ウーマンリブとプロセッコと友情と
仕事の帰り道、ふと、正面から歩いてくる女性が視界に入る。
その女性は、長くサラサラの茶髪を野球帽の下に纏め、グレーのジャージ姿でポメラニアン犬の散歩をしていた。バービー人形のように非現実的に完璧な容姿と体型を擁する方であった。年の頃は20歳代後半、30歳代初頭であろうか、少なくともそのように見える。
彼女は私の視線に気が付くと、立ち止まり、私に親しい声を掛けた。
「ねえ、私のこと憶えている?」
憶えているも何も、彼女は私の勤務先の人事部長である。それにも拘わらず、腰が低く友好的な方であった。
彼女だけではなく、我が勤務先にてタイトルに「長」の付く方々には女性が多く、ファッションモデル級の方々が多い。勤務先はアパレル系でもなく、化粧品を扱っているわけでもなく、堅気で地味な職種である。
以前、「容姿とタイトルは比例する」という記事を読んだが、彼女たちは容姿負けしないようにと、各々多大な努力をされていらっしゃるのだと考えたい。
少し立ち話をしたあと、私は彼女の犬の名前を訊ねた。
「ダンテ」
それだけのことであったが、私は、彼女と少し親しくなれたような錯覚を受けた。
後日、その彼女から『ITガールズ交流会』への招待状が送られて来た。彼女はIT従事者ではないが、この日は都合が悪いため、代わりに参加を出来ないか、との打診である。他に参加希望者はいない。
人事部長にせっかく戴いた招待状であるため、一人でも参加してみるべきか、と試行錯誤し始めた。
その時、背後からツカツカ、と足音が聞こえて来た。同僚のシモーネの足音である。彼女は私よりもさらに甲の高いヒールを穿いており、往々にして愛想が悪い。
私はふと思い立ち、彼女に話し掛けた。
「一緒に交流会に行かない?南の島のCホテルで、今晩の16時開始なんだけど」
「今晩の16時開始?早すぎるわよ」
やはり空振りであった。そこに行くためには最低でも30分を要する。私は諦めて改めて一人で参加をする決心をし始めたところであった。しかし、
「16時半でいい?」
と、予想を反してシモーネからの返答は色よいものであった。
かくして、私たち女2人は『ITガールズ交流会』へ乗り込むことにした。
Cホテルに着いた。
果たして、私達の期待は外れ、参加者はたったの20人ほどであった。
いずれも参加者は部長級の女性達であり、平社員は私たちのみであった。私たちには「長」が付いていないため、主催者側は多少、躊躇いを見せた。 こちらも多少違和感を感じた。この交流会はIT従事者の現場の生の意見を反映するためのものだと思っていたからである。
私たちはそれでも怯まず、参加者達と、女性の地位向上に関して、プロセッコ(スパークリングワイン)を飲みながら、ありきたりの意見を交換していた。
スウェーデンの職場における女性の地位はどのようなものであろう。管理職においては女性の姿は多く見られる。しかしIT界に関しては微妙なところである。
「テレビのCMなんかでは、PCが壊れた時に助けを請っているのはいつも女性で、スーパーヒーローのように助けにくるのはいつも男性。このステレオタイプをなんとか払拭することが出来ないかしらね」、主催者は悔し気に問う。無論、彼女も女性である。
確かに、この反対、すなわち、男性が助けを求めているというイメージは湧きにくい。ITと言っても幅は広く、例えば、ネットワーク関係の講習室を覗いてみたらほぼ99,9パーセントは男性なのである。ネットワーク科への入学資格に「女性不可」と限定されているわけでもない。女性の入学希望者が単に少ないか皆無なだけである。
以前、どこかの保育園にて、女児には車の模型で遊ばせて、男児にはバービー人形で遊ばせるという、ユニセックス的な試みが実施されたが、その試みは、失敗に終わったのであろう、瞬く間に消失していた。生理学的な性質を強引に変えようとしてもどこかで歪が出る。
そんな話をしていて、ふとテーブルに私達の視線が止まった。
シモーネと私は、いつの間にかプロセッコを一本空にしていたのだ。
