小説「ばいばい、アース」の魅力を内容に一切触れずに伝えたい【感想】
「ばいばい、アース」がどんな作品かと言われると"日本人向けに" "日本語で記述された" "小説という媒体"であることを存分に活かした作品だと自分は答える。物語の内容じゃないと思われるがこれこそが物語のキモでもあるのだ。
今回はストーリーや登場人物などに一切触れず、なおかつ内容そのものに出来るだけ触れずにその魅力を語ります。
理由は最後に書きます
追記
ホントにタイトル以外書いて無かったので基礎情報です
角川文庫
タイトル ばいばい、アース
著者 冲方丁
発売日 2014年8月1日
"日本人向け"とは
日本人はカタカナと外来語という文化が土台となって外国語をどこの国のものか区別せずに大体の意味を理解している。意味の理解に関しては個人差が多少あると思うがとりあえず例を上げてみます。
・サーベル
・ブレイド
・ソード
・エスパーダ
・ブレード
・マチェーテ
・スティレット
はい、どうでしょう?大体「剣」とわかりますよね。それぞれ細かい違いはあれど大まかに剣だと言うことはわかると思います。1つの単語に対してこれだけ多くの多言語の読みを知っているのは珍しいそうです。
これは発音をどう表せば良いか、すなわちカタカナでの表記さえ決まれば外国語をそのまま使える。そしてそれを変形せずに文章に落とすことが出来て、これらの使用が教育や文化に溶け込んでいるからです。
簡単にまとめると雑に外国語を受け入れて使えるってことです。
大前提で識字率が高く、後述する「ルビ」というある単語の横に並列でふりがな等を付けるという表現とそれを用いたメディア(映像作品や新聞、小説や漫画)を大多数の国民が享受できる状況がありますが。さらに比較的に表現についての政治的宗教的な禁忌が少ないことで自国以外の情報に触れやすいという要因もあります。
これはインプットの情報が多く想像力の土台も作られやすいということにも繋がります。
ん?作品に関係あるのと思ったそこのあなた。関係あるんですよこれが。なんせこの作品は多言語、異文化、造語が入り乱れる文字表現の坩堝だからです。
"日本語で記述された"とは
知っての通り日本語は「ひらがな」「漢字」「カタカナ」で構成されています。さらに文章としてそこに平然と「アルファベット」などの他国の文字をぶちこむことが出来ます。漢字は一文字で複数の意味を持たせることが出来るし、表音文字として優秀なひらがなとカタカナのお陰で読みに困ることもない。これは先程も書いた「ルビ」というアジア圏、特に日本で活用される技法があるからです。
これらを使うことで読者に対して多くの説明をせずとも単語の意味を伝えることが比較的容易になります。造語や固有名詞を多用するこの作品では存分に威力を発揮している。
作中の造語をひとつ取り上げてみましょう。
風媒花
はいこれで「とり」と読ませます。「ふうばいか」じゃなくて「とり」です。作中で特に説明もなくいきなり登場します。でも何となく想像できますね。そうこれが漢字パワーです。本来は風を利用して受粉をする植物を指す言葉ですがこれを「とり」と読ませることで「鳥」が連想され、風媒花の文字と合わせて「風を使って舞う鳥の様な植物」若しくは「身体が花などで出来ている鳥」といった想像がなされる(と思います)。
仮に風媒花本来の読みや意味を知らなくても少なくとも「鳥」に似た何かだと察することが出来るはず。ひとかたまりの文や単語にここまで情報を圧縮できるのは日本語の強み。表意文字と表音文字をルビで繋ぎそのどちらとも別の意味をその文字列に付与する。普段何気なく目にする表現ですが以外とすごいんです。
あとは「ひらがな」と「カタカナ」の使い分けによる心情や理解の表現なども日本語ならではですね。基本的には「ルビパワー」が炸裂する作品ですが、漢字やアルファベットも良い仕事をします。が、ネタバレ防止のためここら辺にしておきます。
"小説という媒体"とは
これは文字で表現という意味なので先にあげた項目と多少被りますのでそれ以外の部分を上げます。
小説と他の媒体(漫画、動画等)との一番の違いは、当然ですが視覚と聴覚による情報の有無です。知らない物語に触れ、書かれた文章から場面や音、人物を想像する。小説の醍醐味ですね。
では最初にある「小説という媒体であることを活かす」とはどういう意味か。
それは「文字」から「想像」すること、地の文の視点による叙述トリックならぬ想像トリックとでも言えば良いのでしょうか。
地の文が物語の登場人物に合わせているので、読者にとっては異物でも視点となる人物にとって日常なら細かく語らず漢字とルビでの表現に止めている。現代を舞台とした小説で"トイレという排便をする個室に入り、用を足して備え付けのトイレ用の水に溶けやすい紙でケツを拭いた"の様な回りくどい表現をしないのと同じです。逆にその人物にとって異物であるならその世界の比喩に基づいて何とか特徴を伝えようと表現しようとする。
前者においては想像の幅を広く持たせて読者それぞれの世界観の構築を促進させるが、後者は細かく描写するがどうにも輪郭が定まらないという不思議な感覚をもたらす。
取り分け後者の表現が秀逸で読み進めるごとに輪郭が濃くなり、ある時点で急に鮮明になり繋がり始めるのだ。察しがよく素直に想像出来る人なら序盤で分かってしまうが、そうでなくても中盤には見えてくる。さらに想像図だけでなく見えている文字も他の意味を持って見えてくるのだ。
そうして初めて読んだ時と、理解して再び読んだ時で違うモノ(想像図や言葉の意味)が見える。その感覚がとても筆舌しがたいのだ。
個人的には「旅の扉を開く鍵」の描写が好きです。
最後に
とにかくこの作品においては前情報なく読む事が最大限に楽しむ為の方法であり、文庫本の表紙を見ることやましてやあらすじを読むことすらネタバレの助けになってしまう。コミカライズもされていますが、それを読むと「想像する」というこの作品で一番楽しい部分が失われてしまう(コミカライズ自体は大変良い出来です)のでやはり原作から入ってほしい。
2024年にアニメ化も決定しているので、書店で見掛ける機会も増えると予想されます。なので、視覚的情報や内容に関する情報を得る前に手にとって欲しいのです。
小説とは著者の創造力の非可逆圧縮フォーマットであり、読者の想像力で解凍し知識で持って補完する媒体である。それは出来上がった物を他人と比較した時に最も差異が出やすい媒体であるとも言えます。しかしながらこの「ばいばい、アース」という作品はその差異をいとも容易く受け止める器があります。
この素晴らしい作品に沢山の人に触れて欲しいし、私は色んな人の「ぼく、わたしの《ばいばい、アース》」を知りたいのだ。作中の言葉を借りるなら「世界と混じり合いたい」のだ。だから気になったら、目に入ったら是非読んで頂きあなたの世界を作って欲しい。
後生だから一回読んでぇ😭
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