相互能力の本質【社会的能力について】

【相互能力】は、1と0で成り立つ。
もし【相互能力】が1でも【社会的能力】の範囲内になければ【理解位置】に必然的に【相互能力】がない。

なぜなら【理解位置】は【社会的能力】の範囲内にのみあるからで、【社会的能力】の範囲外にある【相互能力】には理解がなく、合わせてるだけで理解していない。

この状態の【相互能力】は0である。

【社会的能力】の範囲内以外の【相互能力】の1は悪用で間違いがない。
悪用は時間と空間と次元全ての全において(事後であっても)遡及して悪用は反動となる。
それは消失及び焼失、滅失後も過去ならば消えない。これは遡及よりも高次のフレームワークである。

犠牲は決して付き物ではなく、【知能の問題】があるモノだけ、犠牲は付き物である。
【知能の問題】があるモノの悪用は全てが不必要だったモノであり、無駄な犠牲があるだけである。
無駄な犠牲があるのは悪用である。
悪用したモノは【知能の問題】があるため、責任不可避で許容される。
その際、【知能の問題】がない者に損失、遺失を与えてはならず、与えた場合にはそれ相応ぴったりの喪失と補償(弁償)及び賠償相当の異動が自然となる。

【知能の問題】がない者には犠牲がなく、自然な摂理が慣わす。


【相互能力】が0とは、

①【社会的能力】の範囲外にある時
②【社会的能力】の範囲内の【理解位置】において双方合わない時
③【社会的能力】の範囲内の【理解位置】において一方が、【社会的能力】の範囲外の時
④【社会的能力】の範囲内の【理解位置】において双方合わせることができても、一方が【社会的能力】の範囲内の【理解位置】に選択的に合わさない時
⑤【社会的能力】の範囲内外において、干渉するとき

の計おおよそ五つある。


【相互能力】が1とは、

Ⅰ.【社会的能力】の範囲内に【理解位置】があり【相互能力】がある時
Ⅱ.【社会的能力】の範囲内に【理解位置】があり干渉しないとき

の計おおよそ二つある。


【相互能力】はそれぞれ自律してなくては【相互能力】とならず、自律してないものはノイズ、雑音、乱数音となり【社会的能力】の反能となる。
この反能は病的な依存や上下関係ない異存にあたる。

これがいきすぎるとノイローゼ調子となり、ゲシュタルト崩壊の仕組みとなる。

この【社会的能力】の反能は【相互能力】においての錯誤の要因となる。
これは【知能の問題】があると、自覚しない。



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