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 何を食べるとしても自由だ。
 人間はほかの生物を食べないと生きられない。
 
「私は動物の命を奪うことはできないから植物を食べる」
というのがベジタリアン、菜食主義の人たちの主張だが、植物にだって命はあるではないか。
 ベジタリアンにとっては、動物の命は大事だが、植物の命は違うらしい。

 お隣韓国で犬食禁止法が可決された。
 3年後の2027年から施行されるそうだ。
 1988年のソウルオリンピックの際、韓国の犬食文化が世界的に知られるようになった。
「犬を食べるなんて野蛮だ」
「食べられる犬が可哀相」
「犬の命を軽んじている」
 世界中が韓国を非難した。
 韓国もそれを重く受け止め、法律で犬料理を禁止した。
 だが、実際は大通りから犬料理の店が姿を消しただけで、裏通りでは犬料理を提供する店の存在が黙認し続けられていた。
 しかし今回また改めて法律が作られ、犬食に対する具体的な罰則も強化されたというわけだ。

 私は犬を食べたことはないし、今後食べたいとも思わないが、このことで私が思い出したのは、日本の鯨食文化への他国からの干渉である。

 かつての日本では捕鯨が盛んに行われていた。
 クジラの体には捨てる所が無いと言われ、肉はもちろん、骨、油、ありとあらゆる部位が人間の生活に活用された。
 私が小学生だった1970年代前半まではクジラの肉は学校給食によく出されていた。
 鯨肉の竜田揚げはとてもおいしく、私も大好きだった。

 だが、諸外国が日本の鯨食文化を批判した。
「クジラを食べるなんて野蛮だ」
「食べられるクジラが可哀相」
「クジラの命を軽んじている」
というわけである。

 じゃあ、その人たちは、他の生物の命を食べていないの?
 牛や豚や魚を食べているんじゃないの?

 私はそう考える。
 私は犬食を批判する人も、鯨食を批判する人も、肉食を批判する菜食主義の人と同じだと感じている。

 動物の命は大事だけど、植物の命なら構わない。
 犬の命は大事だけど、牛や豚や魚の命なら構わない。
 クジラの命は大事だけど、牛や豚や魚の命なら構わない。

 批判する人は、結局こう言っているのである。

 ことはそう単純ではないのは分かっている。
 たとえば捕鯨禁止の理由の1つは、クジラの減少対策だ。
 かつて捕鯨を行っていたのは日本だけではない。
 先述したように、クジラの部位には捨てるところが無いとまで言われる。
 クジラの体は資源の宝庫なのだ。
 食用としてはもちろん、クジラの油は、燃料や機械油に使えるため、世界中がクジラを捕りまくった。
 その結果、クジラは数が減少し、絶滅が心配されるまでになってしまった。

 それを受けての捕鯨禁止だったわけだ。
 燃料や機械油としては、石油があるから、クジラを捕らなくても、そこはまかなえる。
 あとは食べるのさえ我慢すれば良かった。

 ただ、日本人は他国の人たちに比べて鯨肉が好きなのだろう。
 燃料や機械油としてのクジラの需要は無くなっても、食用としてのクジラの需要が日本にあった。
 そこで、日本では捕鯨が続けられ、世界中から批判を浴びたのである。

 クジラと犬を同列に論じることはできない。
 クジラはペットにできないが、犬はペットにできる。
 人間にペットとして飼われる動物の第1位は犬だ。
 ペット以外でも、警察犬、盲導犬、災害救助犬など、人間のサポーターとして犬は活躍している。
 人間に最も身近な動物といえよう。
 そんな「人間の友達」である犬を食べるなんて、心理的に受け容れがたい。
 犬食に反対する人たちの意見は、こういったものだ。

 クジラは人間に飼われているわけではない。
 警察鯨、盲導鯨、災害救助鯨などという、人間のサポータークジラも存在しない。
 犬に比べて、クジラは人間に身近な動物とはいえない。
 クジラは、犬のような「人間の友達」ではない。
 第一、数が少ない。
 クジラを食べたら、絶滅の恐れがあるじゃないか!
 鯨食に反対する人たちの意見は、こういったものだ。

