都市怪談 第二話「居酒屋」(上)
はじめに
都市部で働く人々にとって、オフィスの次、いや同じぐらい、もしかしたらそれ以上に欠かせない場所といえば、「居酒屋」であろう。
ある時はそこで仕事について語りあい、ある時はそこで仕事のノウハウを学び、またある時は熱が入るあまり口論になってしまったり…。
働く人々にとって「居酒屋」とはオアシスのような場所であり、第二の職場のような場所でもある。
かくいう筆者も、お酒には目がなくついつい仕事終わりには友人や会社の同僚と居酒屋を訪れてしまう。
決まったお店に行くのもいいが、筆者は新しい居酒屋を見つけるのが好きだ。
InstagramやTikTokなどで時たま流れてきた気になる店の名前を控えておき、googleマップや食べログのアプリに保存しておく。
そして何かにつけて友人や同僚を誘い、新しい店の開拓に向かうのである。
そしてハシゴ酒を繰り返し、罪悪感を感じながらラーメン屋の暖簾をくぐり、心ばかりの運動と言わんばかりにレンタルチャリで帰路に着く。
こんなふざけた有様で今日まで過ごしている筆者からすれば、居酒屋は無くてはならない存在だ。
さて、今回はそんな居酒屋にまつわる話。
都内の大手企業に勤務する竹内啓太(仮名)さんがこんな話を語ってくれた。
居酒屋(上)
竹内さんが新卒で入社し2年目の話。
当時、名古屋から上京した竹内さんは仲の良い同期3.4人と毎週のように飲み歩いていたという。
会社が汐留にあったため、いつも決まって飲むのは新橋で、色々な店に顔を出しては美酒と肴に酔いしれていた。
その日もいつもの仕事終わり、同期4人と新しい居酒屋に行く約束をしていた。
今回の店は、竹内さんが提案した「モツ刺し」を出す古民家風の店だった。
早速18時半に仕事を切り上げ、オフィスビルのエントランスに集合し、店へ向かった。
オフィスから新橋駅までは10分程度、加えてその店は新橋から5分程度歩く。
店に着いたのは19時をまわる前で、19時までのハッピーアワーを滑り込みで注文し、まもなくビールが到着するとすぐに空きっ腹へ流し込んだ。
季節は初夏、夜は幾分昼より過ごしやすいものの、じっとりとまとわりつく暑さの中、店までの道中歩いてきた後の、クーラーが効いた店での冷えたビールは五臓六腑に染み渡る。
本日の主役であるモツ刺しもテンポ良く運ばれて、狭いテーブルにはまたたく間に料理が並べられた。
しかしそこは食べ盛りの男4人、食うのも飲むのも早く、テーブルには次々と空になった器とグラスが重なっていく。
2時間もすればある程度腹も膨れて、酒も飲んだので2軒目に向かおうかという話になった。
そこから4人のはしご酒が始まる。
火曜日ということもあり、人はまばら。
すぐに2軒目の店、3軒目の店に入ることができた。
2軒目は日本酒、3軒目はウイスキーのバーと重ね重ね度数の強い酒を飲み、4軒目を探して辺りを彷徨く頃には少し千鳥足になっていた4人だった。
時計を見ると23時を回り、ラスト一件呑んで終わろうという話になり、烏森界隈をふらつく4人。
中々店が決まらず右往左往していると、いつの間にか見知らぬ路地裏に迷い込んでいた。
はて、こんな通りがあったかな?
4人とも小さな路地裏に誘われるように入っていくと、突き当たりに雰囲気の良さげな店を見つけた。
昭和の歌謡曲のPVに出てくるような、寂れた割烹やであった。
紺色の暖簾は、店の歴史を表すが如く、風雨にさらされボロボロで、一歩踏み入るのには勇気がいる。
意を決して竹内さんが先陣を切り、黒くくすんだ木製の引き戸をガラガラと開けた。
中には割烹着姿の小綺麗な女将も思わしき中年の女性と店の主人であろう板前姿の初老の男性が調理場に立っていた。
カウンターテーブルには客の姿には無く、棚の上にはおばんざいが等間隔に並んでいる。
「はい、いらっしゃい。若いお客さんだね。」
そういって店の主人が声をかけると、
「こちらどうぞ。お座りください。」
にこやかに女将が席へ案内した。
周りを見るが、メニュー表もなく、酒の値段も書いていない。
店は古いものの、綺麗にされたカウンターを見るに相当高い店に入ってしまったのではないか…。
4人は酔いもサァと覚め、あたりを伺っていると、様子を察した主人が
「あぁ、うちはおすすめのみだからね。そんなに高くないから大丈夫。日本酒は飲めるかい?」
と優しく声をかけた。
4人が小さく頷くと、
「こちら、お通しです。」
と脇から女将が小さな蓋付きの小鉢を運んできた。
蓋を開けると、中には冷たい白だしと油揚げの煮浸しが入っていた。
手元の割り箸を割り、おもむろに煮浸しを口にする。
「ッッ、うまいッ!」
竹内さんは口を抑えて思わず声を漏らした。
こんなにうまい油揚げを食べたのは初めてだった。
きつねうどんにのっているような、味の濃い油揚げとはまるで違う、優しい白だしとひんやりと冷たい出汁を吸った油揚げが口の中でジュワッと広がる。
さらに食べ始めると、中には細かく刻んだナスやキュウリ、みょうがや昆布などが入っていた。
山形のだしのようなものだった。
タイミングよく、店主が日本酒を升に注ぐ。
キンキンに冷えた日本酒を後から流し込むと、なんとも言えない幸福感に襲われた。
他の3人も口々に
「うまい、うまい」
と言いながら、お揚げのおひたしを口にする。
冷えている日本酒も辛口で飲みやすい。
使っている水が美味いのか、さらりとした口当たりで、飲み終わりに米の芳醇な香りが鼻からフワリと抜ける。
今まで飲んできた中でダントツに美味い酒であった。
すっかり一杯を飲み干した4人は感動の余韻に浸っていたが、終電の時間が近づいていることに気がついた。
「すみません、来たばかりなのですが終電があって…。申し訳ないのですがお会計を…!」
そう竹内さんが切り出すと、主人はニッコリと笑い
「いらないよ。また遊びにおいで。」
と言って手を振った。
「いやいや、そんなわけには…!」
財布を出そうと席を見やると、残りの3人が机に突っ伏して寝ていた。
おかしい…!酒に強い3人がこの程度で寝てしまうはずがない!
そう思った竹内さん自身も急激な睡魔に襲われて、立つこともままならず、そのまま机になだれ込むような寝込んでしまった。
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