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<小説/不倫・婚外恋愛>嫌いになれたらは、愛を信じてる裏返し(20)STAGE4-2・サイレント(真)
また無視されるかもしれないという不安と恐怖の中、直樹に電話した。ワンコールもなく、直樹はすぐに電話に出た。
「久しぶりだね」
「うん。久しぶり」
ほっとする声。何事もなかったみたいに満たされる。聞きたいことも話したいこともたくさんあるのに、それ以上の言葉がでてこない。
でも、一瞬で満たされた気持ちがかき消された。
「言いたいことないなら、切るけど」
ケンカの時の冷たさとは違う。愛している男性からの冷淡で飄々とした物言いに、心を切りつけられる。本当は泣きたいくらい怖いくせに、怖気づいた自分を見せないように振舞う。
「辞めるって聞いて」
「うん。一カ月前には部長に言ってた。今日、正式に辞表を出したよ。二週間後に退職する」
「どうして相談してくれなかったの?奥さんの会社に戻るって聞いたんだけど、本当?」
その言葉を使うだけでも、平静を装っていられない。でも、直樹は淡々と続ける。
「そうだよ。断り切れなくなってきてさ……」
「やっぱり、仲良かったんだね」
やってしまったとは思っていた。こんなことを言いたいわけじゃない。それなのに、どうして醜い嫉妬が出てしまうのだろう。でも、一度出した言葉を取り消すことはできない。それにかぶせるように直樹も強い口調になっていつものケンカが始まってしまった。
「そういうところだよ。自分の事ばっかりだな!断り切れないって言ったろう?何で、仲が良いになるんだよ。芹香に言ってることに嘘はない。俺だけしか見えてない芹香が嫌だ!毅然としてろよ。それに……なんで、佐藤部長が芹香のこと名前で呼んでんの?俺は芹香だけなのに。芹香は誰にでも呼ばせるんだな。それとも、前に付き合ってたとか?あれからずっと二人でコソコソしてるよな」
「コソコソ?二部の立て直しの件だよ。上から無理な事言われてるだけで、それ以上も以下もない!それに、同期だし結婚する前からの付き合いだもん。新しい苗字の方が呼びづらいって感じなんじゃないの?今更、旧姓の瀬尾って呼ぶのも変だと思ってるんじゃないの?私に聞かれてもわかんないよ!てか、今名前の事なんてそんなに重要?」
「……わかった。別に……もういいよ」
「何それ。奥さんと仲が良いってことをはぐらかしたいだけ?」
「何でも不倫にくっつけるなよ!」
いつもの、あー言えばこう言うのやりとり……。でも、どこかかみ合っていない。ちゃんと話し合いたかったのに。ケンカが当たり前になってしまっている。普通の会話ができない。
「急に態度が変わって、正直混乱してるの」
「急に態度が変わった?俺は何も変わってないよ。芹香を好きな気持ちも、まだ離婚は考えてないってことも。何度も別れたいって言ってるのはそっちだろ」
「それは、ごめん。つい、頭に血が上って……。辛い時には寄り添って欲しいのに、いつも『祥子が』って言って帰るのが本当に辛かったの。私は、どうしても不倫は受け入れられない。でも、直樹のことが好きだから苦しい。私たちは、心からケンカをし合えることも、周りには話せないような心の深い部分も何でも話せる唯一の者同士だと思ってた。お互いに、そうだねって話してたよね。指輪を買ってくれた日だって、『俺たちは、二つで一つだから』って。それなのに、直樹は一緒になる道じゃなくて自分のステータスを守ってばっかり。私のこと、何だと思っているの?」
「はぁー……そういうの考えるのが面倒なの。何だって言われたら、じゃあ……今はもう、元カノかな」
私は、直樹の『特別』じゃなかった。『その他大勢』だったんだ……。その言葉は、私の心を十分に破壊する威力を持っていた。
「わかった」
長い沈黙が流れる。直樹が、そっちが先に電話を切らないなら俺から切ると言ったけれど、お互いに切ることができずに、また数分無言が続く。そして、直樹が電話を切った。
涙は出てこなかった。それ以上に、心の置き場所が見つからない。心臓が痛くて、息をするのも苦しい。えっと、私はこれからどうするんだっけ?家に帰るところだった?どうしていいのか、自分が何者かすらもわからなくなる。
……少し眠っていたようだ。いや、気を失っていたのかもしれない。でも、起きたら何だかさっきまでの心が落ち着いていた。
「私にできることは、もう何もない」
直樹から「元カノ」と言われ、ふっと肩の力が抜けたみたいだ。私は、直樹にとって過去の女性の一人になってしまった。悲しくもあるけど、同時にやりきったという感情も沸いていた。
直樹に対して、怒りや恨みという感情は不思議と出てこない。その代わり、これまで、幾度もぶつからせてくれたことに、温かい感情がこみ上げていた。
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