 減ってきたから捕るのに反対するというのは、人間の常だ。
 人間は象牙を目当てに多くのゾウを捕ってきた。
 その結果、ゾウは絶滅の危機に瀕することになった。
 そのため、ゾウを捕ることは規制されるようになった。

 人間はワニ革を目当てに多くのワニを捕ってきた。
 その結果、ワニは絶滅の危機に瀕することになった。
 そのため、ワニを捕ることは規制されるようになった。

 人間はトラの毛皮を目当てに多くのトラを捕ってきた。
 その結果、トラは絶滅の危機に瀕することになった。
 そのため、トラを捕ることは規制されるようになった。

 動物愛護を訴える芸能人が毛皮のコート、革のバッグで現れて批判を浴びたなんてことがあった。
 滑稽だ。

 話を戻す。
 犬もクジラも知能が高い動物であることで知られている。
 クジラとイルカは同じクジラ目の動物で、大きさ以外に違いはない。
 クジラだって、仕込めば、イルカのように芸ができるだろう。
 クジラの芸が見られる水族館があったら、世界中で評判になるに違いない。
 まあ、そんな巨大な水族館は不可能だろうが。
 1つ1つの芸を終えるたびにご褒美として与えるエサの量だってバカにならないし。
 まあとにかく、そんな、我々人間に近い、知能の高い動物を、食べるなんて、まるで同族を食べるようで気持ち悪い――そんな思いも犬食、鯨食反対派にはあるようだ。

 捕鯨反対の理由の1つがクジラの減少対策だった。
 だが、国際的に捕鯨が禁止されたことが功を奏し、クジラの数は回復してきている。
 それを受け、日本は2019年にIWC(国際捕鯨委員会)から脱退した。
 そして日本では捕鯨が再開され、かつてほどではないものの、日本には再び鯨食が広まってきつつある。
 ちなみに、日本が脱退したため、IWCは資金難に陥っているらしい。
 日本は、まじめな国だから、こういうところにはきちんとお金を出す。
 自分たちを困らせている団体にでさえ、きっちりお金を出している。
 我が国日本は本当に立派な国だ。
 
 国連の分担金も、日本は完納している。
 日本の国連分担金額は世界第3位で未納ゼロ。
 世界第1位はアメリカだが5億ドル未納である。
 かつて日本は国連分担金額世界第2位だった。
 今は抜かれて中国が2位になっている。
 ちなみに中国も分担金は完納している。

 話を戻す。
 犬食反対の理由に犬の減少対策は無い。
 犬は世界中にたくさんいる。
 もちろん韓国にも。
 食べたからといって、犬が絶滅するリスクは無い。
 犬食反対は、あくまで心理的なものといえよう。

 かつて中国では、4本足のものは机以外全て食べるとまで言われていた。
 当然、犬も食べていた。
 犬食は、中国や韓国、朝鮮、アジアの食文化だったのだ。
 いや、アジアだけではない。
 犬や猫を食べる食文化は、知られていないだけで、ヨーロッパ、アフリカなど世界中にある。

 ちなみに日本でだって、かつては犬を食べていた。
 あまり知られていないが、第二次世界大戦の食糧難のころは、犬は貴重な栄養源としてけっこう食べられていた。
 というか、厳密には今でも日本で犬を食べることができる。
 犬料理を提供する店は実は日本にもあるのだ。
 犬を食べているのは韓国人だけではない。
 今の日本人にだって、食べたことがある人がいるだろう。

 日本で犬食は法律で禁止されていない。
 おおっぴらに行われていないからだ。
 韓国の犬食も、日本みたいに、こっそり行われていれば、禁じられることはなかったのかもしれない。
 私は犬食文化を推奨するものではないが、ある国の1つの文化を、他国が干渉して途絶えさせてしまうことは傲慢なことだと考えている。

 犬食禁止を訴える人は正義を行っているつもりだ。
 正義は悪事より始末が悪い。
 悪事を行っている者は悪を行っている自覚があり、それによって自制がかかることもある。
 正義を行っている者は、自分は正しいことを行っているのだからと自制が働かない。
 そのエスカレートした最たるものが戦争だ。
 戦争の開始理由は正義だ。
 だが、戦争は正義だろうか。

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