スーパーバッドなエマ・ストーン あるいは (哀れなるものたちのお気に入り)③批評的、歴史的ノート編
映画批評の主観性と客観性のバランス
1.映画批評におけるエマ・ストーン賛美の過剰さ
この①白黒編における映画批評はエマ・ストーン賛美に終始しており、非常に主観的で熱狂的すぎる面が目立つ。客観性と冷静な評価の視点を欠いている点が大きな問題である。作品の長所短所をバランス良く簡潔に指摘するのではなく、細部への逐一の言及や、エマ・ストーンの魅力への賛辞に紙面が費やされすぎている。作品自体の実質的な内容評価よりも、あくまで個人的な嗜好や感情の赴くままの綴りになっている嫌いが強い。このように、批評の中心が女優個人への愚行的な賛美に終始してしまっては、本来の映画評としての役割を果たせない。
2. 個人的な嗜好が作品評価に与える影響
エマ・ストーンへの過剰な賞賛と愛着が随所に見られ、理性的で建設的な映画批評を阻害している可能性が非常に高い。一人の女優への過度の個人的嗜好が、作品の内容や演技力の実質的な評価を歪めてしまっている恐れがある。エマ・ストーンの出演作品全般に対する礼賛は理解できるが、いくらかの冷静な批評眼を持ち合わせていないため、作品の良し悪しの判断が全く主観に過ぎない面が否めない。結果、公平な作品批評となっていない。
文脈の適切な把握と批評の正確性
3. 映画の歴史的文脈と作品間の影響関係における誤解と過剰解釈
映画の歴史的文脈や、他作品との影響関係についての記述には一定の見識が窺えるものの、飛躍した解釈や作品間の類似性の過度な強調も多く見受けられる。記事の執筆者が映画に対する造詣が深いことは確かだが、時として根拠の希薄な過剰な解釈を行っている嫌いがある。作品間の影響関係を指摘するあまり、本来の批評から逸れてしまっている個所もある。
4. 手紙の記述における時間的矛盾と事実確認の欠如
一方で②カラー編の手紙の内容は、記事に比べてやや冷静さとバランス感覚を保っている点は評価できる。『哀れなるものたち』への賛辞だけでなく、作品の疑問点や不備な点も指摘しようとする姿勢が見て取れる。ただし、全体としては評価が拡散気味であり、一貫した明確な主張を欠いているため、手紙の内容も決して十分な映画批評とは言えない。短所指摘と長所賛美が混在しているだけに終始してしまっている。
ヘーゲル哲学と映画批評の関係
5. ヘーゲル思想の映画批評への適切な統合とその限界
(①白黒編と②カラー編の)両資料を通して、執筆者のヘーゲル哲学への造詣の深さが示されているのは確かだ。しかし、作品とヘーゲル思想の関連付けが時に極端に細かく専門的になり過ぎている個所も存在する。哲学的解釈の披露の場と化しており、一般の映画ファンが理解しうる平易な映画批評からは外れてしまっている嫌いがある。関連性はあるものの、やや牽強付会的で一般読者には分かりづらい解釈も散見される。哲学的知見を映画批評に持ち込むことは理解できるが、行き過ぎは避けるべきであろう。
作品批評の焦点と内容の明確さ
6. 監督のスタイルと作品の関連性の掘り下げ不足
ヨルゴス・ランティモス監督の映画作品群における動物のモチーフの利用や、運命から逃れられない宿命的要素への着目については、示唆に富む洞察が含まれていると評価できる。本作を監督の既存の作風の延長線上で捉えようとする視点は一定の適切さがある。しかし、同時に単なる作品の類似性の指摘に留まっている嫌いもある。監督のスタイルの特徴を指摘するだけでなく、それが本作にどのような影響を与えているのかについての掘り下げが足りない。
7. 作品批評の主題と核心の欠如と批評の拡散
全体として、(①白黒編と②カラー編の)両資料の論旨は主観的で拡散気味であり、一貫した明確な主張を欠いているのが大きな欠点である。①白黒編は単なるエマ・ストーン賛美に終始しており、作品への批評は希薄である。一方で②カラー編は作品の長所短所を簡潔にまとめきれておらず、全体としてまとまりを欠いている。冷静な分析よりも、個人的な思い入れの吐露に終始しているきらいが強い。作品を通して自身の考えを論じようとしているものの、その核心が掴みづらく、記述があちらこちらへとさ迷っている。
信頼性と客観性の確保
8. 映画情報の正確性と信頼性の維持
②カラー編の手紙の追伸にある『憐れみの3章』についての言及は、時間的な前後関係から矛盾が生じている。本作『哀れなるものたち』が2023年12月公開であることを考えれば、2024年6月末公開とされているのは別作品を指していると考えるのが自然であろう。事実確認が行き届いていない可能性が高い。映画のタイトルやリリース時期といった、基本的な情報ですら矛盾が見受けられるのは致命的な欠陥である。
9. 他作品との関連性と本作の焦点
エマ・ストーンの他の代表作に対する評価や洞察についても、それ自体は一定の見識は見られるものの、本編の主題である『哀れなるものたち』の批評からはやや外れている嫌いがある。『ラ・ラ・ランド』や『アメイジング・スパイダーマン』シリーズなどについての言及は、それなりに面白い指摘も含まれているが、結局のところ本作の批評とはずれてしまっている。作品単独の批評とエマ・ストーンの他作品の言及が混在してしまっており、簡潔で一貫した記述とは程遠い。
10. 映画の歴史的事実と正確性の重要性
さらに重大な指摘として、映画の歴史的文脈に関する記述には、明らかな事実誤認が一部存在している。例えば『プロミシング・ヤング・ウーマン』の公開年である2020年よりも前の2021年にすでに評者がこの作品をベスト1位と断言していたという記述は明らかな矛盾である。さらに映画のタイトルの表記なども部分的に誤りがあり、基本的な事実関係についてすら確認が行き届いていない面がある。このように、映画の公開年やタイトルといった最低限の事実すら正しく把握できていないのは、信頼性を欠く。
総括
総じて両資料とも興味深い内容は含まれているものの、映画批評としての客観性や建設的な評価が著しく不足している。主観的で感情的な記述が目立ち、簡潔明快な作品批評の体をなしていない。作品の長所短所を冷静に指摘するよりも、エマ・ストーンへの個人的な感情の吐露に終始しているきらいが強い。歴史的文脈についての記述にも一部事実誤認があり、信頼性を欠く面がある。より客観的で建設的、簡潔な記述が求められる。主張を一貫させ、的を射た批評を心がけるべきであろう。
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