在るし、そのおかげで体験できたこと、結果が出たこと、認められたことは本当にたくさん在るなと思う。
ただ痛みや怖れの回避ばかりになってしまう可能性も在るんだなと感じている。
残念なのは、それが自分が本当に願っていることに気づけなかったり、できなくなってしまっていたということ。
今少しずつ自分の願いが見えて、トライしているけれど、でもまだわからなくなることも多い。
あっという間に怖れが乗っ取るなと。
子育てでもそれが起きていたなと思う。
子どもに強く主張したくなるのは何故なのか自分の思考と感情を紙に書き出し、それはどこから来ているのかを眺めたり、問い直したりしてきて、全然自分をわかってあげていなかったなと思う。
自分の怖れや痛みを理解していないと、人に強く求めてしまったり、感情的になってしまうと感じていて、それは何故かがわからないまま自分の言動を責めていたなと思う。
そして相変わらず自分の内面に在ることに気づきもせず、更に感情や願いを抑圧して、相手を尊重しようとするというのをいつもやっていたなと思う。
相手を尊重し、自分の感情やニーズを抑圧すると不本意なことが起きる
自分の感情どんな感情も感じて大丈夫、それは必要なことを伝えてくれているメッセージなんだと知るまで、感情を抑圧して、それが良いことや正しいことだと正当化していたなと思う。
そうしないと抑圧できなかったんだなと思う。
でも心の中では
モヤモヤがあり、満たされない
漠然とした焦りや不安が消えない
いつも過緊張で身体に力が入るので、痛みになりやすい
パニック障害が酷くなる
突然の感情暴発で自己嫌悪になる
自分の内側からくるメッセージを受け取って、理解しないから、たくさんの不本意なことが起きていたなと思う。
NVCやメンタルモデルの世界に触れて、自分の感情やニーズ、内側で感じていること、考えていることを理解することがとても大事なんだと腑に落ちていった。
自分の内側に意識的になって日常で自分がどれだけ緊張したり、怖れているのかを知った。
また自分が本当に願うこともわかってきた。
ネガティブ感情や不本意なことは自分の願いや大切にしたいことを知るチャンス
私がよく感じるニーズが在る。
それぞれ私の中でとても大切にしているニーズだなと感じている。
でも怖れや痛みに反応すると「あんぜん」のニーズを満たす行動を即座にとってしまう。
「あんぜん」が最大の関心で、最優先になってしまう。
そうすると「わかりあう」や「自分らしさ」、「じぶんへのきょうかん」、「まなび、はっけん」などのニーズが満たされない行動ばかりを選択してしまうんだなと感じる。
また「じぶんのスペース」を大事にできず、相手の期待に応え続けてしまったり、そのせいで「いっしょにいること」がしんどくなってしまうなと。
怖れや痛みに反応して、「あんぜん」のビーズばかりに執着するんじゃなくて、
もっと体験したいことが在る
ほかにも大切にしたいことが在る
願う日常が在る
それを感じて、違う選択をしたり、挑戦をするようになった。
自分の中にたくさんの感情とニーズが在る
自分の中にたくさんの感情とニーズが在る。
それを理解するにはどんな感情も感じて、受け取ることが大事なんだなと思う。
特に不快感情や不本意なできごとは「自分のニーズが満たされていないよ」というお知らせ。
そこに在る自分の内側のことを感じて、受け取ることを大切にしたいなと思うようになった。
受け取らないままだとモヤモヤや満たされなさが在ったり、心身に症状が出たりするんだなと思う。
感情やニーズ抑圧は
心身の健康
安心して人間関係
自分の望む生き方を選択する
挑戦する
これらを邪魔してしまうなと思う。
自分を守るためにパトロールをしている生存本能が自分のニーズを邪魔する
私たち人間には生存を脅かすものを察知し、対処しようとする生存本能が在って、それがいつもパトロールしている。
自分が危険だと思っていることを見つけると生存本能が反応し、そこで自分が安全になると信じている行動に駆り立てる。
私は周りの不機嫌やピリピリした空気がとても苦手で、それを解消しようと即座に動き出しちゃう。
そしてあっという間に自分の他のニーズが蔑ろになったり、抑圧するしかできなくなっちゃう。
でもそれはその人の感情で、ニーズが満たされていないというお知らせ。
その人自身が理解して、叶える必要が在るもの。
そこを乗っ取ったらいけないんだな。
しかも私が良かれと思って対処していることが相手の感情とニーズを聴いて、理解していない為検討外れのことが多かったんだなと息子たちと対話をしていく中でわかってきた。
そしてそれは私の怖れへの対処で、自分の安心のために人の状態をコントロールしているということでも在ったんだなとやっと理解できた。
私がそこを何とかしようとするのはその人の感情を否定していることでもあったなと思う。
きっちり境界線が引けていなかった。
前回のnoteにも載せたけれど、それぞれの世界が在る。
ここを侵さないこと。
それぞれを尊重すること。
大切にしていきたい。
自分の反応すること、対処していることを知る
そういう自分のパターンにも気づくことが増えた。
自分がどんなことを怖れていて、
どんな対処や反応をするのか。
私は今日常でこれを眺めて、改めて本当はどうしたいの?と問い直しているところ。は
反応や対処に気づいて、そこに在る怖れや痛みを感じて、受容しながら境界線を踏み越えないようにチャレンジしている。
自分は自分で在っていいし、自分でしか居られない。
今週みーちゃん(由佐美加子さん)に今の自分の反応を伝えて、どうしたらいいのかを聴いた時にたくさんの言葉をもらって、それを受け取って、感じている。
だから相手も相手のままで在っていい。
ほんとうにそうだなと思う。
そこにニーズが在る。
ここを今家庭、両親、友達、職場、地域の場で体験しながら、感じて、腑に落としているところ。
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