見出し画像

今までの心の傷をここで書いて卒業しようと思う:1冊の本からインスピレーションを得て

完全に個人的な話であることを先に謝っておきます

完全に私目線で書いたものですが、これを書いて投稿という形で放つことで、もうしんどかったことは手放そうという思いで書いています。
これは喜多川泰さんの著した「おあとがよろしいようで」を読んで思い立ったことです。
ある意味、自分の気持ちを綴った読書感想文の続きかもしれません。

私はこの本を読んで何度も自分がフタをしてきた傷にぶつかり、涙をこらえながら読みました。
そしてその気持ちを、もう手放す時期に来た気がして今これを書いています。

病気の話などが出てきます。しんどい話は読みたくないと思ったらどうぞ遠慮なく閉じてくださいね。

書くことで癒されるを究極的にやっている。
今そんな思いでいます。
長くなりそうですが、気が変わらぬうちに書いていきますね。

無為に過ごしてしまった大学時代の後悔

やる気もなく、体調は悪く、せっかくの4年間を無駄に過ごしてしまった気がしてずっと後悔してきました。
幸い友人はでき、すごく支えてもらいながら留年もなく卒業できたことは、凄まじく恵まれていたと感じています。

大学2回生のときにうつ病と診断され、それでも休学せずになんとか卒業までこぎつけました。
バイトもなんとか少ないながらも続け、巫女職と塾講師をかけもちするという奇跡まで起こしてきました。
思えば、うつ病で色々と苦しくなる中、元々優等生できていた私はひとえに、さすがとかすごいとか思われたい気持ちだけで過ごしていた気がします。

ただ一人暮らしや、旅行をしたり、何かに熱中したりということはできませんでした。高校生から茶道を習って続けていたけれど、熱中というところまではいかず受け身な姿勢だったと思います。

プライドばかり高くて弱いところを見せたくなかった私は、研究室に入ってからも浮いていて馴染めず、余計に体調が悪化してほとんど研究室に通わずに終えました。
振り返るともうしんどすぎて何事からも逃げてばかりだったと思います。

「今思えば受け身ではなく、もっと自分から行動していればもっとどんどん面白い世界も見られたかもしれないと思います。」
私はよくこれを言っていたのですが、もはやそうではなく、必要だったのは休養と、弱い心を見せられる強さだけだったと今は思います。
もしかしたら1留してでも休養に専念すべきだったかもしれない。経済的にも苦しかったので確かに現実的ではないのですが、そうすればうつ病も拗れずに済んだかもしれないとふと思います。

そしてもっと周りの人間関係を大事にすべきだったなと。弱いところを見せてわかってくれる仲間を見つけて人を大切にしておくべきだった。わかってくれる人は少なかったかもしれませんが、大学時代の友人がほとんどいない今、人間関係の大切さを切に感じます。

結局最後に必要なのは人間関係だよと教えてくれた出来事だったように思います

大学時代の無理した自分にも、壁を作ってた周りにも、ごめんね、ありがとうって言いたいです。
そんな後悔も今日で終わりです。
これを書いて読み返すことで、大事な教訓が得られたのですから。

父との関係をもっと早く風通しよくしておくべきだった

昔から仕事柄不規則な父とは会話がなく、笑いのツボは合わず、会話がトンチンカンで❓が飛び出すことがほとんど。
思春期に入れば何事かというくらい父が嫌になってそのまま口をきかず。
うつ病以降数年して立て続けに病気になったことに頭がついてこれず、世話は母に任せきりの父が放った無責任な言葉で喧嘩になり。
と、まぁろくな思い出がない。

30にして心広くなり、父のことも理解しようと努めている中、おあとがよろしいようでに出会い、働く父の凄さやしんどさを考え、色んな出来事を話してこなかったこちらの非のこと、そりゃ見てないんだからわかりっこないよと思える寛容さが出てきました。

母は完全に父に愛想を尽かしてしまったが、娘の私は父が亡くなったときに後悔しないようにとの思いで父との会話と父孝行をしておこうと思っています。
父63歳、娘30歳。まだ間に合うよね、、?

不幸だと思ってきたこの歳にしての実家暮らし(生活に介助が必要なため)ですが、もしかしたら父とすぐ話せる環境にいるのは、一緒に住めるのは幸運なことではないのかと思うようになりました。
そう思うと、この歳での実家暮らしにも意味があるように思います。

私は本当に親にはなれないけれど、子どものためにできること 恋愛について

これは完全に個人の意見で色々な意見があって良いと思っていますが、私は子どもは持たないと決めています。
それは飲んでいるお薬の関係もありますし、病気が遺伝したりしたら、子どもの人生が大変なものになるのがわかっているから。
子どもには苦労も教訓にして成長してほしいけれど、こんなしんどい思いはさせたくない、私と同じような苦しい気持ちを背負ってほしくないという思いがあります。

病気で思うように動けないせいで、また、子どもを持たないということで恋愛が終わってしまったこともあります。
それのせいで恋愛は自分には縁遠いものとして受け止めてしまっていて、幸せな恋愛・結婚をしている人を見ると本当に羨ましく、苦しくなります。

これからも子どもを持たない私を誰かが選んでくれるかは正直わかりません。
もしかしたら一生1人かもしれない。
結構強烈な不安とか落ち込みは正直あります。
でもそのために安易に子どもを持つ方向に変わることはありません。
すでにわかっている自分の体調のせいで子どもに満足にしてあげられるかもわからないし、ヤングケアラーになってしまうかもしれない。
それなら私は1人でいる方を選びます。
つらいけど、子どもが悲しんでる方がもっとつらいから。
これが私から私の子どもにできることです。

おかげさまで書ききりました

不思議と書いていて苦しさは出ませんでした。抱えていたものを外に出して楽になっていったのかもしれません。
読んでいて苦しくなった方、本当に申し訳ありません。
ここまでお付き合いいただいた方々は本当にお強く優しく素晴らしい方々であると存じます。

私は苦しい経験をする前は自信に溢れ、弱い人の気持ちにまで目を配れていなかった、いわゆる調子に乗っていた時期があります。
これらの苦しい経験で、本当の優しさや強さを知ったし、後悔なども経験することで貴重な思いをしたと思います。

私はこれらの話をずっと封印してきました。
友人にも家族にも具体的に話したことはありません。
これも、1冊の本に出会わなければ書くことはありませんでした。
「おあとがよろしいようで」は間違いなく、私の人生を変えた1冊になりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

もし記事を気に入っていただけたらサポートをお願いします!いただいたサポートは新たな本を買うために使わせていただき、読書感想文をさらに書いていきたいと思います!