届きそうで届かない、むずむず。
昔は私も若かった
19歳。大学1年生の時アルバイトとして、予備校で働き始めた。それ以来、バイトや社員、私学教員そして現在はフリーランスでの契約講師と雇用形態や勤務場所を変えつつも、実に25年近く教育、生徒という存在に関わり続けている。
もう何千人の生徒たちと出会っただろう。
彼らと接する機会、時間が積み重なるほど、私は彼らを 理解するのが難しい、と思うようになった。
授業スキルは、年数、コマ数をこなし、研究を重ねれば重ねるほどあがる。
その実感、手ごたえがある。
一方で、生徒たちと向き合い、会話を重ねるほど、 分からん。 と思った。
河合隼雄先生からの示唆
彼らの心に近づけそうで近づけない。
そりゃね。私は20年以上たっても私だが、向き合う生徒は1年や数年で入れ替わる、いつもその時々の15~20歳前後の若者たちなのだ。若者文化や気質の変化、私が大人になりすぎたという理由もあるだろう。
その実感はもちろんある。
でも、なんだろな。それだけじゃない気がするんだよなぁ。
そう思ったときにたまたま読んだ本が、『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』という対談形式の本だった。
私は河合隼雄さんの思索や経験に触れることが好きで、彼の本をいろいろと読んできた。日本の臨床心理界の第一人者として、臨床経験も豊富な彼からは、人として、また人に関わる職業に就く者として学ぶことが多い。
そして、臨床経験から到達し、生きる上で重要とした「生きるとは自分の物語をつくること」という彼の思考の根本を知った。
ちなみに、これはそのまま、小川洋子との対談本のタイトルでもある。
私は村上春樹との対談において、河合隼雄の提示した人生の枠組みの見方を知った。これは大きな示唆となった。
生徒ひとりひとりが人生という物語をつくっている。
同じことを見たとしても、彼らから語られる物語と私のそれは異なる。
ここになにかあるぞ、と思った。
しかし、肝心の「なにか」にたどりつかない。
読めば読むほど、届かなくて"むずむず "する。
私にとってこの本はそういう本である。
鷲田清一とのリンク
また、同じ時期読んだ鷲田清一の『待つということ』に共通するテーマもあった。偶然を信じて待つということ。それが難しくなった世界。
それも、私の、分からん。を生み出す要因のひとつなんだろう。
同僚たちに貸すと、「読み込みすぎてボロボロになったので」と新品で返ってきたこと3回。そして、返却する前に、決まってみな、自分のためにも1冊購入するのだ。そして、"むずむず"を自分なりに解き明かそうとしている。
はてしなき物語
もう10回以上読んでいるというのに、私もいまだに、むずむずしたままだ。
そういう意味では、この本は、私の人生、物語の一部を成している。
ここがいい!と具体的には言えない。なんとも情けない書評だという自覚はある。
しかし、しかし、なのだ。
ぜひ、この、むずむずを体験するとともに、
あなたにとって、その"むずむず"が何なのか。どこから生まれているのか。
ぜひ手に取って読み確かめてほしい1冊だと、自信をもってお勧めする。