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【読書感想】『傲慢と善良』読みました。

このページに足を運んでいただき、ありがとうございます。
読書の秋を感じたいのに、まだ秋の空気を感じられていない黒木りりあです。

少し前に、辻村深月さんの小説『傲慢と善良』を読了いたしました。読み始めて少ししてから映画化が発表されて、読み進めるうちにキャストが発表され、と映画版の情報解禁から逃れるように読み進めましたが、後半は続きが気になっていい気に読み切ってしまいました。
そんな小説『傲慢と善良』について今日はお話させていただければと思います。お付き合いいただけると幸いです。


『傲慢と善良』とは

『傲慢と善良』は、2019年に朝日新聞出版から刊行された、辻村深月さんによる長編小説です。2019年度 第7回ブクログ大賞・小説部門大賞受賞作品で、2022年に待望の文庫版が出版されました。2024年9月時点で累計部数100万部を突破する大ヒットとなっています。
本作を原作とした映画が今年9月27日に公開されることでも、話題となっています。

『傲慢と善良』あらすじ

西澤架は、東京育ちの39歳。急逝した父親の跡を継ぎ、小さな地ビールの輸入会社を経営している。ある日、架が友人たちと飲み会に参加していると、恋人の真実が電話で助けを求めてきた。ストーカーが彼女の家に侵入したというのだ。慌てて彼女のもとへと駆けつけた架は、この事をきっかけに真実との同棲を始め、その後婚約した。
架と真実は婚活アプリを通じて知り合った。結婚式の日も近づき、真実は結婚準備のために寿退社。すべてが順調に進んでいたはずなのに、真実が突然失踪したことを知る。ストーカーによって連れ去られたのでは、と考えるも警察からは事件性が無いと判断されてしまう。真実の母親と連絡を取り合い、真実が地元にいた頃に世話になったという結婚相談所の小野里や、彼女を介して真実の過去のお見合い相手などと面会を重ねていく。
真実を探す内に、架はだんだんと自分の中の真実像と本当の真実の姿の違いに気付いていき……。

坂庭真実は、前橋で生まれ育った35歳。30を過ぎてから上京し、一人暮らしを始めた。母の勧めで地元の学校を卒業した後に、父の口利きで地元就職し、母の勧めで小野里の世話になり婚活(お見合い)もしていたが、うまくいかなかった。上京してから婚活アプリで架と出会い、交際、婚約まで至った。
恋愛経験が乏しい自分とは異なり、人よりも恋愛経験は豊富で見た目もよく、仕事も順調な都会育ちの架と結婚したいと思っていたが、あることをきっかけに彼の前から姿を消し、あるところへ向かう。

果たして、架と真実は辿り着く先でどのような決断を下すのか。

傲慢「と」善良、そして『高慢と偏見』(以下ネタバレあり)

私が最初に『傲慢と善良』に興味を持った理由は、そのタイトルにありました。イングランドを代表する、摂政時代の作家ジェイン・オースティン(Jane Austen)のもっとも著名な小説 "Pride and Prejudice" の最も一般的な邦題『高慢と偏見』に酷似したタイトルだったからです。実際に、辻村先生はこのオースティンの小説から着想を得て『傲慢と善良』を執筆したと述べています。
オースティンの小説は出版から200年以上を経てもなお世界中の人々から愛され、多くの作家が彼女の作品から着想を得たり、彼女の作品をベースとして新たな作品を生み出し続けています。

実際に『傲慢と善良』を手に取るきっかけになったのは、『正欲』の文庫本を購入しに行った書店で、近くに陳列されていたからです。『傲慢と善良』が文庫本になっていることを知ったのと同時に、『正欲』の作者である朝井リョウさんがあとがきを担当していることを知り、強い縁を感じて購入しました。
本作とさらに縁を感じる出来事もありました。この小説を読み始めた時、私は偶然にも豊洲にいました。最初のページを捲り、真実の言葉に驚き、思わず辺りを一度見回してしまいました。作品との良い出会いだったと、感じています。

本作はなかなかに穏やかではない記述から始まりますが、ミステリー的な要素も含んだ恋愛小説です。人間ドラマ作品、と呼びたい気もしますが、主人公である架と真実の大恋愛を描いているので、やはり恋愛小説と呼ぶことにします。本作の題材の一つとなっている『高慢と偏見』は、「コートシップ・ノベル」(Courtship Novel)というジャンルであると考えられることが少なくありませんが、大学時代にゼミでこれを「婚活小説」と称したクラスメイトがいました。しかし、その呼び方は『傲慢と善良』にこそふさわしい呼び名ではないか、と現在の私は感じました。『傲慢と善良』では、決して婚活そのものがメインの時間軸として描かれているわけではありません。けれども、結婚するということ、結婚へ向けての活動について、その苦しさや葛藤について描いた作品であり、主人公である二人が婚活アプリで知り合ったことからも、「婚活小説」という言葉が合うと思いました。

