日本の伝統文化シリーズ その1:東京七宝焼きの魅力と、可愛いアクセサリー(o^^o)
こんにちは♪
レコールドムジークの講師です(*^^)☕🍰
今回の記事は、日本の伝統工芸・伝統芸能シリーズ その1として、『東京七宝焼き』について書いてまいります。
私は、『明日への扉』という番組が大好きで、よく見ております。
//CSチャンネル、またはYouTubeで見ることが出来ます。
日本の伝統芸能・伝統工芸を担う若手をフューチャーした番組なのですが、
工芸品の製作工程や、練習風景など、伝統工芸や伝統芸能の歴史を学びつつ、真剣に取り組む職人さんの生活を垣間見ることが出来ます。
最近UPされた動画では、『東京七宝焼き』の魅力に迫るということでしたので、それを視聴して学んだことや、より深堀りして調べたことなどを以下にまとめます。
■東京七宝 概要
日本の伝統的な金属工芸技術「七宝焼き(しっぽうやき)」の一つで、特に東京で発展した七宝焼きを指します。
七宝焼きは、金属の表面にガラス質の釉薬(ゆうやく)を焼き付けて装飾を施す技法を使います。
以下、歴史的な側面から一般的な七宝焼きと東京七宝の違いを比較し、東京七宝焼きにおける技法などの概要を解説してまいります。
その後、七宝焼きの「七宝」とは何かを知った上で、畠山七宝製作所さんが動画内で行っている七宝制作の手順を追っていき、必要に応じて用語の解説をします。
■七宝焼きの歴史と技法
少なくとも、歴史的背景、技術的側面において異なるということがわかりました。
[歴史的背景]
一般的に、七宝焼きの始まりは、紀元前6世紀頃、古代エジプトやギリシャで起こったと言われています。
のちに中国や朝鮮半島、日本にも伝わり、各地で独自の発展を遂げたということです。
日本には中国を経由して、飛鳥時代から奈良時代(諸説ありますが6-8世紀頃)にかけて伝わり、主に仏教美術の装飾品として使用されました。
💡仏教の伝来とほぼ同時期くらいとのことです。
中でも東京七宝は、特に江戸時代後期から明治時代にかけて発展したものです。
-江戸時代
動画内の解説によると、「刀のつばの部分を一部へこませて色を付けたものがつくられた。」とのことでしたので少し調べました。
平田春寛(平田道仁)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した金工師、七宝師です。
慶長16年(1611年)に幕府御抱十人扶持(*)(ばくふおかかえじゅうにんぶち)となります。
平田家は春寛を初代として七宝焼きを使った装飾品や刀装具などを制作し、その作品は現在でも重要な文化財として残されています。
(*)幕府御抱十人扶持:江戸時代における武士や技術者など、特定の職業に従事する者が、幕府から支給される給与制度の一種です。
「十人扶持」というのは、10人の人が1年間食べられる米の量を指し、具体的には、1人が1年間に消費する米の量を1人扶持とし、その10倍の量が支給されるのが「十人扶持」なのだそうです。とすると、扶持米で10人の生活を1年間賄える程度の食料が支給される待遇を受けていたということになりますが、もしそれが事実だとすると十人扶持というのはすごい量ですね・・・
また「幕府御抱」という言葉は、幕府から直接雇われていた、または幕府に保護されていた人々を指します。
具体的には、芸術家や技術者、医師などが幕府御抱として仕えた場合、幕府から給与や扶持が支給される代わりに、その才能や技能を幕府のために提供する、という感じです。
最古の東京七宝焼き作品が平田春寛のものであるかどうかについてはわかりかねますが、彼の作品が日本の七宝焼きの発展に大きく寄与したことは事実です。
//技術は門外不出だったそう
-明治
動画によると「勲章がつくられるようになる。」とのことでした。
