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ふるさとは岩手です

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遠野雑記帳あれこれ。思い出すがままに...。
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2020年10月の記事一覧

風物詩りんご市は何処へ/遠野雑記帳

駅前のりんご市(05年3月16日) 遠野駅前「遠野交通」の近くに、りんご市があった。リヤカー…

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どこの中学にも土俵あり/遠野雑記帳

若乃花のファン (05年4月1日) 昔はどこの中学校にも校庭の片隅に屋根付きの土俵場があっ…

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飛び交ふ山鳥 躍る若駒/遠野雑記帳

遠野三山の早池峰(05年6月22日) 早池峰の 新緑萌ゆる 郷の里 飛び交ふ山鳥 躍る若駒 …

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再婚したのと聞いたら…/遠野雑記帳

親不孝通り(05年4月21日) 遠野駅を出て左手に行くと、人々が「親不孝通り」と呼ぶ一角があ…

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余命半年、手遅れだった/遠野雑記帳

がん告知受ける (05年4月14日) 父は旧遠野病院で胃がんの手術をした。26年も前の話だ。 …

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あゝ上野駅石碑見に行く/遠野雑記帳

花巻駅と上野駅 (05年4月21日) 新幹線ができて以来、新花巻駅を利用するため、花巻駅に立…

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自らついた餅の味は格別/遠野雑記帳

つきたてのもち(05年6月13日) 遠野ふるさと村体験プログラムに「もちつき」というのがある。「臼を使って餅をつきます。自分でついた餅の味は格別!遠野ふるさと村産のもち米を使用します」とアピールしている。 もちといえば、お正月を思い出す。小さいときは祝い事があればすぐもちをついた。もちつきの前に、炊いたもち米を少しもらいよく食べた。粘り気が強くて、おいしかった。 もちつきの時、両親の呼吸、兄と母の呼吸も合っていた。今は機械でやっているが、幼稚園などではお相撲さんと一緒につ

祝日に日の丸あげていた/遠野雑記帳

君が代日の丸騒動(05年5月22日) 市役所から配布されたのだろうか。どの家でも「日の丸」を…

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音楽はオルガンを使った/遠野雑記帳

オルガンとピアノ(05年4月20日) 小学校の音楽はオルガンを使った。音楽室などはなく、音楽…

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番傘なくさず大事に使う/遠野雑記帳

番傘&こうもり傘(05年5月20日) 小さいころ、こうもり傘は貴重品だった。当時は番傘が主流…

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カッパが左目でウインク/遠野雑記帳

遠野の代名詞(05年4月10日)3月31日、遠野に行ってきた。「おとぎ屋」で昼食後、店にあった…

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たまに内緒で納豆食べる/遠野雑記帳

好物の納豆だが…(05年6月14日) ワーファリンを服用して5年が過ぎた。抗凝血薬療法を受け…

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農繁休業は不必要と投稿/遠野雑記帳

牛の世話(05年7月3日) 毎年のように農作業(田植え、稲刈り)が遅れがちだった。働き手が…

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慌ててバイク買い与える/遠野雑記帳

バイクに憧れる(05年8月20日) 中学を卒業して就職する人がいた。長男が都会で働きたいというと、親が慌てた。跡継ぎがいなくなっては困る。というわけで、どの親も子どもにバイクを買い与えた。 バイクは憧れだった。中学校にバイクが1台あって、先生が一人一人にバイクに乗せてくれた。自転車と違ってバイクは速くて爽快だった。 バイクに釣られて、家に残った人が多くいる。今は一家で2台~3台も車を持っている。生活が豊かになったというより、車は必需品なのだ。都会と違い車がないと不便で、生