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【🍋ノスタルジーシリーズ#11】群青色の森に閉じ込められていた話。

こんばんは。今日はちょっと切ないお話を。
写真はカラフルですけども話はダークです。

私は物心ついた頃から大学生ぐらいまで不眠症であった。
夜が来ると眠らなくてはいけないので非常に辛かった。

きっと夜中2時ぐらいになれば眠れていたのだろうが、とにかくそれまで眠れない。
特番のテレビなどがない日は大抵21時までには就寝しなければならず、布団に入ってからがとても長い戦いであった。

特に幼稚園時代は一番キツかった。
熱を出すことが多く、日中も寝かされているため夜になって眠れと言われても無理な話であった。

さらに外に出て日光を浴びていないため不眠に拍車をかけていたように思う。
『土を触るな。汚い‼️』と、花を摘もうとした手を叩き落とされたり
『庭に出るな!汚れるだろ‼️』と怒鳴られたかと思えば

『お友達のなっちゃんは元気でたくましく子供らしく育って羨ましいよ‼️あんたみたいに病弱な子供いらねえんだよ‼️』
などと怒られる。

私はどうしたら正解だったのだろう。 

よくよく考えてみれば、外で遊ばせない→太陽を浴びない→体の弱い子になる➕不眠→熱を出す→母、心配になる→外で遊ばせない
の無限ループのせいでは?と思う。

とにかく、幼稚園児の頭ではそこまでまわらないし、口答えなどしたら何をされるか分からないため黙っていた。

さておき、眠る方法だ。
羊を数える、なんてものはなんの意味もなさない。
楽しくないうえに数を数えることに集中して、何百何十何匹になってくると吐き気さえしてくる。
一体誰が考えたのだろう。
そしてなぜ羊なんだろう。
不眠の方には絶対オススメしない。

他にも、友人のフーちゃんが教えてくれた
『ギューーーっと目を瞑って、歯も食いしばって、目を寄り目にすると眠れる』という方法。
これは羊よりは効果があったが、フーちゃんと出会うのは高学年のため、私がそれを知るのはまだ先であった。

私の方が先に布団に入っているものの、23時ぐらいには親も寝るため寝室は4人になった。
寝室はリビングの隣にあり、その寝室がやたら広い和室で、4人がマットレスを並べて寝てもまだまだ布団が敷ける広さであった。
その隣にももう一部屋和室があり、さらにその奥にもフローリングの部屋があった。
謎な間取りである、、、

みんなが次々と寝てゆき、広々とした寝室に私以外の寝息がたつ。
時計の針がチクタクチクタクうるさい。
暗闇に鳴り続ける秒針の音は、却ってこの部屋の静けさを際立たせる存在であり、私はこのアナログな時計が大嫌いであった。

みんな、私は起きてるよ。置いていかないで。
小さな体で、自分の存在をアピールしたかった。
この世界に独りぼっちな気がして。
取り残されたような気がして。
寂しかった。
真っ暗な森のなかに1人で置いていかれた気分であった。
これが毎晩毎晩続くのだ。
死ぬまでに何回の夜を迎えなければならないのだろうと、何度絶望したことか。

そして私が身につけたアピール方法が
『咳払いをする』であった。
咳払いをして、
『私起きてるよ、眠れないの。誰か助けて』のアピールである。

振り返ると、幼き日の私が可哀想になってくる。

だがしかし、寝ている人たちには非常に迷惑なアピールである笑
ウトウト、、してきたら
『ウォッホン!ケホン!ゴホゴホ!』
眠っていても『ゴホン!ゴホン!ヴヴン!』
最悪な寝覚めである。

幸い、妹は一度寝たら起きないタイプだったので、そこだけが救いであった。
自分より小さな妹を起こしたくはなかった。

ある夜、4歳ぐらいの頃に、1時になっても2時になっても眠れない。
何をやっても眠れない。
羊は数えた。楽しい空想もしてみた。
私はだんだんねむくなーると自己催眠もかけてみた。
しかしどうやっても眠れなかった。

私以外の家族はすでに寝息をたてている。
羨ましい。私だってスヤスヤ眠りたい。
何も考えずに眠れる人たちが心底羨ましかった。

ここでいつものように
『ウォッホン!ゴホン!ゴホゴホ!』
お決まりの咳払いアピールタイム。
これを2〜3回繰り返した。
これがまずかった。

鬼の形相で起きてきた母が
『早く寝ろよ‼️うるせぇんだよ‼️‼️だまれ‼️人いじりな‼️』
と怒鳴り、布団ごと私を隣の和室へぶん投げた。
とんでもない怪力女である。

