見出し画像

感染を乗り越えて〜隔離の壁を超えたメッセージ〜

僕のnoteでは、普段は過去の芸人時代の体験をもとに感じたことを物語として綴っています。本日は少しいつもと違った視点のお話しをします。テーマは「想像していなかった未来」です。過去にコロナウィルスに感染した時に感じた事について書きます。どうか最後までお付き合いください。

初めてのコロナ感染

コロナが世間を騒がせ始めた頃、ニュースを聞きながらも、それがどこか遠い世界の話のように思えていた。まさか自分が感染するとは、当時はこれっぽっちも考えていなかったのだ。

感染経路によっては、感染者が世間から大バッシングを受ける異常な空気が漂っていた。

「県外に出たのか?」

「飲みに行ったのか?」

「大勢が集まるイベントに行ったのか?」

と、まるで“コロナ警察”とでも呼ぶべき人々の目が、どこにでも潜んでいるようだった。

そんな中、自分がコロナに感染したのは、2022年の春だった。その夜、家で酒を飲んでいるうちに、うっかりこたつで眠ってしまった。目が覚めると、喉が痛み、体がだるい。微熱もあり、「ああ、やってしまった」と思わずつぶやいた。

風邪のような症状があったため、出社前に病院へ行くことにした。「コロナではありません」と会社に証明するための、念のための検査だった。

しかし、検査結果はまさかの陽性だった。

「え?コロナ陽性?何かの間違いじゃないのか?会社はどうする?家族は?」

頭の中が真っ白になり、動揺が収まらなかった。

「そもそも、こたつで寝て風邪を引いたと思っていたのに、なぜ?感染するような場所にも行っていないのに…」受け入れがたい現実に戸惑いながらも、職場や家族にすぐ連絡を入れた。そして案の定、大パニックになった。

ホテル療養生活の始まり

夜になり、微熱は高熱へと変わった。社会の目から逃れたい思いもあり、僕はホテル療養を選ぶことにした。案内された療養先は、市内のビジネスホテルだった。

到着すると、防護服に身を包んだ職員たちが出迎えてくれた。その異様な光景に、まるで映画のワンシーンに入り込んだような錯覚を覚えた。

医療現場が逼迫する中で、自分が感染し迷惑をかけたことが申し訳なく思えたが、職員たちはそんなことを感じさせず、丁寧で優しい対応をしてくれた。

ホテルでは、部屋を出られるのは食事の時間だけだった。廊下に弁当と飲み物が並べられ、放送が鳴ると、皆が一斉に取りに行く。コロナで密を避けるのが常識となった世の中で、ここでは全員が感染者であるため、密を避ける意味もない。その奇妙な光景がかえって非現実的に思えた。

療養生活は最初こそ、まだ良かった。けれど、時間が経つにつれ、社会から隔絶されている感覚がじわじわと胸を締めつけるようになった。治っても、果たして自分はまた社会に戻れるのだろうかという不安が、静かに頭をもたげ始めていた。

窓辺に座り、ただ外を眺めていた。視界に入るのは、近くのラブホテルとその駐車場だけ。どこか灰色がかった景色が広がり、無音の空気に包まれている。何も変わらず、ただ時間だけが過ぎていく。

ふと、「国家が戦争に向かうときって、こんな感じなんじゃないか」と思った。全員が同じ方向を向き、少しでも異を唱える者がいれば、一斉に叩かれる。黙り込んだ街並みの中で、そうした冷たい視線が重なっているように感じた。

蝕まれていく精神状態

体調は、良くなったかと思えばまた悪くなるのを繰り返していた。日中にようやく熱が下がっても、夜にはまた高熱がぶり返す。喉の痛みも絶え間なく続き、くしゃみをするたびに喉が裂けそうだった。

