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檸檬読書日記 中国ドラマに、詩にダイヤモンドの煌めきを、手紙の中の日本人。10月21日-10月27日

10月21日(月)

金木犀は良く見かけるけれど、銀木犀を見かける機会がない。自分が気づいていないのか、日本にはあまりないのか。
金木犀と銀木犀、匂いは違うのだろうか。庭に金木犀も銀木犀も植わっていたら素敵だろうなあ。



アイナール・トゥルコウスキィ『おそろしい山』を読む。絵本。

あるところに、不気味なおそろしい山があった。誰も近寄りたがらず、登った者はいなかった。
だがある日、一人の男が山に踏み込もうとする。迎えたのは「目を凝らすべし」という案内板で…。

最初は、噂通りの不気味でおそろしそうな見た目に、何が起きるのだろうかと、男と共に不安でドキドキとする。
けれど、それでも1歩1歩近づき目を凝らすうちに、おそろしかったものは見た目は変わらないまでも見る目が変わり、どんどんと惹き込まれていく。
摩訶不思議な生き物のような山は、恐ろしくも不気味で、モノクロなのも暗さと恐ろしさを増させるけれど、それがまた癖になる魅力に思えた。
独特な世界観が凄く好みだった。

おそろしいからと、目を逸らし避けるのではなく、1歩踏み出し「目を凝らす」。その大事さをしみじみと感じさせられる作品だった。







10月22日(火)


おやつにみたらし団子。
たまに食べたくなる。みたらし団子は、あまじょっぱい史上ナンバーワンな気がする。



中国ドラマ『琅琊榜 麒麟の才子、風雲起こす』(全54話)を観る。

母親に激推しされて観てみた。
いやぁ、長かった。大体毎日2.3話ずつ観ていたけれど、50話以上あるだけに結構時間がかかってしまった。字幕だからずっと観ていなくていけないというね。同時に何も出来なくなるから、字幕は基本的に観ないのだけれど、あまりに激推しするから観てみたら、結構ハマってしまった。流石分かってらっしゃる。

物語は、中国お馴染みの陰謀と権力争い。そして頭脳戦。
主人公は、梅張蘇なる病弱な男。彼は、復讐と貶められた者たちの名誉回復のために、地獄の苦しみから蘇り、渦中の都・朝廷の権力争いへと足を踏み入れる。

梅張蘇は、かつて最も功績を上げ信頼を置かれていた軍を率いた将軍の息子だった。けれど陰謀により、父親と仲間たち7万人を失う。彼自身も相当な痛手を負い、火寒毒に侵され容貌が全く変わってしまう。身体も衰弱し病気がちになるが、優れた頭脳と人脈により大きな力を得て、万全な準備をもって朝廷へと挑んでいく。
朝廷では、2人の後継者候補が争いをし、皇帝になるのはどちらかだと思われていた。しかし梅張蘇は、そのどちらでもない第7皇子・靖王を皇帝にしようとする。
靖王は、まさに武人というような生真面目で情義に厚い人物で、それゆえに融通が効かずに煙たがれ、後継者候補として捉えるものはなく、冷遇されていた。誰もが眼中にない人物。
けれど民を思う気持ちは誰よりも強く主君に相応しい人柄であるため、梅張蘇は自分がかつての親友だということは隠し、綿密に綿密に策を練り、準備をし、他2人の候補を追い詰めていく。そして自分たちを貶めた首謀者をも。

用意周到に行われる策が、見ていてわくわくする。伏線がいたるところに張り巡らされ、まるでパズルのようで、最初はバラバラのように思えたことが、次第に繋がり初め、カチッと嵌った瞬間は感動すら覚える。
計画のためには、誰にも自分の正体を知られてはいけない。特に親友(靖王)には、というのがまた切なくて、なぜ気づかないんだ!と、もどかしくもある。周りはあれ?と思うのに、何故か靖王だけが気づかないのがもう…。まあ、それで良いのだけれど、良いんだけれど…くぅ。
それでも時々素の自分を出してしまうのには、にまっさせられた。しまった…!となるのがね。でも疑いつつも気づかないから、くぅ。

陰謀渦巻いてドロドロとしたり、設定が設定だけに切なくも悲しいところもあるけれど、結構クスリと笑える場面もあるのも魅力ではある。その緩急の具合が絶妙に上手く、だからこそ長くとも観ていられる。
軽快な会話も面白いけれど、戦闘シーンも有り得ない感じがこれまた面白い。とにかくよく飛ぶ。これでもかと言うくらい飛ぶ。屋根の上に飛び乗るのは当たり前で、闘っている時もあっちこっちと有り得ないほどに飛んでいく。そういう演出がまた中国らしいなあと。ジャッキー・チェンとかもそうだけれど、そういう有り得なさもまた良い。

