自覚能力について
自覚能力は【マクロ的鳥瞰】と【能力認知】、【可変ベクトル】によって成る。
失うのは【可変ベクトル】の誤認によるもので、可変ベクトルは合致すればするほど伸びる。
誤認すればこれが延びず凝りとなる。
この凝りはその本体の柔軟性を失わせ確定した虚弱性質となる。
【能力認知】は、位置(座標位置)を計り比較のための相対的要素である。
重要なのは座標位置でそこに数量という概念が付すれば【知能数量の問題】として捉えていて【知能の問題】になる。
このように【知能の問題】を持ってるものは、理解力のナッシュ均衡において通常までで限界値となる。
相対的比較にとって重要で、ここが数量で図ると劣等意識や劣等感、虚栄心が生まれやすい。
またこれらは理解力のナッシュ均衡に寄与する。
普通に【能力認知】により相対的比較すると、自覚能力に誤認がなくなる。
そこで潜んでいた【マクロ的鳥瞰】がそれぞれ【可変ベクトル】に応用することで自覚能力が出来る。
自覚能力には程度があり、それは誤認度合いによる。
しかし自覚能力がないからといって、自信がなくなるわけでもなく、自信を持ったり声高だったり大きな声で胸を張る。
これは《自覚能力の誤認の自覚もしない》為に起こる。
自覚能力は、循環して誤認を隠す副作用がありこれは【可変ベクトル】が円周率のベクトルとなってるからであって、可変ではあるが惑星が公転し続けるように端っこ同士が繋がってしまい、既に進まない状態に近くなってるからだ。
ベクトルの繋がりは副作用として負の側面に当たるものの、成長を犠牲にその状態で安定させてるので安定のみが目的なら正の側面となる。
しかしこれは限界値からくることがほとんどでナッシュ均衡に近い。
自覚能力についてこのベクトルの繋がりは負の側面でしかない。
これが正の側面となるのは精神病の罹患等病気についてである。
この状態から病気では、健康の成長として変わりづらい円周率のベクトルにしてそこから【可変ベクトル】で健康の成長のベクトルに半矯正的に変容させていくのが治療と呼ばれる機序である。
自覚能力は【可変ベクトル】が伸びる、【能力認知】は多く、【マクロ的鳥瞰】が広くなることが自覚能力があると言える。