バースデーメッセージ2023
4月に入るちょっと前頃から、私の心は毎年、ざわざわし始めます。
胸騒ぎともちょっと違う、【ざわざわ】な感じ。
理由は、4月下旬にまた、私のお誕生日がやってくるから。
私にとって、お誕生日までの約1カ月感は、総まとめ、総決算、棚卸し的な期間とでも言えばいいでしょうか、、。
プラス、「お誕生日を迎えてからの新しい1年、何をテーマにするか、何を目標にするか。」という疑問の答えを見つける期間。
答えを見つける、と言っても、私の場合は神さま、仏さま任せ、なのですが、、、。
毎年、答えがはっきりするまで、【ざわざわ】が止まらないのです。
この年中行事が始まったのは父が亡くなってから、、ですから、もう25年以上前のことになります。
66歳という年齢で突然亡くなってしまった父を思うたび、当時の私は悲しみと憤りの気持ちをどうにも出来ずに過ごしていました。
憤りというのは、「俺は何十年間も心臓病なんだから、プロなんだぜって言ってたじゃない!プロなら今回の発作だってなんとかならなかったの?何で今回に限って死んじゃったの?私を遺して死ぬなんて、私のこと好きじゃなかったの?もうお話することも出来ないじゃない!私を独りにするなんて酷いじゃない!俺は大丈夫だから、っていつも言ってたじゃない!」とこんな感じ。
「いい大人のくせに子供じみている!」と言われても仕方ないのですが、でも当時、私はホントにこんな気持ちだったんです。
父は友達も多く、趣味のハワイアン音楽のバンドにテニスにゴルフにと、毎日大忙しな生活を送っていましたから、父のお友達たちの悲しみも深く、長く、、、。
そんなお友達の様子を見ていたら、私も「そうだよね、パパだって死にたくなかったよね。」と思うようになりました。
そしてそれからまたしばらく経ったある日、「パパ!1年に1度くらい、例えば私のお誕生日くらい、何かメッセージを送ってきてくれてもいいんじゃない?ね、何か送ってきてよ!」と思ったのです。
何故かわからないけれど、ある日突然、強くそう思いました。
すると、その年のお誕生日前に不思議なことがありました。
いつものようにミュンヘンの自宅のピアノ部屋にいると、CDラックから何故か突然、1枚のCDが落ちてきたのです。
「え?え?なんで?なんで急にCDが落ちてきたの?」と驚きながらCDを拾い上げると、それは父の好きだったナット・キング・コールのCDでした。
「そういえば、いつか『たまにはこんなのも聴くといいぞ?』とか言って、私にひょいっと渡してくれたんだった、、。」と思い出し、ちょっと聴いてみることにしました。
父からそのCDを渡された時には、「『クラシック音楽ばかりじゃなくて、違うジャンルも聴きなさいよ。』って言いたいのかな?」と思ったので、とりあえずミュンヘンの自宅まで持ってきて聴き、「うんうん、クラシックだけじゃなくて、ジャズもいいよね〜。」と幸せな気分になりました。
父にも「すっごくいいCDだった!」と電話でお礼と感想を言いましたが、以来ナット・キング・コールはCDラックに収納したままだったのです。
私はいつも通りの普通の手順でCDをプレイヤーに入れ、CDはいつも通りに自動再生されました。
すると始まった曲は、、、、「You are my sunshine 」。
咄嗟に「あ、コレ、パパからのバースデーメッセージだ!」と思いました。
全く何の疑いもせず、「私が『1年に1度くらいは、、、』って言ったのが、叶ったんだ!」と思ったのです。
実は、私はその時まで「You are my sunshine 」という曲をあまり意識的に聞いたことはありませんでした。
多分その時に初めて、歌詞にも耳を傾けて聴いたんだと思います。
すると「君は私がどれだけ君のことを愛しているか知らないだろう。」という歌詞が出てきて、私は飛び上がるほど驚きました。
父が亡くなってから初めて、ぼろぼろと涙がこぼれました。
そして私は、それを止めようと思いませんでした。
「私を遺して死ぬなんて、酷いじゃない!私のことなんて、そんなに大切に思ってなかったんでしょ!」という父への気持ちは、私の中から消えました。
父が亡くなった翌年の私のお誕生日の頃、でした。
以来、本当に1年に1度だけ、私のお誕生日の頃になると、父を連想させるような不思議な出来事が続きました。
日本の母にも話したので、毎年、4月になると「どう?もう何かあった?」と母から訊かれます。
今年、私が質問していたのは、「私のこれからの目標、変化について。」。
「これからの私は、どういう目標を持ったらいいのでしょう?何をどういう風に変化、進化させていったらいいのでしょう?」という自問自答に、とにかく明解な答えが欲しかったのです。
答えは、実に不思議なところにありました。
そしてあまりにも見事に、あまりにもあっけなく、私に教えてくれたのです。
去年のお誕生日に頂いた鉢植えの蘭が、また花を咲かせたので写真を撮ったのですが、去年、プレゼントされた日に撮った写真と比べてみて、、。
ハッと気づきました。
私が鉢替えした後、蘭は葉っぱの角度をほぼ90度変化させ、その後、何本も出てきた茎は好き勝手な方向に伸びていき、、、。
でも、葉っぱは大きく丸く、色も深い緑色でピンっとしている、、。
蘭はこの1年で、頂いた時の整った蘭とは全く違う形状になりました。
私は「お花屋さんのようにはいかないけど、ま、元気だしいいか?葉っぱは曲がっちゃってるけど、お花もまたこんなに咲いたし!」と思いながら、窓辺の蘭を眺めていました。
でも今、改めて見ると、「この蘭は自分の思うように伸び、自分の思うように花を咲かせている。」、そんな感じがします。
あ、コレが答えかも?
そんな閃きがサッとやって来ました。
「これが自由ってことなんじゃないだろうか?」
「私らしい形で私らしく花を咲かせること。
それが【私の求めている自由】なんじゃないの?」
答えはコレだったのか、、、。
園芸が好きで、ベランダで育てていた小さな薔薇が咲くたびに母を大声で呼んで見せたという、全く父らしい演出だなと思いました。
4月28日のバースデーが来たら、ではなく、もう今から、、、ですね。
この「私らしい形に変化していく。」を次の目標に、新しい日々をスタートさせていこうと思います。