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不安と付き合う
どうも。ティートくんだよ。
ジンセイに「ふあん」はつきものだよね。
みんなは、ふあんなことはあるかな?
ふあんがあまりにもおおきいと、コウフクカンがさがってしまうし、パフォーマンスもおちてしまうんだ。
それに、1にち1にち、しあわせをかんじられるようになれたら、うれしいことだよね。
こんかいは、ふあんをミカタにつけるかんがえかたをしょうかいするね。
ふあんはなぜおこるの?
そもそも、ふあんってなんのためにソンザイするかってはなしからはじめよう。
ニンゲンのこうどうのゲンリは、
1. 「生きていくのに必要なもの、役に立つものを求める」
2. 「生きていくのに危ないこと、役に立たないことを避ける」
おおきくこの2つにまとめられるよ。
ゲンシテキにいえば、
「あそこにたべられる植物があったから場所をおぼえておこう」
とか、
「あそこはあぶない動物のなわばりだから、近づかないようにしよう」
とかだね。
ゲンダイテキにいえば、たとえば、「働くことが必要で、働くためにはこういう勉強が必要だからやらないといけない」とかそういったものもあるね。
ふあんというカンジョウは、どうぶつとしてのセイゾンのキキをカイヒするためのサインとしてソンザイするとされているよ。
ふあんをりかいするひつようせい
サイキンよくでてくるハナシなんだけど、ふあんのサキには、ヒツヨウなものや、ジコジツゲンのためにやくだつものもおおいということが、けんきゅうによってわかっているよ。
ゲンシテキなせいかつをしていたころから、キュウゲキにカンキョウがかわってしまったから、からだがそれにおいつけていない、ということだね。
だからタイヘンなんだけど、おいつけていないからだをすこしチョウセイすることが、ゲンダイシャカイでいきていくぼくたちにはもとめられているんだね。
これができなくてくるしんでいるヒトもたくさんいるし、キュウゲキにしんかしたジンルイをうらむか、ここまでハッテンしたいいメンをみるかはヒトそれぞれだけどね。
ふあんはともだち?
ゲンジテンでわかっている、ふあんをみかたにつけるホウホウをしょうかいするね。
リフレーミングともいわれるんだけど、「ふあん」にあたらしいワクグミをあたえるというやりかただよ。
これで、ふあんはわるいやつじゃない、とおもえるようになるんだ。
ちょうど、きらいなヒトにストレスをかんじているときに、「イガイといいヤツじゃん」ときづくようなものだね。
まずは、ふあんはただのカンジョウではなくて、きみがカラダをちょうせいするひつようがあるというアイズだととらえなおすんだ。
たとえば、あかちゃんがないていれば「どうしたのかな?」ってかんがえるとおもうけど、ふあんをかんじたときに、「あ、なんかあるんだな」とおもうことだね。
そして、もうすこしヨユウがあれば、「ホントはなにがいいたいのかな?」とかんがえてみるんだ。
たとえば、「しょうらいをバクゼンとシンパイしているんだな」とかんじるかもしれないね。
なまえをつける
じぶんのふあんへのみかたをかえるために、なまえをかえてあげるというホウホウもユウコウみたいだよ。
「しょうらいへのふあん、しんぱい」
→「しょうらいのみとおしをもちたい」
→「なにがしんぱいなのかはっきりさせたい」
といったことがかんがえられるかな。
まとめ
こういったことは、ありとあらゆるめんでオウヨウできるよ。
ストレスをかんじたときに、それをりかいして、じぶんがかわっていく。
このことをつみかさねることで、ジンカクがたかまっていくんだ。
ぼくのケンシキだと、これはかならず、かなりのどりょくがヒツヨウだとおもう。
でも、そういうどりょくをしてきたヒトって、ゲンドウをみるだけでわかるんだよね。
そういうヒトはヒトとしてソンケイできるし、じっさいにジュウヨウなやくわりをはたすこともおおいから、そういうヒトたちがふえると、しゃかいもゆたかになっていくんじゃないかなと、ぼくはかんがえているよ。
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