『嵐が丘』を読んでみた〜光文社古典新訳文庫を読もうシリーズ〜
一生をかけて光文社古典新訳文庫をじっくり読んでみる。そんなシリーズを始めてみようと思います。
著者のエミリー・ブロンテは29歳で『嵐が丘』を出版し、肺結核を患い30歳の若さで亡くなった。
イギリスの片田舎で魂を削りながらしたためた一冊。生涯で小説はこの一編のみ。彼女の死後、『嵐が丘』は世界文学を代表する一冊と称されるまでに至った。
出版時の著者と、いま読者の自分は時代は違えど29歳の同い年。親近感とはまたちがう、なんだか感慨深いものを覚えました。ブロンテさん、すげーっす。
舞台はイギリス北部のヨークシャー州。荒野に佇む二つの屋敷、アーンショウ家とリントン家。都市生活とは隔絶されている一画。その狭いコミュニティにおいて、徹底的に「人間」を描いています。
ある日、アーンショウ家の主人は、出自のわからない真っ黒に汚れた子を引き取ることに。ヒースクリフと名付け溺愛するもその主人が亡くなり、物語が動き始めます。
あらすじをみてみましょう。
上巻
ヨークシャの荒野に立つ屋敷<嵐が丘>。その主人が連れ帰ったヒースクリフは、屋敷の娘キャサリンに恋をする。しかしキャサリンは隣家の息子と結婚、ヒースクリフは失意のなか失踪する。数年後、彼は莫大な財産を手に戻ってきた。自分を虐げた者への復讐の念に燃えて……。
下巻
ヒースクリフはリントン家の娘イザベラを誘惑し結婚する。一方、キャサリンは錯乱の末、娘を出産して息絶える。キャサリンの兄ヒンドリーもヒースクリフに全財産を奪われてしまう。ついに嵐が丘を我が物としてヒースクリフだが、その復讐の手は次世代へとのばされていく。
キーワードだけ拾えば、ヒースクリフによる世代をまたいだ復讐物語です。突き動かすのは「情念」と「業」。主人亡き後、若主人のヒンドリーからは虐げられ、キャサリンにも裏切られたと思い失踪し、やがて復讐のために舞い戻る。
あらすじだけ読めば漫画的、劇画的な印象を持たれるかもしれません。たしかに読みながらイメージしたヒースクリフ像は「刃牙」の範馬勇次郎だとか「ドラゴンボール」のブロリーあたりが頭をよぎった。
ただ、ヒースクリフとキャサリンの関係を一つとっても、表面的な恋愛沙汰のもつれではないことは明らかです。
もっと人間の深淵に迫っていて精神的な結び付きにまつわる葛藤やそれゆえの狂気性が描かれます。運命共同体だったはずの二人は残念ながら生前では一緒になれなかった。
じつは、この物語は神の視点では語られません。この屋敷に長年仕える家政婦のネリーが、屋敷を借り主となる青年ロックウッドに語る形式となっています。
常識人である家政婦の彼女が見聞きした話がベースのため、もちろん第三者の客観的目線が入っているのだけど、あくまでネリーによる語り。
ヒースクリフが小さい頃から知っているし、彼の悪事を間近で目撃していながらも憎みきれず仕える、そんなネリーの目線。
なんならヒースクリフは一定の信頼を置いています。彼は次の世代への復讐が佳境に差し掛かったなかで、ネリーにこんな言葉をもらします。
「(中略)いまこそ、奴らの後継者たちに復讐すべきときなのだろう。やろうと思えば、おれにはそれができる。誰にもじゃまはさせない。―だが、そんなことをして何になる?殴りたいとは思わない。(中略)おれはただ奴らを滅ぼす力を失い、無意味な破壊をするのも億劫になっただけのことなのだ。」
自らの境遇と同じくして教養を与えずに育てたヘアトンと、キャサリンの娘であるキャシー。この発言の前に、二人の距離が縮まったのを目撃したヒースクリフ。
ヒースクリフは、自身とキャサリンをあの二人に重ねたのではなかったか。それはつまり、血の繋がりこそないけれど彼に父性が芽生え、次の世代に対して復讐の念ではなく、希望を抱いたのではなかったか。
ネリーに話したあの言葉の意味は、キャサリンの後を追いかけるために死に憧れた、ただそれだけではないと読みました。悲劇のなかにある「救い」。
いろんな読み方ができそうな一冊です。
というわけで以上です!