そうして、ピシャリ!と和室と和室の間にある襖をしめた。
投げられた和室には群青色の森が描かれたカーテンがかかっていた。
私は群青色の森に閉じ込められた。

とうとう本当の独りぼっちになってしまった。
咳払いアピールをしても、あたり一面群青色に染まる森と闇。
時計もないし、人もいない。
今度こそ何の音さえしない静けさのなかで私は泣いた。

投げられたため、布団もシワシワのぐちゃぐちゃで寝心地も非常に悪かった。
もっともっと眠れなくなった。

以降、咳払いは自分で禁止令を出し、鳴りを鎮めた。
しかしこの出来事は私の心を深く抉り、その後も長らく不眠に悩まされることとなる。

従姉妹の家に泊まった際もまったく眠れず、従姉妹のベッドでひそかに泣いている私を、叔母が祖母の部屋に連れていってくれた。
お祖母さんは私が眠るまでずっと横で寄り添ってくれて、胸の辺りをトントンしてくれて、子守唄を唄ってくれたり、大丈夫だよと言って安心させてくれた。
後にスーっと眠りに落ちた。

翌朝私を迎えにきた母に、叔母は私を『頭のおかしい子だから精神病院につれて行った方がいいと思う』
と話していた。
私はこれもきちんと聞いていて、頭のおかしい子なんかじゃない、ととても悔しかった。
絶対に顔には出すまい、とも思った。
5歳、年中の夏の出来事である。

子供だからって侮らない方がよい。
きちんと理解しているし、何気なく放った小さな言葉でも、それは充分すぎるほどに武器となって心を深く抉る。
一生忘れない出来事となったし、私は二度と従姉妹の家に泊まりにはいかなかった。

また、宿泊学習や修学旅行などの行事も一睡もできず、フラフラの状態であった。

そんな不眠が、気がついたら終わりを迎えたのが大学時代。
サークルで出会った彼がいつでも眠い人だった。
私が眠れなかろうと、自分が眠ければいつの間にか寝てしまう。ずっとグーグー寝ている。
しかも一度眠るとまったく起きない妹と同じタイプであった。
地震が起こっても起きないであろう。

私は最初のうち、『ねー起きてよ、眠れないんだけど』などと身体をゆすったりしつこく話しかけたりしていた。最悪な彼女である笑

しかし『大丈夫だよ。眠くなければ眠らなくていいんだよ。朝まで起きて何かしていたらいいし、眠くなったらいつの間にか眠る』
とだけ言い残し、またグーグー寝ていた。

そうか。眠くなかったら眠らなくてもいいのか、、、。
今まで気づかなかった。
自分で自分をルールに縛り付けていた。
眠らなくていい、ということはないだろうが、今までもらった誰の言葉よりも胸にスッと響いた。

自分に必要だったのは『安心感』
ただそれだけであった。

そうすると気が楽になり、その人の横でならいつの間にか眠れるようになった。

今の主人である。

『出会ったときからあなたグーグー寝てたよ。不眠とかどの口が言ってんだよ』
とあなたは笑うけれど。

あなたが眠れるようにしてくれたんだよ。
、、、ということは私は言わない。

ちなみにその主人であるが、腹が立つほどに現在もグーグー寝ている。暇さえあれば寝ている。
三年寝太郎もビックリなぐらい寝ている。
それは言い過ぎだが、仕事と釣りと睡眠、この三つで構築されているぐらいには寝ている。

そして私まで、一番好きなことが『眠ること』になった。
すぐに疲れてしまう体質のため、眠るとだいぶ復活する。
一番好きな場所が布団である。
温かくフカフカの寝具。自分の好きな香りをふりかけたカバー。
横たわるだけで深海に揺蕩うような心地よさ。

何より、安心感。

群青色に染まる森の闇で絶望の淵に立たされていたあの頃の小さな自分に
『眠れなくても大丈夫だよ、眠らなくてもいいんだよ』って言って抱きしめてあげたい。

安心感さえあれば、私も毎日スヤスヤ眠ることが出来たのだろうと思うと、本当に不憫でならない。

『大丈夫。夜に絶望しなくとも、後に出逢う人があなたを闇から救い出してくれるよ。』

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