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父親の思い出 その6 牛乳瓶を蹴って溝(どぶ)に、そして割れてしまった~当たり前過ぎて意識しなくなっている
父か他界して約30年、と言っても父の遺伝子は私の身体の中で生きているので、理系頭の私としては全く悲しく無いのですが。
以下もご参考までに。
父は怒るということが無く、何時も教育的指導の域を踏み出すことは有りませんでした。その教育的指導も皆無(私が正しい行動を何時もしていたから?)でした。
人生に一度だけ感情的に怒られたと感じたことがありましたが。
その教育的指導の思い出です。
家族で父方の親戚の家に行く途中のことでした。流石に道路は舗装されていましたが、道路の片側に開渠(かいきょ、蓋が無いむき出し)の溝(どぶ)が有りました。その道に硝子の牛乳瓶が落ちていました。車が踏むと割れてしまうので道端に寄せようとしました。手で触りたくなかったので蹴っ飛ばして寄せようとしました。ところが運悪く溝に入ってしまいました。しかも最悪なことに溝の中で割れてしまいました。
シマッタ
子供ながらに不味いことをしたと思った瞬間。前を歩いていた父か振り返って、
「いったい誰がそれを片付けると思っているんだ。」
と指導されました。良いことをしたつもりが裏目に出た上に、殆ど指導を受けることの無い父の前で失敗し指導されたのでした。
今でもはっきり思い出せる程酷く落ち込んた苦い経験でした。
蛇足
因みに当時はご近所同士の自然な清掃活動で気が付いた人が溝さらいを不定期にやっている時代でした。流石に出かける途中なので溝さらいをしろとは指導されませんでした。