短編「約束の翼 〜 一陣の風のように」3
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第三話 約束の記憶
ちはるは一瞬耳を疑った。
「監督?紫釉くんがホントに言っててるのですか?」
監督は
「あゝそうだ。それと岡崎のことについてはもう一つ伝えておかなければならない。」
ちはるは「何なんですか?」と訊き返す。
監督は重苦しい胸の内を明かすようにちはるに告げるのだった。
「岡崎はメニュエール病なんかじゃあない。アイツは白血病なんだ。」
(!?)
ちはるは今聴いた言葉を拒絶するように身体の震えが抑えきれない。
「 . . . . . 。」
沈黙が続いた。
(そんな、そんなことってある?)
監督はちはるを思い遣るように言葉を選んで事情を話してくれた。
「岡崎はお前にだけは伝えておいてほしいと . . . 彼たっての希望なんだ。
小鳥遊よ__ 。
突然のことだからお前が混乱する気持ちもわかる。
しかし、今は岡崎の病院に見舞いに行っても感染症対策で面会させてもらえんのだよ。」
そのように言い残して監督が部室から出て行った後、ちはるは茫然と立ち尽くしていた。
ちはるは絶句したまゝ
肩を落として帰路に着く途中で色々な想い出が頭の中を浮かんでは駆け抜けてゆく。
(わたし . . . あなたのことを憧れてたのよ? どうして?まだあなたに好きって伝えていなかったんだよ?)
あたりはすっかりと日が暮れていた。
ちはるは時を忘れて夜の帳を彷徨うように歩いていた。
それからどのようにして帰宅したのかは記憶が断片的に飛んでしまって憶えていない。
ちはるはいつの間にか自宅のベッドの上で微睡んでいた。
ちはるは心も身体も鉛のように重苦しく、翌日の夕方に一度目覚めたがその日は部屋から一歩も出ていく気分になれなかった。
そして眠れない夜が長く感じる。
時計の秒針の音が耳の奥で鳴り響く。
天井を見上げるだけで迫り来る圧迫感で押し潰されそうだった。
(紫釉に会いたい__ 。)
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4月になった。
二回生となり新しいシーズンが始まる。
いつも練習している漕艇場の川沿いが桜の花で薄紅色に染まる。
紫釉が入院して一ヶ月が経とうとしていた。
ちはるはレガッタ大会の抽選会場に向かう。
龍志館のAチームの舵手は今まで通り"岡崎 紫釉と選抜発表された。
ちはる自身の心定めが付かない限り、舵手不在という不安やプレッシャーをかけないようにという監督の配慮であった。
抽選会はドッと、どよめきが起こった。
昨年は全国でも2位・3位と好成績の強豪チームとして、各校からマークされる立場にあり、レギュラーメンバーに岡崎の名前が連なっていると自然と注目が集まるのだった。
強豪のライバル達からも「名手=岡崎」として認識されていたが、紫釉が病床に伏していることを当然彼らは知る由もない。
ちはるは抽選会場を後にする。
桜並木を歩きながら、ちはるは思いに耽っていた。
こうして歩きながら考えごとをすることが、紫釉が居ない今のちはるにとって最近の日課になっていた。
真実は__
ちはる以外には監督しか知らないのだ。
今に思えば
(どうして紫釉はわたしなんかに舵手を託したんだろう?)
(紫釉の立場からすれば、一番苦しんでいるのは紫釉本人なんだよ?)
次々と想い巡らし、ちはるの記憶から紫釉の言葉を想い返していた。
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記憶の中で紫釉が話していたのは__
「8人のオールを漕ぐ力が完全に合った瞬間だけ奇跡が起こるんだ。」
と紫釉は言う。
「どうなるの?」とちはるが訊き返すと
「その時は艇身が宙を翔んでいるんだぜ!
みんなのオールが翼に見えるんだ。」
紫釉は「これぞ我が青春なり!」と興奮気味に話していたっけ。
「いつか、ちはるにも舵手冥利ってものを味わわせてやりたいな。」と紫釉が屈託のない笑顔で語っていたのを思い出す。
(あの時の約束だったのね?)
紫釉がちはるを舵手に指名した真意に触れた気がした。
胸の奥が温かいもので満たされていく。
(紫釉くん . . . 。今生きているこの瞬間が大切ってことだよね?)
黄昏に染まる川の向こうからあの時の紫釉が見つめている。
それが幻だとしても__
ちはるの瞳から大粒の涙が溢れて止まらなかった。
ちはるは胸の奥の深いところで何かが変わっていくのを感じていた。
《第四話へつづく》
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ヘッダー画像:Chiharu Saito
@chiharu_saito_ex
この作品はフィクションであり、作品中に登場する人物名・団体名は架空であり、実在する人物や団体とは何ら関係ありません。
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