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母親に包丁を突きつけられた話


ふとまた思い出したから書いてみようと思う。


私の母親は流石私の親というべきか、すごくメンタルのアップダウンが激しい人である。離婚離婚と騒いでは、半日後にはケロッとしている。振り回される私の身にもなってほしい。

妹の小学校受験を控えていたある日、母親と口論になった。何が理由だったのかは覚えていない。ヒートアップした母親は、台所から包丁を持ち出して突き付けて言った。「一緒に死のう?ママと一緒に死のう?」頭にこびりついて離れない重い記憶である。その日どんな髪型だったか、どんな表情だったか、よく覚えている。なんならその包丁もよく覚えている。母親は一見とても穏やかなので、とてもこういうことをする人には見えないだろう。でも実態はこうである。もう十数年たっているけれど、未だに夢に見たりする。

これ以外にも色々母親との因縁はある。今年、初めてかかった精神科医の先生には「母親が悪い影響だ。早く離れるように」と言われた。友人にも「親と離れないと良くない」と忠告される。そうなんだろうな、母親との相性がすごく悪いんだと思う。「◯◯ちゃんは〜〜したんですって、偉いわね」私が頑張るね、と言うと「良いのよ、期待してないし」なんなんだよこれ。最近他人から自己肯定感の低さを指摘されるが、こんな幼少期だったのだから仕方がないだろう。

最近親にろれつが回っていない、目が虚ろだと指摘された。とっくに自分の限界なんて超えているのだけど、それでもギリギリ生きている。さっき歩道橋でまばらな車を見ていた。飛び降りる瞬間、意識をなくせるのであればきっととっくに死んでいただろう。
私は無責任に「頑張れ」と言う人が大嫌いだ。縁いっぱいまで入ったグラスの、最後の一滴のようだ。後押しされたように飛び降りたくなる。自分の見えている世界がすべてだと思っている人も大嫌いだ。頑張りたいのに頑張れない人はいるだろうか?意欲の低下やうつ状態の改善のためにレキサルティを処方されたのに、一向に改善の兆しが見えない。死ねば楽になるよな、と考えつつodで死ねなかったことを思い出して落ち込む。私はいつ普通になれるのだろう?そもそも普通ってなんだろう。どうやったら楽になれるのかな。







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