綺麗事を言う時代は終わりの巻
令和になり、「効率」という言葉がやたら使われるようになった。たしかに今の時代、情報を入手することが容易になったので、単純な根性論を排除し効率的な技術論がかなり優勢になっている。
しかし、その分、メンタルが間違いなく弱くなっている。打たれ弱い。
私はこの時代にあえて「根性論」を一意見として唱えたい。
根性論といえば、昭和時代の悪しき文化のおかげで100%悪だというものになってしまった。効率性を考えず、ひたすら辛い練習をさせたりすることだ。
そして、平成令和となりトレーニング理論や勉強や資格取得の理論などが多く確立し、おそらく多くの人間が効率よくやっていくのが最高のコスパで成功するものだと思い込んでいる。
しかし、大学からコーチ業や塾講師、そして今の教員という仕事をちょろっとやっていて思うのだ。
多くの子どもや親は効率という甘い言葉で怠けてしまっている。メンタルの重要性を無視している。
効率やトレーニング(勉強)理論は「必要条件」である。当然、効率の良いトレーニングをやり続けるだけのメンタルや根性を備えていなければならない。この根性こそが「十分条件」である。好きであれば根性は必要ないが、いずれ高みを目指していけば好きだけでは通用しなくなり、自ら考え計画を立て実行するスキルやそれをこなす根性を試される瞬間は絶対に訪れる。そこで伸びるかどうかは効率ではどうにもならない。強いて言えば、「ルーティン化」や「コツコツ経験値を積む」ことでストレス量を減らすことは出来るが、根性がない者はそれができない。
同じ目標を達成するでも、「協力する」「PDCAサイクルを回す」「ルーティン化する」などして楽にする方法はいくらでもあるだろうが、それを実行し管理するのは他人ではなく自分なのである。
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