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 ネットは大荒れだ。
 これまで漫画原作を無断改変されたことに対する思いを訴える漫画家の皆さん、ファンの皆さんの怒りの投稿が後を絶たない。
 加えて、芦原妃名子さんが亡くなった直後の脚本家側の「原作に用はあるが原作者には会いたくない」旨の漫画家に対するリスペクトに欠けた邪魔者扱い発言。
 自分達は漫画原作を無断で改定しておきながら、自分達については「脚本家に無断で脚本を改定してはならない」という日本シナリオ作家協会の脚本契約7原則。

 私は今回の「セクシー田中さん」の悲しい出来事はコミュニケーション不全が原因だと考えていた。
 だが、そもそも脚本家側に漫画家側と健全にコミュニケーションを取ろうという意識が全く無いことが一連の上記の事実で明らかになった。
 きちんと法整備をし、契約違反に対する罰則を強化するしか、今後の解決の方策は無いだろう。
 どんなに罰則を強化しても、きちんと漫画家の意向に沿った映像化がなされるのであれば、誰も何も恐れることは無いのだから。

 では今回も、これまで私自身が視聴してきた、映像化に当たって漫画原作が改変されたケースについて書いていきたい。

【ワイルド7】
 望月三起也氏によるアクション物だ。
 漫画と実写との相違をいくつか挙げる。

・テレビ版では、リーダーの飛葉は、亡くなった兄を継いでワイルド7のリーダーになった。原作の飛葉の兄は生きており、そもそも警察関係者ではない。
・原作には登場しないブラックスパイダーという固定の敵組織が登場。
・原作で殉職するのは世界とチャーシューだったが、実写で殉職したのは両国。後任は実写オリジナルキャラクターのモヒカン。

 およそ原作とは異なる改変点ばかりだ。
 テレビ番組自体は好評だった。
 当時小学生だった私も観ていた。
 上記に対して作者の望月氏がどう考えていたのか私は分からない。
 「漫画と映像作品は所詮別物、そんなものだ」と諦めていたというか、悟っていらしてのではないかと想像する。

【てんとう虫の歌】
 小学館の学習雑誌に連載されていた川崎のぼる氏の漫画のアニメ化だ。
 リアルタイムで読んでいた漫画がアニメ化されたのを観たのは、おそらく私にとって本作が初めてではなかったかと思う。
 こちらも改変点だらけ。

・漫画原作では両親が飛行機事故で亡くなる前の段階から描かれ悲劇性が強調されたがアニメは既に亡くなったところからスタート。亡くなった理由も飛行機事故ではない。
・たくさん飼っている動物の内、漫画は猫が4匹だが、アニメは1匹のみ。
・原作では連載1年かけて描かれた母親の双子の叔母登場の長編エピソードも30分1話で完結。

 他にもいろいろ挙げていけばキリが無い。
 アニメ化に対する私の第一印象は「漫画と違うじゃないか!」
 ただ小学生ながら既にいろいろな漫画と映像作品の違いを観てきていたので、「そういうものか」と仕方なく受け容れていた。
 アニメは2年放映されたから視聴率的にも悪くなかったのだろう。