『傲慢と善良』を「コートシップ・ノベル」的な読み方をすることも、可能だとは思います。「コートシップ・ノベル」は、主にヒロインの社交界デビューおよび結婚市場へのデビューから結婚までを描いたような作品で、摂政時代イングランドを舞台にしたものが多かったのですが、そこから派生して現代にいたるまでさまざまな作品が語られていて、今もなお根強い人気と支持を集めるジャンルです。
真実が社交界ではなく婚活という名の結婚市場にデビューし、魅力的な独身男性である架と出会い、結婚に向けた日々を歩み、最終的に人生の決断を下していく、というプロット自体はまさに「コートシップ・ノベル」の典型です。社交界のゴシップ好きの婦人たちの役割は、架の女友達たちが担っていますし、娘を嫁がせようと必死な母親の役は、真実の母が全うしてくれています。架が父親の家業を継承しているという点でも、「コートシップ・ノベル」のヒーローの大半が長子だったりで爵位や領地を父親から譲り受けている設定と合致します。当時の噂を広めるゴシップ・ペーパーはまさにSNSを中心としたネット社会です。このあたりの現代を舞台とした作品と重ねやすいところから、「コートシップ・ノベル」というジャンルが数世紀にわたり人々から支持を得続ける理由も、なんとなく分かるんですよね。
ただ、『傲慢と善良』は「コートシップ・ノベル」的な読み方も可能なだけで、あくまでも現代小説です。私が『傲慢と善良』を呼んですごいな、と思ったのは、このように長年支持を得てきたある意味「伝統的な」プロットやキャラクターを配置しているにもかかわらず、時系列の入れ違いや語り手の視点の使い分けを含む、物語の展開方法にひねりが加えられていることで、ありきたりな進行になっていないことです。中でも、最初の語り手である架が最初、あまりの鈍感すぎてというか、善良すぎてというか、今一つ安心しきれない、信頼できない語り手(Unreliable Narrator)になってしまっていて、そこから真実像に迫っていく、謎解きのような要素があるのが良いアクセントになっているように感じました。それ以降も真実について語る人たちがあまりにも主観的すぎて、信頼できる人がほとんどいない。これが後半の真実視点に切り替わるまでに、良い役割を果たしていたと思います。真実視点の後半は、本当にページを捲る手が止まりませんでした。

タイトルにもある「傲慢」と「善良」はすべての人が併せ持つ要素です。登場するキャラクターも、誰が傲慢担当で誰が善良担当、などということなく、割合はどうであれ、すべてのキャラクターが両方の要素を持ち合わせていたと私は感じました。どちらも人間が自然と持ち合わせる要素で、故意だったり悪意じゃない分、質が悪いような……。この二つの要素がチョイスされたのもまた、読者に多くの考えるきっかけを与えているかと思います。
昔、『ガール・ミーツ・ワールド』(”Girl Meets World”)というドラマで、文学の授業のシーンに同じくオースティンの『分別と多感』(”Sense and Sensibility”)が取り上げられていました。この時、先生が生徒にたずねます「Sense and Sensibility(分別と多感)で最も大切な単語は?」と。ある生徒は「Sense(分別)」と答え、ある生徒は「Sensibility(多感)」と答えましたが、正解とされたのは別の生徒による「and(と)」という答えでした。この考え方、とても大切だなと私は感じました。ティーン向けのドラマでしたが、これを見て私の中のオースティンの読み方が少し変化しました。
『高慢と偏見』でも同じことが言えたと思います。「高慢」と「偏見」のどちらの要素もすべての登場人物が持っていて、分けることはできない。大事なのはやはり「と」だと。そして、『傲慢と善良』も。どちらも人間が書けるもので、自分の中にあるその両方の要素に気づいて、認めて受け入れられること、そして相手の中にある傲慢さと善良さにも気づいて、認めて受け入れられること。これが大切なんだろうな、と感じました。それが、婚活で成功する秘訣かどうかはわかりませんが、少なくとも架と真実はここに行きついたように思います。
ちなみに、私の中で最も「傲慢と善良」な言葉が似合うのは、小野里さんです。人々を傲慢と切り捨てられるあの傲慢さはきっと彼女なりの善良な気持ちからくるものなのかな、と。少ない登場シーンでも強烈な印象を残したキャラクターでした。なんか、キャサリン夫人的な……。

さらに私の中で印象的だったのは、本作への東日本大震災の絡め方です。あの震災は本当に印象的な出来事で、あの災害をきっかけに新たな価値観が形成された人も少なくないと思います。それが、この小説ではこんな役割を果たすんだ、ととても驚きました。

話が色々と逸れてしまいましたが、『傲慢と善良』は現代を生きる一人の三十代の女性として、とても心に残る作品でした。この時代にこの年齢で、この作品に触れることができてよかったな、と私は思っています。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
また機会があれば、他の記事にも足を運んでいただけると幸いです。



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