私学の教員(1年目) 仕事や日々の生活で思ったこと、趣味など忘備録

私学の教員(1年目) 仕事や日々の生活で思ったこと、趣味など忘備録

最近の記事

死ぬこと以外かすり傷とかいう言葉を使っていいのは、拷問並みの苦しみを超えた人間のみである

世の中には死ぬことより恐ろしいことが多くある。私は経験したことはない(そもそも経験していたら死を選ぶ)が、死ぬことよりも恐ろしいことが多いのは容易に想像できるし、そのような話はいくらでも見聞きする。生きているうちには、絶対にデッドラインを超える苦しみが存在するのは間違いない。 身近な例でいえば、延命治療がそれだ。日本は延命治療を選択する家庭が多い。そして、延命治療がどれだけ莫大な費用と生かされているご年配の方がどれだけ苦しいか分かっていない。一生苦痛を味わせる拷問なのに、「

    • 私の人生でもっとも必要なのは、心の自由

      と思っているのだが、まだこの段階に達していない。いや、部分的には達成してるのだが。心の自由に影響与えてる要因は「内面的」なところと「外面的」なところの2種類あると考える。両方満たしていないと自由の獲得は難しいが、現代の我々日本人は、外面ばかりに捉えてしまって、自己をあまり振り返らない。 では、私自身がどうかというと、内面でいえば、やはり精神をもう少し大人にならないといけない。外面的なところを言えば、今後結婚したり仕事で責任あるポジションについてしまうと、心の自由を阻害する要素

      • 綺麗事を言う時代は終わりの巻

        令和になり、「効率」という言葉がやたら使われるようになった。たしかに今の時代、情報を入手することが容易になったので、単純な根性論を排除し効率的な技術論がかなり優勢になっている。 しかし、その分、メンタルが間違いなく弱くなっている。打たれ弱い。 私はこの時代にあえて「根性論」を一意見として唱えたい。 根性論といえば、昭和時代の悪しき文化のおかげで100%悪だというものになってしまった。効率性を考えず、ひたすら辛い練習をさせたりすることだ。 そして、平成令和となりトレーニング理論

        • 暗記中心ではなく思考力を問う試験とは?

          共テの数学の問題が長すぎることが話題になっている。 この問題の長さの背景としては、学習指導要領の改訂にも関係しているが、暗記中心の試験から思考力を問う試験を作成するというものがある。 私の意見としては、学習指導要領の意図はかなり理解はできるし、暗記よりも思考力の比重を大きくするという意向も賛成である。 しかし、その意向が歪んだ形で反映されているのだ。数学の共テに悪影響を及ぼしているのは間違いない。 そもそも、センター試験の時点でそこまで暗記偏重ではない。教科書の基本的な知識が

        • 死ぬこと以外かすり傷とかいう言葉を使っていいのは、拷問並みの苦しみを超えた人間のみである

        • 私の人生でもっとも必要なのは、心の自由

        • 綺麗事を言う時代は終わりの巻

        • 暗記中心ではなく思考力を問う試験とは?

          コンフォートゾーンを制しなければいかんの巻

          私は弱い。 弱いのは色々あるが、私の場合は「根性が足りない」。 過去には、根性はあるけど単にわがままなだけじゃない?と言われて、そうか、根性はあるのかなと思っていた。 しかし、先日彼女がバンジージャンプを挑戦して私はビビって諦めてしまったことを日切りに根性がないことを実感した。また、職場でもとなりの同僚が勇気を出して先輩の先生に聞きづらいことを一生懸命尋ねていて感心するとともに、ああ、自分だったら不快な気持ちになるから絶対やらないなと感じてしまった。 そう、これが私の弱いとこ

          コンフォートゾーンを制しなければいかんの巻

          世の中の大半はごっこ遊びで成り立ってるの巻

          この世知辛い世の中、仕事一辺倒で職場に従属的な価値観でいると、最初は染まらないぞと思っていても気づいたらその世界の典型的な住人として居座ってしまいかねない。そして、今後の時代は仕事は従属するのではなく「利用」してやるくらいの主体性が求められる。(もちろん、ノマドワーカーや独立しやすい環境にあるものの、それで食べていくのは依然として難しいみたいだ。だから副業ポジになる傾向が強い?) そして、多くの人間が一つの環境に閉じ込められて適応障害的に無理して適応しようとして働いてるのでは

          世の中の大半はごっこ遊びで成り立ってるの巻

          親ガチャもあれば子ガチャもあるの巻

          これだけ責任転嫁が当たり前な世の中になれば、親ガチャという恥ずかしい言い方が流行ってしまうのも仕方ない。親がだらしなかったりロクでもなければ憎むべき対象なのは間違いないが、子は親を選べない。 それを、あたかも他の親からあなたが生まれる可能性があるかのように言ってるのは幼稚で自分勝手である。 私から言わせれば、ガチャの要素があるのはむしろ子供の方である。 子供は、何億もの精子から精子1匹が卵子を勝ち取るという熾烈な競争をするわけだが、その競争がすでにガチャ要素(運要素)が強い。

          親ガチャもあれば子ガチャもあるの巻