短編「約束の翼 〜 一陣の風のように」2
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第二話 紫釉《しゆう》
ちはるは漕艇部に入部すると
今までぼんやりと眺めていただけのボート競技の奥深さに魅せられていった。
ボート種目は大別すると
オール2本で漕ぐ種目とオール1本で漕ぐ種目に分かれている。
"スカル"はオール2本で漕ぐ。
乗員は漕手の人数によって1名(シングル)〜4名(クォドルブル)に分かれる。
オール1本の種目は
"舵手付きフォア"は漕手(クルー)4名が左右2本で漕ぎ、もう1名の舵手(コックス)が進路やペースを指示する。
"エイト"は漕手8名と舵手1名で構成されボート競技の種目では最も速いスピードが出る。
競技大会ではこの"エイト"こそが漕艇競技の華であり、各チームの応援も一層盛り上がるのだ。
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龍志館の漕艇部は数年前までは弱小チームであり、創立15年目にして未だに地方大会の予選を突破することが出来なかった。
主力の三回生はパワーとスタミナを兼ね備え屈強なメンバーが揃ってはいたものの、ボート競技はパワーと体力だけではなく繊細さが要求される競技である。
クルー8名のパワーを最大限に引き出すためのリズムやタイミングを合わせたり、呼吸を見計らいながらペース配分や進路を細かく補正したり調節しなければならない。
いったん水上に出てしまえば監督やチームスタッフのサポートは切り離される。
クルーへの指揮は舵手に委ねられる。
舵手は声の出し方も工夫を重ねてクルー達を鼓舞をする。
喩えるなら__
勝利へのタクトを握るオーケストラの指揮者と言ってもいい。
今春で一回生になった岡崎 紫釉が舵手を務めるとなった。
彼は身長が180cmを超えていたため、舵手としては「体格的にハンディキャップがある。」と周囲から言われていた。
彼自身は規定の55kgリミットぎりぎりまで体重を絞り込み、長身痩躯を折りたたむようにして艇の最後尾に座っている姿が美しく、その端正な顔立ちと相まって異彩なシルエットが特徴的で遠目から見ても一目瞭然で彼だと判別することができた。
そのような長身という舵手としてのハンディキャップを補って余りあるくらい、紫釉にはボート競技に対する状況判断とセンスの良さを備えており他チームを圧倒していた。
紫釉は昨年の7月からAチームのコックスとしてレギュラー定着すると、チームは創設以来初めての地区予選突破を果たして、2ヶ月後に行われた全日本インカレでも快進撃を続け、なんと決勝まで辿り着き本番でも健闘し全国3位と部発足以来の好成績を残した。
"シユウ(紫釉)が舵を握ると艇が宙に浮く。"
と言われるほどクルー達からの信頼は絶大だった。
三回生達が抜けた後の記念大会でも全国2位となり、龍志館漕艇部は全国有数の強豪校へと躍進するのだった。
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来季は初優勝を目指してオフシーズン(11月〜2月)は厳しいトレーニングに日々を費やす。
しかし、順調に回っていた運命の歯車は、一度噛み合わせが狂い出すと不協和音を立てて停滞する。
紫釉は体重制限のために相当な努力をしていたに相違ない。
オーバーワークも重なっていたのだろうか。
紫釉が川沿いをランニングしていた時のことである。
紫釉は突然の眩暈に襲われ身体のバランスが失っていく自覚症状に襲われた。
(一体、どうなるんだ?)
紫釉は立ち上がることも出来ず道端に倒れてしまった。
運良く通りがかりの人に助けられて救急車で緊急搬送されたのだった。
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翌日、ちはるが宿舎に行くと
「紫釉は重度のメニュエール病に罹ったと診断された。」と知らされた。
突然のエースの不在に
開幕まであと2週間だが紫釉の眩暈は一向に治る気配はない。
紫釉が完治する目処がないまゝ開幕を迎えることになると、それまでに代わりの舵手を急造する必要があった。
紫釉の優れたゲームメイクを失えば、チームは求心力を失った空中楼閣のように瓦解しないとも限らない。
ある日、ちはるは監督に呼び出された。
監督は目を見合わせて意を決するように口を開いた。
「小鳥遊。
岡崎からの伝言だ。
今度からお前がAチームの舵手をやってほしい。」
《第三話へつづく》
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ヘッダー画像:Chiharu Saito
@chiharu_saito_ex
この作品はフィクションであり、作品中に登場する人物名・団体名は架空であり、実在する人物や団体とは何ら関係ありません。
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