【うる星やつら】
 漫画家から演出家への不信が特に有名なのが映画第2作の「ビューティフル・ドリーマー」だ。
 私は映画に限らず、「うる星やつら」の漫画とテレビアニメを見比べて、明らかなテイストの違いを感じ取っていた。
 漫画は女性の感性で描かれている(作者の高橋留美子氏が女性なのでそれは当たり前だ)のに対し、アニメは男性の感性で描かれているのだ。
 なんというかテレビアニメに対しては、こう、あえて男を喜ばせるような作りになっているのを感じていた。
 そんな描き方をしなくても、「うる星やつら」は十分男性ファンの心を掴んでいた作品だったのだが、なんであんな描き方をするのだろうと観ていて違和感が大きかった。
 特に私が嫌だったのが、原作に登場しないメガネ、カクガリ、チビ、パーマという、令和の今なら人権感覚的に完全にアウトな呼称をされていた4キャラクターだった。
 いや、厳密にいえば、漫画にもそれらの容姿のキャラクターは登場していたのだが、先述のような呼称はされておらず、レギュラーでもなかった。
 しかし、アニメ版ではこの4人(特にメガネ)が重要なキャラクターとして登場し、大きな顔をしてふるまっていた(と、私には見えた)のである。
 このメガネが、私には演出家の押井守氏に見えてしかたなかった。
 高橋留美子氏の作品世界に、高橋氏のキャラクターの姿を借りて土足で入り込み傍若無人を繰り返す――私の目にはそう映っていたのである。
 アニメ版でのメガネ、カクガリ、チビ、パーマの4キャラクターはそれなりに人気があった。
 彼らに自身を重ねて観ていたファンが少なくなかったのだろう。
 彼らを通して、まるで自分達もまた「うる星やつら」の世界の中にいるような疑似体験をしていたのだ。
 そうやって、諸星あたるにはなれないけれど、取り巻きの1人としてラムのそばにいられる――そんなバーチャルな満足感を与えることで、共感するファンの数をアニメは増やしたのだ。
 事実、当時の「うる星やつら」の人気はすさまじく、コミケのコスプレでは、女子は誰もかれもトラ縞ビキニを着ていたものである。
 男女どちらにも人気の高い作品だったのだ。

 令和に「うる星やつら」のアニメがリメイクされた。
 昭和時代のアニメより原作に寄せているように私には感じられた。
 押井氏は関わっておらず、当然、メガネ、カクガリ、チビ、パーマは登場しない。
 居なくて本当に良かったと思う。
 ところが観て私は思った――

 アップデートされてない!

 内容ができるだけ原作に寄せてあるので、時代設定もキャラの言動も昭和のままなのだ。
 人権感覚、ジェンダー観、今観ると違和感がある。
 「うる星やつら」は、やはりあの時代であったからこその人気作であったのだ。
 現在は、あまりにも無数のラブコメ作品が溢れすぎている。
 その1つとして令和のアニメ「うる星やつら」が埋もれてしまった感は否めない。
 「うる星やつら」はラブコメのはしりの傑作だ。
 だが、令和の今の感覚からすると、やはり古いと感じさせる内容、「その言動って今どうなの」と思わせるキャラクターなど、私は観ていてちょっと苦しいなと感じざるをえなかったのであった。

【ウイングマン】
 1980~90年代は「少年ジャンプ」の黄金期で、たくさんの作品がアニメ化された。
 原作漫画との違いを不満として挙げれば、やはりキリが無い。

・「聖闘士星矢」の聖衣が、スポンサーの玩具メーカーのデザイン採用のため、アニメ版では「かぶりもの」だった。
・「北斗の拳」でのレイは秘孔心霊台を突かれたことで白髪化するのに、アニメ版では最初から白髪。そのため、心霊台のアニメ描写のインパクトが弱くなった。
・「地獄先生ぬ~べ~」での呪文の言葉変更。また、児童の喫煙描写が缶コーヒーに変更。まあ、アニメ版の場合、表現を一般向けにコントロールするので、これはある程度は仕方ないか。

 上記の変更はそれでもまだ容認できた。
 だが、「ウイングマン」のアニメ作品だけは、作品のテイストが全く原作と異なってしまっており、作者の桂正和氏が体調不良で休載したのはアニメの酷さが理由だったとファンに噂されたほどだ。
 特撮好きだった私は、特撮ファンの少年が本当にヒーローになってしまうストーリーの「ウイングマン」を本当に毎回楽しく読んでいた。
 アニメ化にも期待した。
 ところが、いざアニメ化されたら主題歌からしてイメージ大外れ。
 何だかラブコメに特化した作品に改変されており大いに落胆したのであった。

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