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36500の虚無に浮かぶ月

とても華やかな夢を見ました。

ホテルのパーティー会場。新ブランドお披露目。多くの女性スタッフが着飾ってキラキラしている。私はクライアントの方々と盛り上がる。「あの頃があるから今につながったよね。」「初代のパッケージやっぱり好きです。」と、歴代製品の写真を撮る。

男性陣はいくつかのグループに分かれていた。私は立ち寄って、「ちゃんと寝てますか?」と訊く。システム周りでのトラブル、広告運用の難航話を訊きながら、私は適当なことを言った。「あんまり無理しないでくださいね。」

新作コスメを試しながら、デザートを中心とした立食パーティ。次々と私の周りで人が入れ替わる。周年パーティーも兼ねている。走馬灯のように歴代の関係者と挨拶をかわす。「色々ありがとう、色々ごめんなさい。ずっとお互い様。」

突然流れるバースデーソングとともにケーキが登場した。私の隣にいた社員が「え!うれしいです~!」と言いながら、抱っこしていた赤ちゃんを私に授けた。

私は久しぶりに乳児を抱っこした。たまらないやわらかさと、ぬくもりのある香りにこころがほどけた。抱っこが安定するところを、揺れながら左腕肘を動かし、探る。

落ち着いた表情の赤ちゃんに安心した頃、「写真撮りまーす!」というかけ声。記念撮影をした。

ここで目が覚めました。
そして強烈な虚無感に襲われました。

これは1年前までのわたしだ、と。

社会人歴20年。華やかでした。仕事に直結するスキルアップ、自分自身を高め、人脈を広げることにも余念がありませんでした。

新規事業のためにゴルフを始め、レッスンやコンペにも参加しました。パーソナルトレーニングで見た目を作り上げ、いい被写体になろうと努力をしました。

事業戦略にフィットすべく英語のレッスンに通い、異業種交流を深めるセミナーに参加しました。女性経営者やネイル・エステサロンの方々とのコミュニティも拡大の一途を遂げます。

しかし、もうその日々のわたしは存在しません。

肩書をなくし、参加表明をやめれば、連絡をとることもなくなります。

定年後を早く味わったとでも言いましょうか。
いいえ、わたしの本質的な人望のなさと言った方が正しいでしょう。

わたしは今、在宅で経理事務の仕事をしています。

以前は、自分で仕事を見つけ、パフォーマンスを最大化することを考えていました。

今は、ありがたく頂ける仕事を、滞りなくミスなく対応します。連絡はチャットのみ。誰かと話すこともありません。

付き合いのための食事会、ネイルやエステにも行かず、ゴルフもトレーニングもしませんから、外出するのは散歩とスーパーくらいです。

着飾ることもなく、見た目も体型も様変わりです。

毎日思うんです。

今のわたしには、なんにもないな~って。

積み上げてきたものって更地になるんだな~って。

卑屈になったり、後悔したり、また返り咲いてやろうなんて思っていません。

シンプルに『虚無』なんです。

365日、1日100回くらい、ふと思い浮かぶんです。1年で36,500回の虚無を体感するんです。

これからどうしようとか、人生設計大丈夫なのかとか、そんなこと何千回と巡ります。

しかし、ですよ!

わたしは、こんな時どうしたらいいのかも同時に考えてきました。

つまり、ここからが本題です。

『虚無』にまみれたときに、大事なことはきっと2つです。

1つ目は、『余計な情報を入れない』こと。

なんとなく流れてくる情報から離れるんです。

嫌いでもなく、好きでもなく、なんとなくから。

なんとなくソーシャルメディアを泳ぐ。
なんとなくイヤフォンで音楽を聴く。
なんとなくニュースを見る。
なんとなくTVをつける。
なんとなく流れるラジオを聴く。

なんとなくの『ながら』を排除するんです。

つまり、全集中で、読む。書く。歩く。走る。拭き掃除をする。洗濯物を干す。食器洗いをするんです。

その理由は、行動にシフトするためです。目や手足をちゃんと働かせる。これで余計なことを考えなくなります。

不安になったら身体の感覚が強い行動がお勧めです。食器洗いは手にも感触がありますし、目に見えてキレイになるし、音のたち方によって自分の精神状態もわかります。

なるべく心地いいカチャカチャくらいに収めるよう心掛けると精神統一している気持ちにすらなります。余計なことを考える前に1枚でもお皿を洗うんです。

今わたしにあるのは、子どもと地に足をつけて生活をしていくことだけ。それを大切にしたい。そこに軸を戻すと言いますか。

それでも『虚無』は来るんです。きっと来るんです。『虚無』こそホラーなんです。

その時にもう1つ。
『過去の延長線上に未来がないと決めたんだ』と信じること。

理由がどうであれ、手を放してしまった過去からたぐり寄せて良い事はありません。きっと自分の意識を越えた存在が「この延長線上の未来は選択しない」と決めたって事にしてしまえばいいんです。

過去の経験からの延長では考えつかないことが起こる奇跡があることにするんです。

考えない、考えない、考えない、って唱えながらお皿を洗うんです。考えない、考えないって脳内に送りながら歩くんです。

そうすると、ふっと。
本当にふっと思いつく事があるんです。

それは、いわゆる『直感』かもしれません。

脈略なんてなく、それをしたからと言って何かが起こる保証もなければ、とるに足らないことかもしれません。

それでもいいんです。

だって、今のわたしには目標やゴール、あるべき姿はないんですから。

最近わたしが直感で動いてみたことが2つあります。

ふと。沖縄旅行に行きました。

偶然、歯医者で会った友人の家に遊びに行ってみました。

とくに、だからと言って、何かがあるわけではないのです。直感にただよって、ふわふわするだけです。

直感を待つようで、待たないようで、期待はせず。そんなことすら忘れて、あったかいものを食べるのです。

虚無からの止まらないマイナス沼思考に、『大丈夫だから、一旦落ち着こう』と語りかけるのです。わたしが考えて辿り着けることなんて何もないんだと。

新月は見えないけれどたしかに存在していて、いつか満ちてまた輝きだします。

だからあなたもきっと、大丈夫。

ここまで読んでいただいたこと、うれしかったです。今月もありがとうございました。

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こゆき(koyuki)
いつも温かいサポートありがとうございます。大切な時間をくださって、すごくうれしいです。これからも心を込めて書いていきます。

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