ただ中国というか海外の歴史ものでありがちだけれど、名前や役職を覚えるのが大変だったり。(中国ものは特に、場面によって呼び名が変わったりするから)登場人物も多く、顔も似ている(そう感じるのは自分だけの可能性もあるけれど)から、最初は誰が何で味方で敵で何やら何やらなのかとなる。まあ気にせず観ていけば結局なんとかなるのだけれど、最初は戸惑う。いきなり始まったりもするから余計に。だからもしかしたら、最初にサイトなどである程度を把握しておくと観やすく入りやすいかもしれない。

それぞれの頭脳合戦も闘いもドキドキハラハラと見所ではあるけれど、諸葛孔明のような、先の先、相手の裏の裏まで読んで行う策が痺れる。人間心理を上手く操って自分たちが望む方へと持っていく手腕がまた堪らない。
ただ当然ながら、用意周到に準備しても予期せぬことは起きるもので。その何度も起きる危機的状況をどうやって突破するのだろうかというのも、惹き込まれていく要因でもある。
梅張蘇の余裕がある感じも、本当に良い。
病弱である演技も上手く、本当に重篤な病人のように見えるから凄い。
梅張蘇を演じた人は、役が決まる前に事故にあい、顔面を大きく損傷し幾度も手術をして元に戻したらしい。そして梅張蘇もまた顔面を手術し顔が変わるという役で…。正に彼のための役という感じで、よくよく見ると傷の跡があったり…。メイクなどでは出せないリアルさが、また演技の迫力を増させていた。

他のキャラクターたちも個性豊かで、豊かというかかなり強めな癖があって魅力的だったり。個人的には脳筋で抜けている蒙将軍と、健気な宮羽が推し。
蒙将軍はとにかく熱い。友のためにと裏で何かと手助けしてくれる。自分を抑えようとする梅張蘇の代わりに怒りを表してくれたりと、本当に熱い男。でも空回りも多いし、頭は弱めだから周りの会話についていけずじたばたな感じが…見た目に反してで、微笑ましく思える。
宮羽は、梅張蘇に片思いしていて、彼もまた気持ちは分かっているけれど答えることが出来ないから冷たくされてしまう。それでも気持ちが押さえられず、梅張蘇の助けになりたいと必死に頑張る。叶わないとは分かりつつな健気さにはぐっと…。でもヒロインの霓凰も、強くて美しいけれども梅張蘇の前では女の子のような可愛らしさもあって…。うーん、総じて皆良い。
場面場面でもいいシーンはたくさんある。自分が特に好きなのは、おばあ様(?)との再会シーン。どんなに見た目が変わっても分かるというね。あのシーンがもう…。1番ぐっと来た。

54話という大作であるから、観るのに覚悟が必要だけれど、見始めると止まらなくなる。見終えた後は終わってしまったのが惜しくなるほどで、また観たいと思わされる作品だった。

うーん、素晴らしい作品であるのに、魅力の10分の1も書けないのが悔しい。ネタバレなしで書こうとすると、本当に難しい。長いから特に、何処までがネタバレになるのかも分からないよ…。

そういえば、中国もののドラマでも小説でも漫画でも見る度に思うけれど、回想シーンがあまりないなあというのが気になる。
日本であると、どういう経緯でその人物を信頼したのかとか好きになったのとかを細かく書いたり見せたりするけれど、中国ものはそれがあまりないような気がする。国柄なのかなあ。
自分は結構、何故好意を(友情でも愛情でも尊敬でも忠義でも)抱くようになったのかを知りたかったりするから、その理由や説明がないと気になって気になって。特に中国は忠義とかが強く、その人に命をかえりみなかったりもするから、どうしてそこまで思えるのだろうかと、どうしたらそこまで思えるのかと気になるのだけどなあ。(自分だけなのかな…あまり重要ではない?)
兄弟の契とか、助けられたら恩返しの忠義がつきものみたいな感じだから、そういうもの感があるのかなあ。
そういえば、中国以外の海外ものも回想シーン少ない気がするなあ。でも他は途中から始まってだんだんとではなく、最初から順序だって進んでいくが多いからなのかな。国によって展開の仕方が違うのもあるのかもなあ。面白い。

ドラマを観て、中国語で梅は「メイ」であることを知った。なんだかいい響きだなと思った。「梅張蘇(ばいちょうそ)」で「メイチャンスー」







10月23日(水)