そんな微妙な体調の変化にも、職員たちは一つ一つ丁寧に応じてくれた。その温かさは、社会から感じていた冷たい視線とは正反対で、まるで別世界のように思えた。

ある夜、枕が合わずに眠れないと何気なく伝えたところ、職員はすぐに新しい枕を持ってきてくれた。小さなリクエストに、こんなにも素早く応えてくれることに、思わず胸が熱くなった。


厳しい現場で働く中で、僕のような患者一人ひとりに細やかな気配りを見せる彼らの姿に、頭が下がる思いだった。

そんな彼らの温かさに支えられながらも毎晩、ベッドに入るたびに、眠ったらそのまま目を覚まさないかもしれないと思った。そんな不安と隣り合わせで過ごす日々の中で、僕が強く感じていたのは、社会に対して抱えた罪悪感だった。

どうして感染してしまったのか、なぜ自分だけがこんな目に遭うのかと、何度も何度も自分を責め続けた。

そのたびに、もうこのまま消えてしまってもいいと思う自分がいた。今思えば、あれは軽いうつ状態だったのかもしれない。絶望の中で、ただ過ぎ去る時間に身を任せるしかなかった。

しかし、そんな自分に負けなかったのには実は理由があった。

小さなメッセージ

療養中、YouTubeや映画を観ても、気づけばすぐに見尽くしてしまった。唯一の楽しみと言えば、1日に3度の食事だけだった。

味覚はかろうじて残っていて、弁当が届けられる時間が何よりの待ち遠しさとなった。元々食べることが大好きで、食事こそが一番幸せを感じる瞬間だった。

だから、食欲があるということが、僕にとっては「まだ負けていない」というバロメーターのようになっていた。

そんなある日、気持ちが激しく落ち込み、どうやって消えようかとばかり考えていた。そして、いつものように食事の時間が訪れた。いつもなら何気なく受け取る弁当だったが、その日はふと、弁当に貼られた小さな紙に目が留まった。紙には、こう書かれていた。



「1日でも早く元気になるように祈っています。」

その言葉を見た瞬間、胸が締め付けられるような感情が湧き上がった。あまりに優しく、あまりに温かい言葉だった。

僕はその瞬間、止まっていた時間が少しだけ動き出すのを感じた。今まで見失っていたものが、何か少しだけ見えたような気がした。そして、涙が静かにこぼれた。

その時、心のどこかで思った。もう、明日は来ないと思っていた自分が、少しだけでも生きてみようと思えたことに気づいた。その小さなメッセージが、僕を救った。

誰かが僕を気にかけてくれている。そんな温もりを感じ、心が少しずつ前に向き始めた。

温もりの連鎖

僕はこのコロナ感染を通じて、社会が冷たいだけではないことを初めて知った。医療関係者たちの対応には、感謝してもしきれないほどの思いがある。

そして、毎日届くお弁当に添えられたメッセージが、どれほど僕を支えてくれたか計り知れない。その小さなメッセージが、僕を少しずつ前に向かせてくれた。

ホテルに入る前の僕は、完全に孤独を感じ、絶望的だった。しかし、そこから過ごした日々の中で、確かに何かが変わった。目に見えるものだけが現実じゃなく、周りには温かい人々がいるということを、僕はようやく知った。

そして、ホテルを出る日、僕の心の中には、もはや孤独も絶望もなかった。むしろ、感謝の気持ちでいっぱいだった。

どんなに小さな手でも、差し伸べられた手は、僕を救う力があると信じることができた。今度は、僕がその手を差し伸べる番だと思った。

ホテルを出る足音が、静かに響く。温かい涙が、静かに流れ落ちた。

この記事が気に入ったら、ぜひシェアしてもらえると嬉しいです!あなたのシェアが、他の人たちとの素敵な会話のきっかけになるかもしれません。応援、ありがとうございます!

芸人時代の話を主に書いています。スキマ時間に是非一度読んでみてください。感想や意見もお待ちしております。

いいなと思ったら応援しよう!