
改めまして、自己紹介。
気がつけばnoteを始めて1年以上!
悩みの中で始めたnote。心の状態を備忘として書き留めていただけでちゃんと自己紹介をしてなかったので、改めて自己紹介含め悩みに悩んだ人生前半〜そして残り後半の人生を生き直す!と決意し実行している現在に至るまでの経過をまとめましたので、お付き合いいただけたら幸いです☺️
幼少期からの恥ずかしい人生
自分の中に【安心感】が欠落してるなんて思いもしなかった。
なんとなく「自分に自信がない」ような感覚はあったけど、ポジティブで自己肯定とかそんなの当たり前に出来てると思ってた。
九州の真ん中に位置する県に生まれ、父母とひとつ上の姉の4人家族の末っ子。大好きな祖父と結婚すると決めていたほどのおじいちゃん子。
幼少期〜30代の記憶があまりない。それでも好きなことはやってきたし、感情も我慢せずに出してきたし、ポジティブ思考で自分は運が良いと思ってきた。「そんなに問題のない人生」を送ってきたと、本気で思ってた。
40代になり、自分の感情が分からなくなったことをきっかけに、本気で心と向き合い始めたことで遠い記憶が少しづつ甦ってきた。
思い出された微かな記憶の中にいたのは、幼少期から居場所のなさ、謎の疎外感を感じていた幼いわたし。
幼稚園でも、団地でたくさんの大人や子供たちがいた環境でも、うっすらとした壁のような見えない距離を感じていたわたしが居た。
多感なティーンエイジは父親の暴言暴力のもと「悪いことをしたんだから仕方ない」と必要以上に自分を責め、母親の「私が我慢すればいいんでしょ」という被害者意識を鬱陶しく感じ「早くこの家を出たい」と思いながら学生時代を過ごしていた。
私の学生時代は安室ちゃん全盛期。例に倣って日サロで焼いた肌に派手なメイクと厚底サンダルで夜な夜なクラブで友達とバカ騒ぎして楽しいはずなのに、なぜか感じる居場所のなさや疎外感。
当時はこんなふうに言語化できなかったけど、私だけ仲間になりきれてない感じがしてた。
きっと私がみんなのように可愛くなくて、スタイルが良くなくて、オシャレじゃなくて、ブランド品やお金を持ってなくて、足りないところばかりだからそう感じるんだと思ってた。
持ち物、容姿、友人の数…なにもかも他人のそれと比較して自分の足りなさ、貧しさ、コンプレックスを強く感じては自分へのガッカリ感と、周りへの壁を感じてた。
お金さえあれば全て解決するのにって本気で思ってた。その頃に私のお金への執着が生まれたと思う。
お金のない私は価値がない
お洋服をたくさん買えない私はダサい
ブランド品を持たない私はカッコ悪い
「お金がないと人に受け入れてもらえない」
今となればそんなことないと分かるのに、当時の私はそう思い込み、自分への失望感をひた隠しにして、表面上はイケてる自分を必死にアピールするという、気がつけば悩みを誰にも打ち明けない自分が完璧に出来上がっていた。
卒業後就職と共に上京。ホームシックという感情は一度たりとも感じたことはなく、代わりに「何かしないと、何者かにならないと」という謎の焦燥感が常につきまとっていた。
やたらイベントに参加して人に会ったり、交流したり、自分が向上する(と勝手に期待してる)ことをひたすらやって今でいう「意識高い系」。私人脈広いし〜、私幸せだし〜、私向上心あるし〜って無理やり思い込んでいた。
そんな意識高い系だった私は、行動的で社交的で陽キャでコミュニケーション能力の高い人間に見られていたと思う。私自身もその認識だった。
幼少期〜学生時代〜社会人と楽しそうに振る舞いながらも、誰といてもどこにいても何をやっていても、心の奥底にあった居場所のなさや疎外感。
いくつになっても、付き合う仲間が変わっても、住む場所や環境が変わっても、言葉にならない違和感をずっと抱えていた。
仕事はというとちゃんと正社員で働いたのは新卒で入社した会社だけ。その後転職を13回も繰り返し、スキルも経験もなく、当時の時給730円。
「情熱を注げる仕事じゃないから」という理由で仕事の出来ない自分、続けられない自分、低収入の自分を環境のせいにする日々。
「熱中できることがあれば!きっと私は続けられる!仕事で成功できる!」
