お金持ちの家の床に置かれている物とは!? コスパ、タイパ、スペパ(コストパフォーマンス、タイムパフォーマンス、スペースパフォーマンス)を制する者は、人生を制す! 実力のある教師の教室とは? 4S 整理 整頓 清掃 清潔 「ブラック・ジャック」「ザ・シェフ」
「家具が無い!」
剣名舞原作・加藤唯史作画の「ザ・シェフ」という漫画をご存じだろうか。
外見が手塚治虫の漫画に出てくるブラックジャック似の天才料理人 味沢匠(あじさわたくみ)が、様々な人たちと関わる中、料理を通して関わった人たちの問題を解決していく――概要、こんな作品である。
原作の剣名氏は「手塚氏のブラックジャックを料理漫画でやってみた」と語っているので、ブラックジャックの料理版と考えて間違いない。
この作品を読んでいて私の印象に強く残った場面がある。
味沢匠の部屋が出てくるのだが、ほとんど何も無いのだ。
キッチンや調理器具などはしっかりしているけれど、あとは小さな椅子とテーブルしかない。
ベッドはあるだろうけれど、テレビはもちろん無いし本棚も無さそう。
衣類を収納するクローゼットはさすがにあるだろうけれど、衣類はいつも着ている黒っぽいのしか無さそう。
味沢匠は、今でいうミニマリストなのだ。
さて、では、本題のお金持ちの家に置かれている物の話に入る。
お金持ちの家は物が少ないのだ。
まあ、味沢匠のようなミニマリストほど極端ではないが、必要最低限の物しかない。
その必要最低限の物は超高級品だったりするのだろうが。
お金持ちの家の部屋に置かれているのは家具だけだ。
テレビ、テーブル、ソファ、ベッド等々。
鞄やらチラシやら脱いだ服やらダイレクトメールやら買い物袋などが無造作に置かれていることはない。
いったん置かれることはあるかもしれないが、それらは直ぐに所定の場所に戻される。
だから、床の上に物が置かれ続けることはない。
時々テレビでゴミ屋敷の番組を見かけるが貧乏人の部屋は対照的だ。
物だらけ。
床の上には家具どころか、ありとあらゆる物が置かれている。
というか散らかっている。
床が見えない。
床が見えないどころか、ゴミかよく分からない物がもう何層にも積み重なって、すごい場合は天井まで達していたりする。
ここからシンプルな真実が見える。
お金持ちはお金があって物がない。
貧乏人は物があってお金がない。
分かりやすいように両極端なケースを紹介したが、これを読まれている方、ご自身を振り返ってみてどうだろう。
あなたの部屋の床には、家具以外の物が常時置かれていないだろうか。
お金持ち具合は、床面積の見え具合に比例するという研究もあるそうだ。
床の見える割合が広い人ほどお金持ちということである。
これは学校の教室を見ても言える。
実力のある教員の職員室の机上はきれいだ。
すっきり片付いている。
いっぽう、そうではない教員の机の上は物がごちゃごちゃだ。
そうではない教員は、担任する教室も同様だ。
いつ行っても雑然としている。
廊下のフックからは、子どもの体操服袋や上履き袋、給食白衣の袋などが落ちている。
掲示物ははがれたまま何日も放置。
教室内では何人かの子どもの持ち物が机の周りに落ちているのに教員からの指導は入らない。
教室の本棚もぐちゃぐちゃ、ロッカーの上に並べらている図工の作品もぐちゃぐちゃ、もちろん教卓の机上もぐちゃぐちゃ、開ければ引き出しの中もぐちゃぐちゃだ。
子どもに、
「掃除をしましょう」
「整理整頓しましょう」
と指導する立場の教員がこれでは手本にならないではないか。
子どもは大人の言動を見て学ぶ。
この教室は子どもに対し
「物はぐちゃぐちゃにしておくものだ」
という教育活動を行ってしまっているのだ。
子どもを取り巻く環境は、環境それ自体が教師である。
良い環境は子どもに良い教育効果をもたらす。
悪い環境は子どもに悪い教育効果をもたらす。
校長から話をすると、
「あの子はいつも整理整頓できない子なんです」
と言う教員がいる。
だが、翌年、別の教員が担任になると、その整理整頓ができなかったはずの子の机周りもいつもきちんとなっていることがある。
教員からの適切な支援が入っていたかどうかの違いだったのだ。
我々教員は、子どもを教え育てるのが仕事である。
「教育」という熟語は「教え育てる」と書くではないか。
中には、校長室がぐちゃぐちゃしている校長がいる。
まったくあきれる話だが実在する。
私は時々他校の校長室を訪れるが、私物だか何だかよく分かれない物が置かれていて、ただでさえせまい校長室がよりせまくなっているケースを目にしたことがあった。
その私物は、いったんちょっと置いた物だったのかなと思ったが、しばらくしてまたその校長室を訪ねると、相変わらずそれはうっすらホコリをかぶったままそこに置かれっぱなしだった。
4Sという言葉がある。
トヨタで言われている片づけの極意、整理・整頓・清掃・清潔の頭文字をとったものだ。
整理とは物を捨てること。
ごみを、不要な物を、使わない物を捨てるのだ。
これ、たとえ未使用だとか、壊れていないとか、まだ新しいとかであっても、使わないのなら捨てる。
部屋の広さ、家の広さは限られている。
スペースは無限ではない。
限界がある。
捨てよう。
整頓とは物を元に戻すこと。
だから、どの物にも住所を決め、使ったら必ずそこに戻さなければならない。
あなたの部屋には、住所が決まっていない物がありはしないか。
物があり過ぎて、しまえる場所がなく、もしかしたら住所不定の物があふれて床面積を狭くしたりしてはいないか。
床面積を狭くするのは貧乏人への第一歩だ。
床に置かず、物の住所を決め、そこへしまおう。
物があり過ぎてしまえる場所が無いというのなら、何かを捨てて場所を作るのだ。
物を戻そう。
清掃とはごみを取り除くこと。
ロボット掃除機という物があるが、これ、整理整頓ができていない部屋では使えない。
床の上に物が無く、あとはごみを取り除けばいいだけの状態になってないと、ロボット掃除機を稼働させることはできないからだ。
あなたの部屋が清掃できる状態にあるかどうかの判断は、今その部屋でロボット掃除機を動かせる状況であるかどうかが1つの指標となるだろう。
もちろん、手作業でほうきやモップをかけるのでも構わない。
ごみを取り除こう。
清潔とは、整理・整頓・清掃が済んだ状態が保たれていることだ。
だから、清潔をキープするには、常時、整理・整頓・清掃が行われていなければならない。
ダイエットも同じだ。
一時期やせてもリバウンドでまた太ってしまっては意味がない。
部屋も、いったん綺麗になってもリバウンドでまた散らかってしまっては意味がない。
常に清潔であることを習慣にしよう。
コスパ(コストパフォーマンス)、タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉がある。
コスパはお金の有効活用、タイパ(タムパとも言う)は時間の有効活用だが、最近聞く言葉にスペパ(スペースパフォーマンス)がある。
空間の有効活用だ。
我々に与えられた空間は限られている。
そこに、ごみやら、使わない物やら、不要品やら、見た目の悪い物があったら、空間を有効に使っているとはいえない。
我々が住んでいる家は、ローンなり家賃なりのお金を払って居る場所なのだ。
その空間にも、常にお金が発生しているのである。
要らない物をそこに置くというのは、ごみに家賃を払って居るのと同じだ。
部屋が散らかっているということは、24時間お金を無駄遣いしているということである。
我々は、スペパを常に意識して、人生を送ろうではないか。