これはいけない。私たち二人は勤務先を代表して参加していたのだ。人様の企画した集いにクラッシュして大量のアルコールを消費することは、こちらでは非常に恥ずかしいことなのである。私は普段、アルコール類は滅多に飲まない。とは言ってもシモーネが一人で飲んでいたわけでもない。
私たちは、主催者たちに詫びを述べそそくさとその場を後にした。あの優しい人事部長の顔を潰してしまったかもしれない、と深く反省をしたが覆酒盆に返らず。
ホテルのエレベータ・ホールを通り過ぎた時、ふと、十年前のあるゆうべのことがフラッシュバックされた。
このエレベータの前で日本の著名人をお見掛けしたことである。
見掛けただけでなく、「一緒にワインでも」、とお声を掛けさせて頂いたのだ。
何故そんなことをしたのか。
その時一緒にいたスウェーデン人男性に頼み込まれたのだ。
その男性はオンライン・チェスのチャンピオンであった。彼は、このホテルにて対戦をされていたジャパニーズ・チェスのチャンピオンと、是非話をしたいと何度も私に懇願した。
何故自分で声を掛けないのか、と訊くと、女性の方が警戒されにくいから、との理由を述べた。
女性の方が警戒されにくい、これをウーマンリブ的に解釈したらどうなのであろうか。
そんなことを追憶していたら、シモーネが提案をした。
「どこかで何か食べない?」
私とシモーネは同じ階で働く同僚ではあるが、部署も異なり、それほど親しくもない。シャンパンとトレーニングを愛する彼女と私では共通の話題はほぼ皆無であった。
しかし私は承諾した。
話もせずに親しくなれるはずもない。
私たちは、南の島の高層ビルの最上階に位置するレストランバーを訪れた。
窓際の席に座った時、シモーネは開口一番こう言った。
「ねえ、世間には結婚できるような男って残ってないわよね」
彼女が独身であることは知っていたが、彼女の主張が合っているか否かは疑問である。ストックホルムは、統計的に独身男性の多い都市である。
「貴方の理想が高過ぎるだけじゃないの?」
「そうかもしれない、でもここまで待ったから適当に妥協はしたくないのよ」
彼女の年齢は42歳であるという。42歳前後の男性の場合、結婚している人は既に結婚している。しかし離婚をしている男性も多く、離婚をしているとしたら40歳前後ではあるまいか、40歳クライシス、という言葉もある。
シモーネは続ける。
「ここまで一人で生きて来たらね、私の生活の中には男性の入る余地が無いのよ。もう私のライルスタイルが確立されて来ちゃってるわけ」
「結婚しても、相手といつも同じ行動を採らなくても良いでしょう」
離婚組の私が、結婚懐疑組の彼女にあれこれと忠言を与えられる立場でもないが、最初から駄目だと決めつけるのは残念なことである。
この頃には、プロセッコが私達のアルコール分解酵素を抱き込み始めていた。私たちは、帰りの電車の中でも引き続き、ウーマンリブについて、結婚の是非に関して、ネットデイティングの落し穴等に関して議論を続けていた。
明くる日になり冷静になって考えてみたら、私自身も、親しい人にも告げたことがなかった秘話をベラベラと彼女に告げていた。しかし、彼女がそれを覚えているかも疑問である。
これほどの頭痛を覚えたのは、久しぶりであった。
しかし、これほど楽しかったのも久しぶりであった。
お互いの秘話をカミングアウトして、シモーネとは大親友になれたのか?
否、彼女は相変わらず不愛想にツカツカと通り過ぎて行く。それはそれで良い。同僚と親友になる必要はない。
しかし、今後どこかでアフターワークがあればお互いに声を掛けあう暗黙の了解だけは出来ている。
考えてみれば、こちらもウーマンリブ推奨の歌であろうか?
ご訪問頂き有難う御座いました
日本は相変わらず酷暑とのことで、気温11度のこちらに暑さを多少分けて頂きたいほどです。くれぐれも水分補給をまめに行われて下さいね。
以前、こちらの日常に関する記事をご所望頂いたので、ドラマチックなイベントは滅多にありませんが、時々日常生活に関するこのような寄稿させて頂きたいと思います。