雑感記録(288)
【駄文の円環part9】
昨日、飲み会があった。僕はどうも飲み会の場というのは苦手であるらしい。勿論、愉しいには愉しい訳で、自分もそこに入っているのだからそれは間違いのない事実としてある訳だ。ところが、これは「お酒」を起爆剤としての愉しさなのか、あるいは自己自身である意味奮い立たせていることからくる愉しさなのか。僕は毎回そういうことに悩んでしまう。
「会」という言葉はどこか曖昧である。
例えば、僕は一応早稲田大学を卒業しているので、校友会に所属している。そこでは全国各地に所謂「稲門会」と呼ばれる組織が存在する。毎月のペースぐらいで校友会雑誌が自宅に届く。それを見ると冊子の最終ページには全国各地あるいは世界の「稲門会」と呼ばれる組織の活動報告が掲載されているのである。毎回それを見るたびに凄いなと思う。
しばしば、こういう大学OB会なるものが社会で力を持つということはある。実際僕は全く以て恩恵は受けていない訳だが、強いて言うなれば、大学の図書館を利用できるということぐらいだろうか。それで僕は土日のどちらか時間があれば大学の図書館で学生に混ざって本を読んだりしている。だが、まあ、僕にとってはそのぐらいの恩恵しか受けていない。
だが、例えばこれが天下の「三田会」ともなるとお話は違ってくる。
政財界の至る所でこういった名前を聞くわけだ。三田会は凄いらしい。僕はこういう話は実際全く以て興味が無い。自身の一応所属している「稲門会」とやらも別に興味はない。大学がたまたま一緒で、キャンパスは違えどもたまたま同じ時代に同じ学校で学んでいたというだけで繋がれるのはやはり学校も1つの権威として存在しているんだなということを思い知らされる。
こうして今、学校のことを書いたので、自身のことを振り返ってみる。
と書き出した訳だが、僕は散々過去の記録で何度も何度も書いていることであり何を今更というのが正直なところではある。しかし、人間というか僕だけなのかもしれないのだが、とかく人間は「語りたがる」生き物である。僕の場合は少なくとも以前の記録で「PVごっこ」と称して書いた訳だが、自分が好きだからこそ「語らずにはいられない」というある種のナルシシズムみたいなものが存在している。
でも、僕だって元々こんな人間ではなかったはずだ。可もなく不可もなく。別に秀でたこともないし、ただただ極々平凡な学生生活を送っていた。どうしてこんなになってしまったのだろうか。
それで考えを巡らせるのだけれども、面白い事にその殆どが大学時代に遡る。何かを書き出す時、そして何かを語る時のベースの大半を占めているのはやはり大学時代だったと思う。本当に大げさでも何でもなく、あの4年間は自分の中で人生に輝きがあった時間だったと思う。今も今で十分愉しい日々だ。毎日大好きな場所に居て、毎日好きな古本を漁って、毎日映画や本に耽溺し…。何の文句もない日常を送っている。
だが、どうもしっくりこない。
これは僕の中で既に答えは出ている。純粋に同じ熱量で話せる人と会えなくなったということが原因である。こう書くと何だか僕は本当にメンヘラっぽくて凄く嫌なんだが、しかし東京で1人暮らし、それも社会人になって1人暮らしをするようになって痛感した。大学時代も一応は1人暮らしをしていた。だけれども頻繁にとまでは言わないが、友人が僕の家に来てくれたり、バイト先の先輩や後輩たちと飲み会をしたり、色々な人との関りがあった。
それで、別に文学の話じゃなくても「こう考えている」とか「こういう面白いことがあって」とか、真面目なことからくだらない下世話な話までして過ごした。やはりコミュニケーションというのは大切なんだなと今更ながらに思う。
そういえば、ここまで書いていて1つ思い出したことがある。
大学時代に一緒に過ごしたのは僕を含めて4人で、大概いつも一緒に過ごしていた。どこか出掛ける…と言ってもまあ、そんな遠出ではない。…いや、1度みんなで群馬に行ったことはある。朝6:00ぐらいに新宿東口に集合して電車を乗り継ぎ行った。懐かしいな…と今スマホのアルバムを見返して悦に浸っている。と、そんなことはさておき。
だが、皆わりと忙しくて、中々纏まって会うことが難しかった。
