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現代の病理としての、多様性というアノミー的なシステム
政治が悪い
タイミングが悪い
「 」が悪い
そんな言葉が跋扈しているここ最近
『僕』たちはSNSに目を向けていたり、テレビに目を向けていると人は誰もが何かが悪いというためのものを探しているように思えるのです
社会が悪いという文言も聞きます
社会とは離れているように思える方々も言う時があるのです
社交とはすべての人間が平等であるかのように人々が行う遊戯であるとジンメルは言っています。
そして、そこにはコケットリーという文化が生まれるのです。
ポリコレ、漂白社会、SDGs、ジェンダーなどなど
人の多様性というものを分別して仕切りを作る昨今の人々の在り方はまさに分断ありきと言うものになっています。
その結果、腫れ物に触らないような距離の取り方を行っていくのがいまの世の中です。
これが前述したコケットリーと称した所以であります。
相互作用として個人と個人、社会と個人、社会と社会など様々なものがあります
しかし、これらの多様性を相互作用ではなくサラダボウルつまりはゾーニングを引くことで達成しようとしている人たちを見ているとそれはうまくいくわけがありません。
生まれるのは分断であって、フュージョンされた理解ではないためです。
『僕』はこの分断は多様性という名のアノミー的な新しい人を殺すシステムなのではないかと考えています。
あたかも、みんなが分かり合える幸せを望むもののそれは押し付け合いでしかなく、その鬱憤を「何か」が悪いの何かを探しているように思えるのです。
これらの新しいアノミー的なシステムを早く解決する術が人が生きるために必要なのではないかと考えています