和の国で、ASDがやっていくのは大変な件
日本人の長所は、空気を読み和を大事にし本音と建前を使い分け、色んな人と円滑にコミニケーションをとることです。 時には、愛想良くし嘘やお世辞も言います。
これが、人間関係を潤滑に円満にし軋轢を避ける事が出来ます。
まず、ASD特有のダメな部分を指摘してくる人は少ないです。大抵の日本人は、気遣いの文化により、お世辞と建前で相手が傷つかないように配慮するのです。そして、時には愛想良く感じよく接したり、時にはフレンドリーに接したりしてきます。それは、場の空気を良くし調和と協調性を大事にする働きがありますが、 その日本人特有の性質がASDの人はしばしば頭を抱える問題でもあるかと思います。
当事者が、私のことが好きじゃない、気に食わないのに、何で親しげなフリしてくんの?
その気じゃないなら、良い顔しないでよ。
何か、不満があるなら、言いたいことあったら言ってよ!あなた、私のこと騙したんだね!
と、どんなに発した所で、大抵の日本人は変に気を使い、「そんな事ないよ」「大丈夫だよ」「私達、友達だよ」と、気遣いしてくることでしょう。
例えば、ASDが自分の失言を後から「あっ…」となって、相手に謝罪したとしましょう。
多分、高確率で下の絵のようになることでしょう。親友のような関係にならない限り、難しいのです。
しかも、ASDは表面通りに物事を受けとめ、後で違う、騙されと知り、フラストレーションが溜まりやすいかと思います。
また、八方美人、社交辞令、本音と建前を使い分けるのは、当事者てしては薄っぺらくなんの意味を成さないかと言う感じです。
本人の為なら、本当のこと言ってあげたら良いのでは…?何で好きじゃない人と仲良く雑談してんの?裏では悪口をボロクソ言ってたじゃん…が、ASDの気持ちでも、それは、日本人の感覚では通用しないのです。
ASDの本音を言って欲しいし、自分もそれがその人の為でもある、自分は仲良くしたい人とだけ仲良くしたい、苦手な人や嫌いな人にまでいい顔したりコミニケーション取りたくない気持ちは、日本では歓迎されないのです。
私は、子供の頃から感じてきたことであります。これが、私の生きづらさに繋がっているのだと思っています。
和の文化は、社会を円滑にするのに役に立ってますが、ASDからしたら窮屈であり理解不能に映るのだと感じています。