自覚能力が持てないヒトほど、勘違いと錯誤と逆恨みと責任転嫁と暴走をするので、自覚能力が持てないヒトほど責任と負担が優先されるべきだと思います。 そうしないと有能なことが未来にならないです。言葉も含めて。
判断能力が通常以下だと、自覚能力のないことに否定しなくなるので、自覚能力のないことがmajorityになる。 多数決なシステム(社会の歪み)はそのように出来ている。 自覚能力があって判断能力があることはminority側でしかなくなる。 通常以下は普通ではなく一般でもない。
【相互能力】が1になろうとも、【社会的能力】が狭く、相互能力を1にできる【理解位置】が相互能力に届かなければ仮想的で下層的な1にしかならず、実質においては【相互能力】は0の状態で保たれる。 ①この状態の共感は合わせてるだけで理解はしていない。 ②否定せずにいると寛解志向になる
どんなに感情の自己制御が整ってても、 自覚能力で謙虚になりすぎたり上から目線になったりする。 しかし、IQがあったりモラル(知能)があると自覚能力の検討が入りバランスが整う。 EIが低くとも自覚能力があると取り捨てできるけど、IQやモラル(知能)がないと感情的になってヒスと呼ぶ
最近、時間がないけど時計が必要で焦ってる人に話しかけられたり、行きたい駅あるのにどう行けばいいのかわからない人に話しかけられたりした。 どう対応すればわからなかったけど、出来ることだけした。 頼られるということを久しぶりにされた気分だった。 出来ることがある自覚の重要性を感じた
【自覚能力】→あるない、(ある中での差は言葉の表現について難しい) 【マクロ的鳥瞰】→広い広くない(狭いはない) 【能力認知】→多い多くない(少ないは言わない) 【可変ベクトル】→伸びる延びる、曲がる、変容する、分かれる
自覚能力がないと理解できないことについて自覚しないため「大きな声で間違ったことを言う」や「胸はって勘違いしたことを当たり前に言う」ことが起きる。 しかし、判断能力が通常以下だと、勘違いや間違いを態度やボディランゲージで正しいと思い込む(バイアスに脆弱虚弱)。 これも自覚能力ない