
であいがしらで すきだとおもった。かも。
中学一年生の時に初めて歌うことになった合唱曲の出だしが、これだった。
正直この曲を聞かされた時、めちゃくちゃ馬鹿にした。
一目惚れとか嘘だろといまだに思う。一目惚れのことを馬鹿にしている。一目惚れしたら、長続きするだとかそーんなことが言われているけど絶対嘘だとも思う。
例えば、一目惚れした洋服は長く着るけどそれって、他に着る服がないからであって最初の感動はすぐに忘れてしまってただのモノでしかない。
他にも、水族館ではあんなに愛くるしいぬいぐるみも、家で三日共に過ごせばなんだかちょっともふもふな布。
だから、ぬいぐるみに名前がつけられない。
ただの布なので。
それから、縁日で可愛かった苦労してゲットした金魚だって、数日でただの魚類。しかもあいつらは勝手に煮干しになるし。名前とかいう次元ですらないよね。馬鹿らしくてさ。
きっと、ときめきがあるかないかで片付けをする、昔流行ったこんまり流を導入してしまったら、私の家はきっと空っぽになる。
我が家にある時点でもうときめかない。
そんなこんなだけど、意外と思い出に対しては温かい心があるかもしれない。
後輩が昔サボテンをくれた。お誕生日おめでとうって二人で出し合って買ってくれたサボテン。めちゃくちゃ大事にして、インスタのストーリーにも載っけて、水もあげまくった。
そしたらぶよんぶよんのグデングデン、プルプルサボテンが爆誕した。
水のあげすぎで、腐ったらしい。
大事にしすぎて腐らせるなんて。あぁーなんて愚か。あぁーあ。
他に、もらったゲルハルト・リヒターのポストカードとか大事にしてる。なんか、やっぱり思い出に弱いのかもしれない。
誕生日にもらったものは、なんか思い出せば全部大事にしてる。
物そのものへの愛着と、思い出への愛着が混ざり合って金太郎飴作る時みたいにネジネジになってるんだろうな。
まぁ、兎にも角にも私には一目惚れは向いていない。ネジネジ金太郎飴がないと多分好きにならない。
だから、やっぱり出会い頭で好きだと思ったとしても、後々多分好きじゃなくなる。
だから今後も一目惚れを馬鹿にし続けるんだろうな。
日常にときめきが足りない!!!
くっそー!ノート再開しちまった!!
以前はなんだかサブカル的な自己承認欲求を満たすために使いそうになったからやめた。
文章は己の自己肯定感を上げるために書くんじゃねぇ〜オラオラオラオラオラ
覚えとけよ!