大岡信『新 折々のうた1』を読む。


風船はうららに飛べり幼き日のわが手離れし一つが混じる

長野燁子


懐かしさを思い起こすような、自然で純粋な美しがとても惹かれた。晴れ晴れとした空に浮かぶ風船、直ぐにでも映像が浮かんでくる。映画のワンシーンのよう。



どんどん家が壊されて平地になっていく。それだけ…。
不思議なもので、何も無くなるとそこに何があったのか思い出せなくなる。
平地になると直ぐにまた家が建つけれど、そんなに作ってどうするのだろう。住んでいない家のままや平地のままだとお金がかかるからだろうけれど…。平地がなくなるのも、壊されて新しくなるのも切ない。
全ては土地所有者に厳しくなったから…。売ってしまった方がいいという方向にもっていっているからで…。余計に手放す人が増えて、住まない新しい家が増えて、どちらも買うのは外国人で。日本は外国人所有者には凄く甘い制度になっている。(1度買われたら取り戻すことが難しいとか)その上安いから買う人も増えて、住む人も別荘として所有する人も増えて、増えて増えて増えて。

これから先、日本人に限らず、何人というのがなくなるのかもしれないなあ。
国の文化は消えるかもしれないけれど、それで仲良くなれるならいいけれど。それでも分類が始まって、また新たな文化が始まるのだろうか。うーん、それなら日本も文化も残ってほしいなあ。






10月24日(木)

なかなか調子が戻らなくて本が読みづらいせいなのか、読めない反動で本を買ってしまう。最近は2、3日おきにちょこちょこ買ったりしているから、本が溜まっていく。読めてないのに…。その上お金もピンチだ。
これはまずいぞと思って、今月はもう何も(本以外の他のものも)買わないぞと決意。宣言したら、偉い!と言われた。けれどよくよく考えると、10月も後数日なんだよなあ。落とし穴。



ポール・ヴァレリー『メランジュ 詩と散文』を読み始める。


富は生を高める、それが可能性を高めるかぎり。可能性とはまさしく生の感覚にほかならない。生きているとは可能性を保っていることだ。

「生きているとは可能性を保っている」なるほど。


鐘が鳴る。
蛙がなき、鳥がさえずる
鋸のように規則的な蛙の声、それを背景に、ピーピーと鋏を入れるような鳥の声。
(略)
その男はちょうど小指の爪の先にすっかり隠れてしまうくらいの距離にいる。


こういう組み合わせの独特な感じ、好きだなあ。






10月25日(金)

投票に行く。何度もやっているのに、毎度まごつく。そろそろスマートにやりたいものだ。



ポール・ヴァレリー『メランジュ 詩と散文』を読み終わる。


行いが善く、考えが悪い人間ほど危険なものはない。偽善者の反対あるいはそれと対称をなすものはきわめて恐ろしい。


哲学者のような複雑な難しさはあるけれど、その中にも宝石が光に当たってキラッと一瞬煌めくような眩しさがあった。
所々に、宮殿の中で着飾る人達、宝石や薔薇、装飾で飾り立てられた部屋、そういった煌びやかさで格式高い豪華な空気を感じた。


ダイヤモンド。--その美しさは全反射が起こる角度が小さいことに起因するそうだ……ダイヤモンドの研磨職人は、あるカット面を通って宝石のなかに入る光線が同じカット面を通ってしか外に出られないように細工する--輝きと燦めきの秘訣。
詩について私が考えていることの美しいイメージ。精神の光線が入り口の語に舞い戻る。


複雑に絡み合い強烈な光を齎す宝石に、魅入られたからこそ生まれた煌めきなのかなあと思ったり。

著者自身が描いた絵も数枚載っていて、その絵もとても魅力的だった。詩や散文にはダイヤモンドのような硬さがあったけれど、絵は風に流れるような柔らかなタッチの優雅で自然の美しさがあった。




半藤一利『手紙のなかの日本人』を読み始める。


(略)いまはすべての用事を電話ですませてしまう時代となった。それで現代人は手紙というものをほとんど書かなくなっている。なるほど、相手が肉声と化して出てくるという便宜はみとめられるが、口に出してしまえば味もそっけもない場合だってある。わが心情を吐露するには、肉声よりも文字のほうが勝っていることは、ラブ・レターをいちどでも書いたことのある人なら誰しも認めるであろう。相手の心に訴え、正しく伝えるためにも精妙で、いつまでも残る説得力ある通信手段としては、なんといっても手紙である。音声はその場かぎりのもの(略)、文字は無限のものなんである。
(略)美しい文字で綴られた、心のこもったいい手紙は、どんな時代になろうと、読むものの心を豊かにしてくれる。何といっても、手紙にはその人らしさがもっともよく表れるからである。(略)


手紙を通して、文字から表れたその人物を深堀して見ていく。



何んだろう今日は。ひゃっくりばかり出る。
ようやく止めたと思ったら数十分後にまた始まって、また止めたと思ったら数十分後に始まって始まって…結局1日で5回もひゃっくりが出てきた。何故だ。
あれ、くしゃみは噂話、ひゃっくりは悪口ではなかったっけ…。えっ…。






10月26日(土)