明治は日本の開国と産業革命が大きく関係してくる時期です。
勲章を作るようになった背景として、政府は国内外での国威発揚(国の威信を高めること)に注力し、勲章を通じて功労者を顕彰(表彰)する制度を導入した、ということがあります。この制度は今でもありますね。
七宝焼きは、美しい色彩とともに細かい模様を描くことが出来るため、たまたま勲章や装飾品の製作にうってつけだった、ということでしょう。
更に、日本の伝統工芸品や芸術品がヨーロッパやアメリカの市場で高く評価され、七宝焼きもその一つとして海外に輸出されました。
特に、パリ万博(1867年)やウィーン万博(1873年)などで七宝焼きが紹介され、国際的な名声を得たことが大きな発展のきっかけとなりました。
[技術的側面]
七宝焼きは、金属の基盤の上に、ガラス質の釉薬(ゆうやく)を乗せて焼き上げます。
焼成(硬度の増強や、釉薬の色を調性するため、原料を加熱すること)温度は800度前後です。
こちらの動画ですと、780℃で熱している様子が写されています。
釉薬の層を、いっぺんにではなく、少しずつ何度も重ねて焼くことで、美しい色と光沢を出します。
七宝焼きには様々な技法があるようなのですが、代表的な技法は以下の二つだそうです。
有線七宝
:金属線で絵の輪郭を作って、その中に色を乗せ、焼成の際も金属線を付けたままにして焼きます。そのため、金や銀の輪郭が残ります。
無線七宝
:色を乗せるまでは有線七宝と同じで、焼成の前に金属線を予め取り外しておきます。そのため焼成の際、微妙に色が混ざり合ってグラデーションが生まれます。
花鳥風月や風景などをモチーフにしたものが多い。とのこと。
以下参考記事
それぞれの技法で大きく貢献した人物として、伝統的な有線七宝の維持と発展に尽力したのは関西の並河さん、無線七宝の生みの親は東京の濤川さんということで「二人のナミカワ」さんたちが頑張っておられた様子。
お二人とも唯一の帝室技芸員として活躍されていました。早い話が皇室お抱えということです。
七宝焼きの技法は他にもたくさん!
>ツタンカーメンのマスクにも使われている
という記述が気になりますね👀
動画内では有線の東京七宝焼き作成されていました。解説によると、土台の部分と金属線の間の溝が他の地域のよりも浅くて、0.4ミリの溝の中に色を入れる必要がある、とのこと。
一旦まとめると
東京七宝は江戸後期から明治時代にかけて発展しました。技術的にもデザイン的にも高度であり、特に無線七宝などの洗練された技法が生まれたことも特筆すべきでしょう。また東京七宝は、国際的な市場に対応するための独自の発展を遂げたということがわかりました。
では次に、「七宝」とは何を指しているのかを見ていきます。
■七宝とは
七宝の種類は、仏教経典により若干の違いが見られますが、仏教における「七宝(しっぽう)」とは、非常に尊い宝物を象徴する7つの貴重な宝石や金属のことを指します。
金(こん)
銀(ぎん)
瑠璃(るり)
玻璃(はり)
珊瑚(さんご)
琥珀(こはく)
瑪瑙(めのう)
特に、浄土教では阿弥陀如来の浄土がこれらの宝石で飾られているとされているのだそう・・・
何故これらが仏教の七宝が選ばれたのか、推測ですが希少価値が高く尊いものとして崇められていたのではないかと考えます。
「七宝焼き」の由来としては、色の美しさや輝きが、仏教の七宝に匹敵するほどであるとされ、この技法に「七宝」という名が付けられたのだそうです。
では、『明日への扉』で紹介されていた畠山七宝製作所さんについてと、東京七宝焼きの実際の制作手順を見ていきましょう。
■畠山七宝製作所
1951年創業。
1964年の東京オリンピックのピンバッジを制作されたのも、畠山製作所さん!なんて貴重な資料なのでしょう!
