それは、チュニジアのカフェでの会話から生まれた #令和のお祭り騒ぎに思うこと
「令和」が始まった。
わたしは、天皇制としての日本の植民地支配の歴史と、元号による時間の支配という観点から、(これらの文脈を考慮に入れずに)「令和」を取り上げるということ自体、ある種の暴力性をはらむものなのではないかと思っている。
そもそも、すべて神道が前提であって、多様な信条を持つ人たちが排除されているとも感じる。
だから、「平成」から「令和」という時間軸で生活することをわたしは避けてきたし、本当はこのタイミングに合わせて何か書く、ということもしたくない。
しかし、世間としては「平成最後」の日であった一昨日、どうしてもわたしにとって、黙っていることが難しいことが起きていた。
日本の放送局が軒並み天皇の退位と元号の変化をお祭りのように取り上げ、同じニュースを繰り返し流している裏で、ベネズエラでは野党指導者の率いる反体制蜂起が始まっていた。
世界のメディアの多くはこれを取り上げ、CNNはずっと現地の様子を中継していた。
これを見て、わたしが思い出したのは、チュニジア出身の大切な人たちのこと。
そして、2011年2月のことであった。
チュニジアのカフェでの会話
今年2月、わたしはチュニジアにある、ジェルバ島というところにいた。
現地出身の友人に会いに行っていた。
現在はパリの大学院に在籍している友人は、里帰り中だったにも関わらず、快くわたしを毎日いろいろな場所に連れて行ってくれ、家族やその人の友人にもわたしのことを紹介してくれた。
それは、ある日の夜、友人と、その友人ら4人でカフェに行って、お話をしているときのことだった。
友人は、久々に会う仲間たちとともに、お互いの近況報告をしていた。
チュニジアでは、2011年1月に市民の抗議運動によって、当時のベンアリ独裁体制が崩壊した。
その後、同時期に体制崩壊をしたエジプトやリビアなどとは異なり、チュニジアでは平和的に民主化が進んだ。
だが、現在も同国は政治の面でも多くの課題を抱え、失業率も高く、人びとの生活は決して安定しているとはいうことができない。
チュニジアに住む仲間たちの口から出てくるのは、いかに同国での生活がストレスに満ちていて、閉塞感に溢れるものなのかということ。
政治の話は、若い人たちにとって避けて通れないものなのだという。
そして、話の流れの中で、話題は難民へと移った。
例えばシリア難民にしても、この人たちにとっては、日本に暮らすわたしたちが想像できないくらい、ずっと身近な話だ。
「カナダでは、難民にも様々な権利が認められている。」
わたしはこの時、とても悔しい気持ちになった。
誇りをもって、日本も、と言うことができないからであった。
日本の方がチュニジアやシリア、あるいはカナダより「進んで」いる、と言いたかったわけではない。
わたしたちが助けて「あげる」んだ、とかいうつもりでもなかった。
だけど、曲がりなりにも世界で三番目の経済大国であり、国際社会の中でそれなりのパワー持っているわたしの国は、その恩恵に見合う責任を果たしていないんじゃないか、と思ったのである。
足元を見る、ということ
わたしは、2011年まで4年間リビアで暮らし、中東北アフリカの人たちが偶然そこに生まれたというだけで、わたしの想像を絶するような不正義に晒されている姿を見てきた。
それにも関わらず、リビアの人も、チュニジアの人も、外国人であるわたしにとてもよくしてくれた。
中東北アフリカの人たちは、犠牲者であって、しかし同時に犠牲者ではないのである。
そんな人たちと共にありたい。
困難な状況に置かれているのであれば、何とかわたしも一緒にその状況を変えたい。
常にそう思っているけれども、それ以上に大事なことがあるともわたしは思ってきた。
それが、わたし自身のいる場所で、責任を果たす、ということだ。
歴史学者のテッサ・モーリス・スズキは「謝罪は誰に向かって、何のために行うのか?——「慰安婦」問題と対外発信」において、今の日本の若い世代がどう過去の歴史の責任と向き合うべきであるのかについて、以下のように述べている。
日本の若い世代は、先行世代がおこなってきた悪行の数々に直接的な「責任」を負わない。しかし、その悪行の数々を隠蔽し風化し書き換えるプロセスに関与する、あるいはそのプロセスを黙認するようであれば、そこに「責任」が生じる、とわたしは考える。
スズキは、過去の暴力が生み出した構造が今日も再生産され、その中で何らかの恩恵を受けているのであれば、そこには過去の歴史との関わり、そして「責任」が生まれる、というのだ。
そしてこれは、過去の歴史だけではなく、現在、世界で起こっていることにもいえると思う。
日本のわたしたちとして、例えばチュニジアに対して、あるいは難民に対してできることは、多くはないかもしれない。
そもそも、もっと近くにいる、より直接的に責任を負うべき困難な状況にある人のことすら、見て見ぬ振りをしてしまっているかもしれない。
でも、その少なくはないはずのできることを、わたしたちは実践しているだろうか。
そうした圧倒的な不平等のある社会で、わたしたちは恩恵だけを受けて暮らしていないだろうか。
わたしは、今起きている不正義を是正するには、変わるべきはわたしたちの方だと思っている。
そして、チュニジアのカフェでの会話の中で、チュニジアの人たちの優しさに触れながら、わたしはそれを改めて強く感じたのである。
チュニジア、リビアからベネズエラへ
さて、話を一昨日のことに戻そう。
改めて、一昨日、ベネズエラではマドゥロ現政権に反対する蜂起が行われた。
市民は街に繰り出し、軍の一部も離反して体制反対派についた。
だが、最初のツイートの映像が示しているように、政権に忠誠を誓う軍によって、市民らは弾圧された。
それも、とても暴力的な方法によってだ。
これを中継で観ながら、また一方で日本の放送局で永遠と流れる令和の話題を前に、わたしの頭に最初に思い浮かんだことがあった。
それが、先に挙げたチュニジアの話、そしてさらに遡って、2011年2月、わたしがリビアから日本に退避した時のことであった。
わたしにとって、一昨日、目の前で起こっていたことは、まさにチュニジアのカフェでの、そして8年前の光景の再生だった。
わたしたちは、また、沈黙という暴力を繰り返している。
何も変わることができていない。
そのことが、とても悔しかった。
次の日に報道すればいい、という考えもあるかもしれない。
だけど、蜂起の当日の人びとが体制へと立ち向かった時の勇気、体制派の圧倒的な力を前にした時の恐怖、絶望、そしてもしかしたら痛みや死は、その時のものであって、取り返しのつかないことである。
その声を「後回し」にする、ということは、大きな意味を持つことであるとわたしは思う。
元号や日本の歴史が、日本の多くの人たちにとって大切な意味を持つものであることは理解する。
そして、令和を記念に平和を祈ることは、何もしないよりもずっといいことかもしれない。
わたしもここまで書いてきたものの、ベネズエラの蜂起という、大きなことが起こってはじめて声を上げた人間の一人なのかもしれない。
だけど、だからこそ、自戒の念を込めて言いたい。
平和を、人の命の重さを、自分たちにとって都合のいいときだけに持ち出すのは、もうやめにしよう。
Minori.
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