ありがちなタラレバになってることに全く気づいてなかった。ようやく自分のこころと向き合い、自己理解が進んでやっと分かったのが、
その当時の私は「熱中できることがあれば!」と思いながらも自分の「やりたい」と言う気持ちは置き去りにして、”条件”で仕事を選んでいたということ。
自分がやりたいことより、お給料はいくらか、土日休みか、通勤しやすいかなど”条件”だけを見て仕事を選んでいた。仕事内容は嫌な事でなければ、はっきり言って何でも良かった。
私の長所である「社交的八方美人」が13回も転職できた理由だろう。「やりたい」という気持ちはゼロだけど、面接の時だけ、最初の時だけ、表面上取り繕うことはお手のものだった。
こうやって私は何事にも真剣に向き合うことなく、浅いところだけで乗り切ってきた。だから「私は運が良い人間だ」と思えていたのかもしれない。
本音を知ること、向き合うことが怖くてずっと目をそらしてきたことは仕事だけでなく、人間関係も然り。
人間関係は軽薄で「自分とレベルが違う人は疎遠になるもんだよね〜」なんて人と深い信頼関係を築けない原因と向き合わず、いつも周りを見下していた。そうすることで何も持ち合わせていない価値のない自分を直視せずに済んだ。
それでも表向きはうまくいってるように見せたくて嘘で固めて成功してる風を装うという、そんな恥ずかしい人生を送っていた。
全くもって「そんなに問題のない人生」ではなかったわけです。
自分を知らずに生きてきた
HSS型HSPなワタシ
そんな残念で恥ずかしい人生を生きてるなんて思いもしない40歳の時。
20年以上続けていた趣味に突然興味がなくなり、常に「何かしないと病」の私は乗馬やバイオリンなど色んなものに手を出してみた。(20代〜30代の頃と同じプロセスを繰り返し…成長なし!)
色々やってみたけどどれもしっくりこなくて。そんなことが続いたある日、
「あれ?私って何がしたいんだろう、何が好きなんだろう」
自分の感情が分からない状態に陥ってることに気が付いた。
この「自分がわからない」ことがきっかけで心と向き合うことがスタートし、その経緯で知ったのがHSS型HSP。
もともとHSP自体知ってはいて、繊細というか敏感な部分(五感の強さ、感情移入してしまう、音を聴いて泣いてしまうなど)はその通り当てはまるんだけど、こんなに外交的で行動的な自分はそれではないのだろうと思ってた。
ある日Youtubeで偶然見つけたHSS型のHSPの人の動画。それを見たときに衝撃を受けた。
驚くほど自分に当てはまり過ぎて、この人完全に私でしょ!って。これまでの人生で感じてた違和感や、謎に思っていたことがHSPにとってはあるあるなんだと知り、目から鱗とはこのことか!と感激した。
心のどこかにあったけどスルーし続けていた「なんで自分はこんな風に感じてしまうのか」という疑問が晴れて、人生で初めて地に足がついたような感覚が芽生えたのがこの頃。
「こんな風に感じる自分はおかしいのではないか」と感じていたことが一人じゃないって分かった時の安心感・安堵感は私にとって大きな一歩だった。
ここから真剣に自分の心と向き合い始める日々が始まり、noteに備忘を残すことにしたのです。
ちなみに、「これだけ自己開示してたらHSPじゃないよ」とか「私もHSPだけどわざわざアピールしないし」などの声もありますが、少なくとも私の場合は単に「この感覚が一人じゃなかった」ことに安心と喜びを感じるから書いています。
それほどまでに違和感を抱え続けながら生きてきた人間がいるというだけのこと。人は一人じゃないということが、今この瞬間も謎の疎外感に圧倒されながら生きているたった一人に伝わればそれでいいです。そのためだけに書いています。
愛着スタイル(恐れ・回避型)なワタシ
【愛着スタイル】なんて聞き慣れない言葉ですよね。
HSPについて調べるうちに『愛着障害』『愛着スタイル』というこれまで耳にしたことのない言葉と出会い、そこから愛着障害やアダルトチルドレン関連の本を読み漁っていきます。(徹底的に調べるのもHSPあるある)
そこで、自身が愛着スタイルの恐れ・回避型であることを認識します。