皆同じコースだったから、共通の必修科目ぐらいで顔を合わせて、その後一緒に次の授業まで時間を潰したり、バイトまでの時間を潰したりしていた。その間に大富豪をやり続けて僕は毎回毎回、その弱さのせいで搾取されまくっていた訳だが、僕には正直そんなのどうでもいい話で、お金が減ることよりもその場に居ることだけで十分だった。と、これもまたさておき。
その中でやはり彼女がいる友人もいた訳で、「今日は彼女と○○へ」というような感じで集まれなかったり、そう言うこともしばしばあった。僕は当然、ボッチ学生を極めていたので、彼女の「か」の字も知らなかったぐらいである。だが、やはり羨ましいと思うことはある。ちょっとした憧れみたいなものである。僕はいつも「いいな」と口に出すだけで、でも1人で居たいという気持ちも強かったことは事実である。
そんなある日、どういった理由でそうなったのかは一向に思い出せないのだが、カフェベローチェの帰りに戸山公園に友人と行った。多分、秋ぐらいだったと思うから10月頃だったと思う。何故か2人で戸山公園に行った。
戸山公園には山がある。山に囲まれて育った僕からすると「なんだよ。ただの砂の寄せ集めじゃねえか」という感じだった。だが、友人がやたらと興奮するものだから一緒に登った。そんな険しいものでは無く、せいぜい標高数メートルぐらい。そこの頂上に立って2人で記念撮影をした。何の意味もなく。ちなみに、その写真は僕のスマホのフォルダに残っている。
そこでふと「いや、景色が見えなくても2人で登ったから良いんだよ」と友人が言った。でも僕はそこで「別に1人で登ったところでも景色は変わらんだろ」と言い放った。その時「寂しい奴だなぁ…」と言われてしまった。あの時は何故だか鮮明に僕は覚えているのだが、こういう記憶というのはとかく一方的になりがちである。
僕は多分だけれども、「1人が好き」って言っていた訳だし、自分でもそう思っていた節があったのだけれども、今思い返すとガキだなと思うし、友人が言い放った言葉に9年の歳月を経てやられているのである。奇妙な話だ。
よく、というか僕自身もそうだったけれども、「1人が好き」と言っている人は多分本当の孤独を知らないんだと思う。そうして、こうやって書いている自分も実は本当の孤独についてまだ分かっていないのである。
「1人が好き」というのは、前提としてそこに何人かの人がいることで初めて意味を成す訳である。つまりは、本当に1人でもないのに「私は1人が好き」と豪語しているのは意味が無いのではないか。現に僕は大学時代を友人たちと過ごし、バイト先の人と過ごし…人は当然に居た。コミュニケーションもするし、そういう所から面倒くささがあったから、逃げたかったから「1人が好き」という選択肢を取ってしまった。ただ、それだけのことである。
社会人になって、再び東京に住み始めて9か月が経過しようとしている。
だが、当然に大学の時とは違い、誰かが家に遊びに来るわけでもない。大概仲の良い人たちは地元に居る訳で、簡単に会うことは出来ない。そういう環境が一気に無くなった。そもそも話す機会が大幅に減少してしまった。だからたまの休日に久々に友人に会うと僕は堰を切ったようにベラベラと話してしまう。
この歳になってようやく「1人が好き」と公言していたツケの清算みたいなものが周りに周ってきているような気がする。
人間、慣れること、慣れないことなどあるかもしれないが、孤独と言うものには慣れたくないなと心から思う。これに慣れてしまったら言語を手放しそうで怖い。そんなことを思う。だからある意味で、僕の趣味というかライフワークが言語に関連するもので良かったなと心の底から思っている訳だ。
さて、何の話を書こうとしたか忘れた。というよりもどうでも良くなった。
実はこの文章は眠気覚ましの為に書かれている。だから本当に何も決めずに書いている訳で、何を書いているのが自分でもよく分かっていない。笑える話である。全然目が覚めず、眠気眼で只管タイピングを続ける。浅い眠りに入るが、寝てはなるまいと自制心は何とか保っている状態である。
眠い時、人と話すと眠さが吹き飛ぶ。これは経験則だ。
しかし、無暗矢鱈に話せないのが会社である。
余計な話をするのは憚られる。
沈黙の机で僕はこれを書き、眠りについてしまいそうだ。
よしなに。