学校を脅かすモンスターティーチャー、会社を脅かすモンスター社員
モンスターペアレントという言葉を生み出したのは教育技術法則化運動(現TOSS)の向山洋一氏。
教育技術法則化運動において、最も世間一般に認知されたのは、様々な教育実践ではなくて、この「モンスターペアレント」という言葉だ。
ちょっと残念には思う。
平成から令和にかけて、クレーマーやハラスメントという概念も一般的になり、様々な理由により他者を攻撃する人たちの存在が問題視されるようになってきた。
セクハラ、パワハラ、モラハラ、アルハラ、スメハラ、アカハラ、デジハラなど、こういったいやがらせの類は枚挙に暇がない。
昭和時代の頃は、教員世界もひどかった。
校長によるセクハラ、パワハラも横行していた。
私はいやな思いをさせられた女性教師を知っている。
しかし昔は、非常に残念なことに、それが当たり前というか、そういうものだとして容認されていた。
公教育に携わる人たちの集まりである学校現場でさえそれなのだから、民間では更にひどかっただろう。
令和の今でさえ、セクハラ、パワハラの報道は後を絶たない。
昭和時代は、どれほどひどかったことだろうか。
さて、ハラスメントだが、何も上の者から下の者に対して行われるものばかりではない。
最近では、部下から上司に対してハラスメントを行う、モンスター社員の存在が問題とされるようになってきている。
・上司に大声で逆らう
・他の社員を罵倒する
・遅刻、無断欠勤
・指示に従わない
・権利ばかり主張
モンスター社員には、ある種の発達特性がある場合があり、割と仕事はできるケースもあるようだ。
だが、たとえ仕事ができたとしても、人間関係を滅茶滅茶にしてしまう者の存在は、職場を職場として成立させない要因になってしまう。
極論を言えば、仕事はできるが人間関係滅茶滅茶な人より、仕事はできないが人間関係良好な人のほうがまだましである。
といって、職場に莫大な損害を与えてしまうほど仕事ができない社員の場合、それはそれで困るが。
残念だが、学校には「モンスターティーチャー」と言わざるをえない教員が、一定数存在している。
・校長に大声で逆らう
・他の教員を罵倒する
・遅刻、無断欠勤
・指示に従わない
・権利ばかり主張
ここまではモンスター社員と同じだが、教員の場合、更に問題の根が深い。
彼らは子どもに関わるからだ。
子どもに対して、罵倒したり、体罰をふるったり、セクハラしたり、差別したり、いじめを放置したり、誤った知識の授業を行ったり――こうしたことは、非常に大きな問題だ。
教室は密室であり、他の大人の目が届きにくい。
校長も校内を巡回して、各教室の様子を見て回るが、朝から帰りまで張り付いているわけではない。
モンスターティーチャーにもまた、モンスター社員同様、ある種の発達特性があるケースが少なくなく、彼らは自覚しながら、それを巧妙に隠して、問題行動を行う場合もあるため、発覚するのが遅れるときがある。
子どもがつらい目にあってしまった、教員によるセクハラや体罰の報道を見聞きするたびに心が痛む。
だが、こういったモンスターティーチャーの存在を、校長がどうにかするのは極めて難しいのだ。
モンスターティーチャーにいろいろな問題行動があったとしよう。
その教員を校長が呼んで指導を入れたとしても、素直に聴き入れない。
どころか、怒鳴り返してくる場合もある。
そして、そのようにふるまう教員に対し、校長はもう手立てをもたないのである。
校長には、解雇の権限も人事異動の権限も、給与減額の権限も無い。
公務員はものすごく手厚く権利が保障されている。
教育委員会といえども、おいそれと解雇はできない。
いったん採用してしまえば、それこそ新聞沙汰レベルの問題を起こすくらいまでしないと、処分までには至らない。
新聞報道レベルでも、免職にならないケースもある。
いやはや、そんな教員と、学校の校長はじめとした周りの教職員は引き続きいっしょに勤務をしていかなければならない。
子どもや、その教員が勤務する学校に引き続き通い続けなければならない。
なんともひどい話である。
しかも、そんな問題教職員が、60歳でやっと定年退職してくれたと思っても、再任用という制度がある。
どんなに問題がある教職員でも、本人が希望する限り、教育委員会は65歳まで再任用しなければならない法的義務がある。
年金支給開始年齢が65歳からなので、生活保障のためだ。
免職レベルの教職員でない限り、教育委員会はその教職員を65歳まで雇用し続けなければならない。
子どもにも周りの教職員にも保護者にもホントに迷惑な話だ。
私は、現場責任者である校長に、ある程度の人事権や給与決定権をもたせたほうが良いと考える。
場合によっては、年度途中でも問題教員を異動させるぐらいでないと、この問題は解決できないだろう。
解雇できないなら、せめて異動させるのだ。
そうすると、当然、教職員が校長の顔色ばかり見るようになるかもしれないという問題点が生じうる。
だが、校長は職場の上司であるのだから、部下である教職員がある程度、校長を気にするのは当然だ。
校長を完全無視して好き放題されたのでは、職場は組織として成立しない。
解雇できない公務員の問題は、これまでも指摘されてきた。
公務員なので、学校に限らず、警察、消防、役所、水道局など、いろいろあるのだが、そういった職場において休職を繰り返す職員がいる。
多くは精神的な病気が理由だ。
彼らは制度を熟知している。
一定の期間休むと、やめなければならないケースがあることも知っている。
すると彼らは1日だけ出勤してくる。
そしてまた長期間の休職に入る。
公務員の身分を失わないことで、貰えるお金があったり、健康保険証やら何やらで優遇される面がある。
そして、定年退職となれば、多額の退職金が貰える。
彼らが休職している場合、その穴は当然他の職員が埋めている。
場合によっては2人分、3人分働く職員も居る。
今、学校現場は人手不足だ。
休職する教員が出ても、補充の人員は直ぐに配当されない。
すると、穴を他の教員が埋めなければならない。
人の分まで仕事ができるのは、当然力量の高い教員だ。
優秀な人は、ますます忙しくなる。
仕事のできない教員は、自分一人の仕事も満足にできず、周りから助けられながらどうにかこうにか毎日を送る。
不公平だという声が聞こえてくる。
が、校長にもどうにもできない。
単純に、教員の待遇がもっと良くなれば教員志望者は増えるだろう。
だが、ブラックブラックと言われて久しい学校現場だ。
部活動指導があれば、土日も満足に休めない。
平日も早朝から出勤して、遅くまで仕事。
最近は、働き方改革、業務改善がやかましく言われて、遅くまで残れば残ったで文句を言われる。
働き方改革で、かえって働きにくくなった。
これは、学校だけでなく、日本の職場全体に言えることのようだが。
大声を出したり暴力をふるったりするのが「動」のモンスターティーチャーなら、休みがちだったり仕事をしなかったりするのは「静」のモンスターティーチャーだ。
こういった動と静のモンスターは、モンスター社員として民間にもいるだろう。
モンスター問題を解決しない限り、今後の日本の未来は明るいとは言えない。
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