もしもの備え その3.3 〜水害の後始末 マンション管理組合用保険 河川の近くに家を建てるな 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
私の苦い経験をご紹介しますね。
父から子供の頃に
河川の近くに家を建てるな
と教わりました。父方の先祖が河川の氾濫による水害に遭ったからだそうです。しかしまさか横浜駅が水没するとは想定できませんでした。なので買った横浜駅から徒歩数分のマンションが水害に。
この始末に偶々その時マンション管理組合の一理事であった私が深く関わることになりました。
当初半数弱の理事が、管理会社の管理責任を問いました。水害直後に強引に管理会社を呼んで管理人を含めて吊し上げの様な様相に…修羅場という感じでした。興奮して喧嘩腰の会話が復旧作業手配と並行して連日行われました。これには比較的高齢の理事長がメンタルをやられ、内々に私に理事長を代わって貰えないかと打診が有りました。理事としての私の災害前までの対応が、有事の理事長として相応しいと思ったというのが理由でした。たまたま副理事長がお隣の奥さんで、そちらからも強く説得を受け推されました。
まぁ、学級委員から始まって中学校卒業までは児童会会長、生徒会会長。流石に大学受験の時期は受験勉強に集中しました。しかし入った大学も理系の科目が得意だったので理工学部を選びましたが、元々は総理大臣も複数回努めた政治家が後進育成のために創った大学。
政治家になるか、経営者になるかの2択で、故有って後者を選んだ身。
政治的な切り口での社会貢献も身近なことから1つ1つ
ということで引き受けることにしました。
成れの果てにたどり着く直前で、業界最大手IT企業の部長兼マネージングコンサルタントを張っていましたので、この程度のドタバタは手の内という判断でした。
まして人的被害は無く所詮お金の問題なので難易度は低い(笑)と思って居ました。
大荒れのマンション管理組合でした。火中の栗。
合理的に見て予測不可能。付近の建物もNTTと東京電力以外は全て床上浸水していますし、横浜駅地下街は水没という状態でしたので…。
そもそも、管理組合の理事になった時に5年毎の保険の契約更新時期となりました。理事の1人が保険会社の代理店業をされていて、管理会社のしている契約の問題点を一覧にして契約内容の見直しを提案していました。まぁ自分の会社を通して欲しいというのも本音なのですが、それを割り引いても至極真っ当な提案でした。しかも代理店手数料をも原資にして大幅な割引でした。特約の見直しの中には火災以外に地震、噴火、水害なども勿論考慮され、新価実損払いも付けました。
https://www.ms-ins.com/pdf/personal/kasai/20190930_gk_m.pdf
理事にはやり過ぎと反対した方々も居ましたが私も推進派の1人として総額を抑えつつのその内容での契約更新に携わりました。
正にもしもの備え
これが効いていました。実はこの時の私の動きが理事長の目に止まった理由の1つだったそうです。
こんな背景で先ずは管理組合の訴訟も辞さない興奮を治めるところから…
経緯
その1は初めてもしもの備えを考えた子ども時代のご紹介でした。
その2では、全く逆の動きを敢えてした受験生時代、サラリーマン時代の
“敢えて完璧な備えをせず前に早く進むことを優先”
という話題を置いて見ました。
その3.1では、先祖の被災の教訓を生かせず被災してしまった話でした。
その3.2では、台風の豪雨の中子どもと航空宇宙の展示会に出掛け、帰宅したらまさかの水害に…というお話でした。