我が家の里芋が美味。
特に小さいやつがぬちっと感が強くて最高。ただ売ってるものだと、小さいのはあまり入っていないから、小さいのは作る人の特権という感じだな。むふふ。
そして蒸したやつを、シンプルに塩、特に「ろく助の塩」をつけて食べるのが…たまらぬ。

1株でたくさん採れるし、ほっといてもできるし、種芋買わなくても去年のものを使えば出来るから里芋は本当に優秀だなあ。そこら辺にポイッとしたやつからでもなるから…凄い。



大岡信『新 折々のうた1』を読む。


わが肩に肢のよじれをもどす蝶

金子晉


一瞬ドキッとさせられるけれど、妙な美しさを感じる。
この方の句、妙に惹かれるから他のものも見てみたいなあと思って、句集『花骨集』を探してみたけれど図書館になくて残念…。そもそも350部限定という、あまり出回ってない本だった。古書で地道に探すかぁ…。


蛤はあくびのうちに家を立て

誹風柳多留拾遺


蜃気楼の句。なんだか面白い。



半藤一利『手紙のなかの日本人』を読み終わる。

自分の歴史の知識の薄さが足を引っ張ったかもしれぬ…。半分以上知らない方で、歴史も全く知らないから、ほぉ…という感じ。ただ歴史好きにはたまらないのだろうなあ。手紙というところから入るのもなかなかないから、知識の歴史書よりも違った顔が伺えそう。(多分)

ただ、手紙とは関係ないけれど、細川ガラシャの死を主題とした短編、芥川龍之介『糸女覚え書』が気になった。今度読んでみたいな。







10月27日(日)


蜜柑を買ったら驚くほど酸っぱくて食べれぬとなったから、シロップ漬けにしてみた。


なかなか愛い。


こうやって丸ごと蜜柑を瓶詰めに入れたものが売られているのを見たことがあって、その時からやってみたいと思っていたから、丁度良かったかも。どうなるか楽しみ。



畑にうさぎがいる。
飼われていたやつが何処からか逃げて居座っているようで、最近よく見かける。小さくて、人懐っこくて可愛い。けれど結構葉っぱを食べられてしまうのが困りもの。だから少し憎らしくもある。農薬を使っていないうちの野菜を特に食べているようだから、分かってらっしゃるという感じで嬉しくもあるけど…なんとも複雑。

もうすぐ冬が来て寒くなるけれど、大丈夫なのだろうか。冬越しできるのか。野生になるとそこら辺が心配になるけれど、食べるものは十分で好きに動き回れて自由を謳歌している感じだから楽しそう。
動物は自由に動き回れる方がきっと幸せだろうなあ。鶏なんてギュウギュウ詰めに押し込まれてひたすら卵を産まされて…あれを見る度に悲しくなるよ。そりゃあ病気にもなるよなあ。

収穫は里芋とニラとインゲン。
そして少し大きくなった白菜を植えた。うさぎに食べられないといいけれど…。やめてくれよ、うさぎ殿。



『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』を読む。
「里見弴と伊藤整」編を読み終わる。

里見弴の話。

里見弴ではなく、彼が語る芥川龍之介の話が興味深かった。
2人で滝つぼを見に行った際、ここへ飛び込んだら助かりそうもない、など言っていたとか。けれど相当なふざけ屋だったのだとか。寝ている人に、髪の毛を前に垂らして「ウワーッ」と言って驚かしたりと。そういうの好きですよ、芥川龍之介さん。

後、里見弴が『地獄変』の感想を求められた際の話。


里見  ちょうど速水御舟が、年に似合わない老成した立派な絵を、帝展に出品した時だ。(略)その絵に実に感心したんだが、今からこんなものを描いていたら、先にいって行き詰まらないかという気がした。
(略)
里見  頭にその絵のことがあったものだから、感想を求められた時に、どうも速水君の絵のようなものを感じる。先にいって行き詰まるんでは、というようなことを言ったんですよ。それを芥川君が読んだのなろうね、はじめの間はあまりいい感じを持たれてないようで、会ってもけむったそうな顔をしてたよ。(略)


確かに、芥川龍之介の最初の作品の老成感は凄いものがある。そこに圧倒されて自分は好きになったけれど、当時だったら同じように先はあるのだろうかとか思ってしまいそう。けれど結局打ち破って続いて、たくさんの作品を生み出し世に出したのだから、本当に凄い。
作品は老成しているけれど中身は子どもというのもまた面白いなあ。



揺らいだのはいいことだけれど、デマ太郎も言いなり君も死神もマフィアも入っているのか…。何より大阪の凄まじさよ…。もう日本にいるつもりはないのかな…。行っている人も少ないみたいだし…。辛いぜよ…。日本の夜明けは遠いぜよ。自分も今まで無関心で無関係に生きていただけにあまり言えた立場ではないけれど、でも今は流石に…。





ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の未来が良いものでありますよう、祈っております。
ではでは。

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