そのうち電気メーカのエンブレムや、学校のバッジなど、企業から制作依頼が来るようになった、とのこと。
時代の変化に伴い、近年では良品質のアクセサリー製造を開始されています。有線七宝のアクセサリーとってもカワイイ(*^^*)
『明日への扉』では、東京七宝を代々受け継いでいるお父様と、その娘様が制作している様子を見ることが出来ます。
■制作工程
実際に動画内の職人さんが行っていた手順に沿って、制作工程をメモしておきます。
①必要に応じて粉末の釉薬(ゆうやく)を濾す
まず色を付けるために釉薬を用いるのですが、作品や作品の中の部位によっては釉薬自体の調整が必要なのだそうです。釉薬の粒子を均一に小さくすることで、滑らかな盛り付けが可能になる、とのこと。確かに粒子が大きいと、細かい場所には盛り付けづらいですね。
☆釉薬とは
釉薬(ゆうやく)とは、陶磁器の表面にガラス質の層を形成するために塗られる液体のことを指します。
※釉薬は元々は様々な物質からなる粉末状の粒子の集合体であり、水と混ぜ合わせて液体にします。
この液体を陶器に施し、高温で焼成することで、陶器の表面に光沢を持つガラス状のコーティングが生まれます。
// 古代の釉薬は主に鉛や天然の灰を使用していましたが、現代の釉薬は安全性の観点から鉛を含まないものが多くなっています。
②釉薬の盛り付け
液体にした釉薬を盛りつけます。
動画では、最初にお父様が「穴が開いた土台」(絵の輪郭のみで、色を入れる部分の受け皿みたいな部分がない)を用いて、表面張力を使って色を入れています。すごい技術!
またそのように「穴が開いた土台」を用いて作られたアクセサリーは、「プリカジュール」という名前があります。薄くて軽いため、長時間身に着けていられるというメリットがあります。
また、釉薬の盛り付けには、「ホセ」という道具を使います。
竹でできていて、自分で削って微調整しながら使うのだそうです。
③焼成
熱を加え、釉薬の水分を飛ばして固めます。動画の中では780℃。
加熱時間を誤ると、本来の色が出ない場合もあるため、窯の小さな窓から覗いて様子を見ます。
一旦取り出して、縮んで側面にへばりついた釉薬を土台にして、更に色を載せていく、という作業を繰り返します。
一回目は低め、二回目は高めに盛るなど、釉薬の性質を見極めて、適切な量を盛る必要があるのと、場合によっては「キリンス」という作業も必要です。
☆キリンスとは
七宝焼きの表面にできた酸化被膜(黒ずみ)や汚れを落とすための特定の手法です。一般的に酸性の溶液(酸や硝酸、酢酸など)を使用します。
④研磨
盛られた釉薬の高さを均一にするため、磨いていきます。
機械を使って、指先の感覚だけを頼りに、角度をつけながら研磨。
有線七宝の場合は、地金の線が太過ぎず細すぎずに見えるのが理想的なのだそうです。
その後、金や銀でメッキの加工をするなど、作品によって必要な手順が行われます。
より細かい手順はこちら
今回のメモ書きは以上です。私が思ったこととしては、東京七宝が明治時代に国威発揚や輸出工芸として国際的な名声を得た背景がありながらも、今でもピンバッジやアクセサリーといった現代的な用途で活用されている点について、伝統工芸が時代に合わせて進化していることに感動いたしました💖
また、七宝焼きの技術の奥深さと歴史の長さに驚きました。有線七宝や無線七宝といった技法に関しての知識を得ることで、これまで見過ごしていた工芸品に対する新しい視点が得られたようでとても嬉しいです(^^♪ 軽くて丈夫で利便性もある七宝焼きのアクセサリー、私も身に着けたい!(^^)!
ではまた違った伝統工芸・伝統芸能の魅力を探り、記事にしてまいりたいと思います。お楽しみに♪
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