まさに、この愛着スタイルによる人間関係が40歳になった今も変わらず目の前でその通りに繰り広げられていたことに衝撃を受けた。初対面の人は得意なのに2回目以降の関係が苦手、相手が自分の期待に沿わないことをしたら即座に人間関係を遮断するなど…
そして、私にとって他人の体験談を読むことがなによりも重要だった。自分の経験は「たいしたことない経験」だと思っていてこれまで重要視していなかった。
幼少期〜10代の頃の自分と似た体験をした人々のことを知り、「そうか、これは悲しいことなんだ」と認識することができた。
悲しいとすら思えてなかった自分の経験。
つらい怖いとも言葉で表れなかった自分の経験。
誰かに分かって欲しいとも、分かってもらえるとも思ってなかった自分の経験。
父親からの暴力、母親からの否定…、悲しみや失望といった感情とともにこれまで忘れていた記憶がどんどん蘇ってきた。本当は平気じゃなかったのに、様々な感情を押し込めて生きてきた自分にはたと気付く。
家族と過ごした家で、私は一度も「安心感」を感じたことがなかったのだ。両親の顔色と言葉とため息と暴力に、緊張で身体は常に硬直していた。
叫び出したくなるような怒りや、嗚咽するほどの悲しみを感じていたにも関わらず、感情を完全に無視し平気なふりをして生きていた。
暴れ出しそうな感情を他人からも自分からも覆い隠すためにキラキラな自分、陽キャな自分を装って生きていたんだ…と気がついた。
(これがリアルな人間性と勘違いしてるから厄介でした)
HSS型HSPを知り、世の中にこの感覚を共感できる人がいる、一人じゃない、と知った時のあの安堵感はどこに行ったのか。
思い出された昔の記憶に付随した、ひた隠しにしてきた感情が堰を切って溢れ出す。毎日のように泣いたけど、それでも涙は枯れなかった。
もう、平気なふりはできなくなっていた。
HSPと愛着ケアを学ぶ
心療内科の扉をノックするかどうかを悩んでいた時、HSPと併せて愛着についても学べるプログラムと出会います。
愛着の着地点を見つけたい
HSPの資質を活かして仕事がしたい
安心感を感じられるようになりたい
自分を好きになりたい
切実な願いだった。正直、こんな心の状態でプログラムの期間中に鬱状態になったりしないだろうかと不安はあったけど、自分の愛着の傷と向き合いながら6ヶ月のプログラムに参加した。
ここから徐々に心に変化が起きていく。
土が潤い耕され「安心感」の種が蒔かれた。
6ヶ月間心と向き合った結果、どうなったかというのはこちらを読んで頂いて。
自分を好きになり、謎の焦燥感や疎外感が消え、自己受容ができ、自己肯定もできるようになった。
繋がりの喜びが身体の奥の方から湧き出るように感じる。こんなに心が満たされた感覚を味わえるのは、何十年も疎外感を感じながら生きてきたからこそだろう。
人生、今から生き直す
これまで自分自身で心を無視して勝手に疎外感まみれにして生きてきたわけなんですが、取り戻したいんです!
40年間繋がりを感じずに生きてきたから、残りの後半の人生は生き直すと決めました。両親とも家族を生き直したい。友人とも信頼関係を築きたい。
そう決意し、人との繋がりを喜びながら生きていたら本当に不思議なことが起きるものです。
社会人13回目の転職です(笑)。
これについてはまた別の記事にて。
同じように悩んだり生きづらさを感じたり、焦燥感や疎外感、言葉にならないモヤモヤやザワザワ。これをケアして自分をとことん好きになって、生きるって最高!人生って最高!と思えるようになるヒントやロードマップをこのnoteでまとめていきたいと思っています。
泣きながら感情を殴り書きしたノートですが、ここでこうやって誰かの役に立つことがあるかもしれません。悩みの沼にいた当時の私が知りたかったこと、日常に簡単に落とし込めるような情報、学びなどを書いていきたいです。
どうか自分の心を無視して傷つけないでほしい。そこに気付けたら最高の人生になると断言できます。その先の喜びと安心で繋がれるように活動していきます。
「安心感の種」を蒔いていきます。
誰でも戻ってこれる。心が繋がり合える。
そんな秘密基地のような場所でありたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします☺️
※2024年11月追記修正