希死念慮と5年付き合った
どうしても脳内が自殺以外のことを考えられなくなった時、いつもとりあえず検索窓に「死にたい」と打ち込む。見慣れた検索結果、何も助けてくれない無情な世の中。わかってる、わかってるけれどどうしても誰かに助けを求めたかった。
叶えたい夢とか、希望とか本当に無い。只々ひたすらに生存率0%、確実に死ねる方法を見つけ次第実行したい。さっき、親が部屋に入ってきた。何も悪いことをしていたわけではないのに、全身の筋肉がこわばって涙が出てくるのを感じた。姉は「パパはいつもお砂糖に当たり強いよ、昔からじゃん」と言う。そうなのかもしれない。両親が部屋から出ていった瞬間、無性に死にたくて堪らなくなって再び検索窓に吐露した。上位に上がってきた動画を適当に再生すると「本当に死にたいのなら昨日死んでいるはず」と男性が言っていた。ここでまた私は、自分の決断力のなさと後回し癖を突きつけられる。お酒も薬もある。だけど失敗する確率が低くない。
叶えたい夢とか、希望なんかよりもよほど「この世の中に生きていたくない」という願望の方が強い。こんな夜、泣きつかれてまた私がすり減る。私はここから軌道修正して生きていけるのかな。それとも近い未来に死ねるのかな。疲れちゃった、
急に思い出した。
中学生の頃、拒食症が転じて非嘔吐過食症だった。朝ごはんとお昼のお弁当は食べられるんだけど、その2食以外を食べる時は必ず下剤を服用していた。最初は四錠、気付いたら一度の食事に対して12錠飲まないと怖くて食べられなくなっていた。ストレスで食べてしまった後、慌てて下剤を飲み込んで、その後はトイレで泣きながら腹痛と戦う。薬局の店員さんはいつも不思議そうな顔で整腸剤を勧めてくれた。
高校受験が2週間前に差し掛かったある日、どうしても分からない問題を母親に解説してもらっていた。その日もストレスで下剤を12錠程度飲んでいたから、解説を聞いている間何度もお手洗いに駆け込んだ。当時は辛くて死にたい、よりもその気持ちを食で誤魔化す代償が怖かった。母親はお手洗いから泣きながら出てきた私を見て言った。「精神科か受験かどちらかを選びなさい。精神科を選ぶのなら受験は諦めなさい。」心が折れたというか、ここで私は精神科に行ってはいけないんだ、これは甘えなんだ、誰にも頼れない、自分が全部悪いんだ、と全てを理解した。すべてを掛けた高校受験、諦めるわけには行かなかった。あの時精神科を選んでいたら、と心の底から後悔している。そうしたら高校で嫌がらせに遭うことも、最終的に一度の食事で30錠飲むことも無かったのに。何よりも、もっと早くにSOSを出せていたら。きっと私は今こんなじゃなかったよ。今思えばあの頃から鬱状態だった。「死にたい」気持ちと隣り合わせで生きることに慣れてしまって、もう感覚が麻痺している。誰か私を助けてください。死にたくて死にたくて。