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鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎の感想と「感染」した想いについて

つい先日にご縁がありお誘いいただき映画を観てきました、「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」
この作品から受け取れるメッセージはたくさんありますが、『僕』が思ったのはやはり「畏怖」の大切さでしょうか

『僕』はここにフォーカスをあてて考えていました。
水木しげる先生はきっと人間の愚かさ、それは日本人というものの特性というものに置き換えてもいいのかもしれません。
その怖さなどを妖怪という物語を使って教えてくれました。
そして、同じように妖怪を使ってこの人間、日本人という特性への処方箋を出してくれていたのではないかと思うのです。
この処方箋が「畏怖」というものなのではないでしょうか

要は「畏怖」というまなざしが人には必要であるということです。
これが海外ですと宗教の神ということになり、それを規範として人は道徳的な観念や人の在り方を方向づけることができ、価値観の共有を図ることができます。
一方で、日本人はというと宗教という概念がないためその規範というものは周りを支配する空気によって決まってしまいます。
萩原朔太郎が言ったように日本人は自分たちの文化という着物を1日にして脱ぎ捨てて新しい着物に袖を通すことができるというものです。
つまりは規範がないのです。
しかし、昔から言われているように日本は八百の神がいて自然からモノ、そして動物から人まで万物に見られているという畏怖を持っていました。
それは「お天道様が見ている」という言葉に云われるように悪いことはできなかったのですから……

しかし、今の人たちはその畏怖における敬い、心を配る余裕を失っていきました。
気配というものはこういう気配りで相手や万物から見られているというもので背を正したものですが今となってはそれも機能していません
これを水木しげる先生は妖怪という見えざるものであるが見えるもの、すなわち信仰という心に住まわせることでいつでも見られているという「まなざし」を作ろうとしたのではないかと考えています。

このまなざしによる暖かさで人はその社会を形成し、よりよい世界を作ることで未来へ生きる子供達が少しでもよく生きられるように努めようとしたのではないかと考えるのです。
これは『僕』の想像ですが……


未来のために大人ができることというものはそのセカイに生きている者の役割なのかもしれない

子供がいるのならその子のために少しでもいい世界を作ってあげたい
子供を生きるために育てたいというのもあるが、子供が生きていく世界をよくしていかなければいけない

病気になっても病院に行って死なない、必ず治るわけではないけど命が繋がること
飢えに苦しむことなくお腹いっぱいに食べられること
戦争のない争わない人が血を流さなくていい世界であること
人が人間という種として扱われ、生物としてその営みを全うできること
人が自分のやりたい事をできること、仕事がありそれに精を出すことができること

何かを失うということはその失ったものに代わるようなかたちで何かをみるようになる

ゲゲゲの謎という映画を通して素晴らしい「感染」という影響を受けることができたよい作品でした

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