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愛そう無駄を・2
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今日は印象派、とりわけモネについて勉強した。
1人の画家の人生を追いかけるのは今回が初めてで、ドラマティックな体験だった。
どんな時も、人生が絵に立ち現れていると感じた。
これを元に、上野でやってるモネ展に行けたらいいな。作品一覧だけでも見てみようかな。
モネ展のホームページ
読んだ本
モネは、水に引き寄せられていた。海辺の街で育ち、セーヌ川のほとりを転々と生きた。水の、絶えず形を変えるところは、画家を惹きつけたのだろう。景色を写し、睡蓮を浮かべる水面。
わたしも水面に惹かれる。とくに海のような黒々として底が見えない水に惹かれる。理由はよくわからないけれど、生きていればわかるかな。そこで生まれたからかな。
ちなみに、一度も海に入って泳いだことはない。こんな港町で暮らしているのにね。モネはどうだったんだろうな。
ギラギラ揺れる水面。ポプラ。宮沢賢治。好きなものは、つながってわたしの中で再構成されてゆく。
ハマスホイにヨルシカを聴かせたいし梶井基次郎を読ませたい、そう思ったことがある。
宮沢賢治は、モネの絵を見ただろうか。
話は逸れるが、わたしは用の美と呼ばれるものが大好きだ。実用的な無駄のない美しさが好きだ。新幹線、腕時計、眼鏡、お椀、地球儀。使える、意味のある装飾も好きだ。ガーゴイルとか、鳥居とか、ジーンズのポケットについている鋲とか、刀剣とか。無作為な美しさも好きだ。自然とか。
なぜ好きなんだろうと考えた時に、見かけだけ飾ったものは好きではないというところと、使えないと意味がないという自他への厳しさが挙げられる。
好きなものは変えるつもりはない。けれど生きにくいかもしれない。
無作為な美しさも好きなのはなぜなんだろう。わざとではないところ、目的があるところかもしれない。孔雀の羽が美しいのは、異性を惹きつけるという目的があるから。無駄ではない。
これを自分に当てはめる。
意味のあること、目的のあることをしないといけないと、自然に思っている。
これだ。
わたしが勝手に生きづらいと思っているのは、理由や合理性を求める性格だからだ。
もちろん、生きるのに直接必要ないもの、芸術やお菓子も好きだ。だけど、学びにしたり栄養を摂ったりすることを気にかけている。
生きるとは、そんなに効率の良いことばかりではないのではないか。
いわば、うつ病になって自己否定をしていたのは、自分が「使えない」とどこかで思っていたからではないか。
わたしは、わたしに謝りたい。
ごめんなさい。
あなたは、意味がなくなっても、いていい。
意味がなくていい。役に立たなくてもいい。
ただ、生きているだけでいい。
涙が出てきた。
わたしは、誰の役に立たなくても、生きているだけでいい。
繰り返す。
わたしは、役に立たなくていい。
これから、もっともっと、無駄なものを選んで、無駄なことをして、無駄な時間を過ごそう。
そうしたものに、一つも無駄なんてないのだから。
今日良かったこと
自分のことに気づけた
ラーメンが美味しかった
オムレツが美味しかった
モネについて勉強できた
散歩できた
妹とたくさん話せた
ゲームのキャラが可愛かった