複雑性PTSDと育児②自分の親と同じことを子どもにしてしまったときの罪悪感
学生時代に、メンタル疾患になり、治療を続けてきました。
数年前に、病院を変えたところ、「複雑性PTSD」という診断をもらいました。
その後、治療方針が自分に合っていたおかげもあり、快方に向かっています。
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複雑性PTSDになった原因が両親にあった場合、「自分の子どもには、わたしのような思いをさせたくない」という気持ちが強くなり、育児の「禁止事項」が増えるように思います。
たとえば、
「子どもをガミガミ怒ってはいけない」
「子どもの前で泣いてはいけない」
「子どもを否定するような言葉を言ってはいけない」
など。
この禁止事項を行ってしまった場合、「自分の子も、わたしと同じようになってしまったらどうしよう」と必要以上に不安になったり、焦燥感や罪悪感が強くなったりしてしまいます。
この状態、きついですよね。
かと言って、この状態を避けようとしても、疲れているときやイライラしているときなどは、どうしても子どもにきつく当たりがちになってしまい、そのたびにネガティブな感情に襲われてしまう。
そして、
「わたしって育児向いていないかも」
「毒親に育てられたわたしが、やさしいママになるなんて無理」
と、さらに追い込んでしまうことも多いのではと予想しています。
(わたし自身が、むすめにうまく接することができなかったとき、こんな流れをたどることが多いです)
いつも「理想の母」でいられたらいいものの、子どもは思い通りにならないし、いつもニコニコのママなんて、そう簡単にできるものではありません。
両親に傷つけられてきた人にとって、育児は「試練」という感覚になりがちなんだと思います。
わたしのママ友に、両親にうまく愛されて育った人がいます。
その人は、両親の行動に苦しんだことがないため、「母としてこうあるべき」という感覚が、あまりないそうなんですね。
だから、子どもをガミガミ叱っても、子どもの前で怒鳴り散らしていても、なんとも思わないそう。
「わたしのせいで、子ども達がしんどい思いをしたらどうしよう……」
なんて気持ちにならないそうなんですね。
もちろん、そのママさんの性格も影響しているとは思いますが、両親との関係によって、「育児に対する気持ちの持ち方が変わる」ということを知りました。
じゃあ、複雑性PTSDを患っているわたしと、そのママ友、どちらがよい育児をしているか。
こう考えてみると、「禁止事項の少ないママ友のほうがいい育児をしている」というわけではないようにも思います。
そのママ友とそんなに変わらぬ育児をしている気がするし、むしろ、こちらのほうが丁寧に育児をしている印象があります。
(「どういう状態がよい育児なのか」は置いておいて)
にもかかわらず、「育児のしんどさ」は、わたしのほうが圧倒的に大きいのが現状です。
結局、複雑性PTSDのママでも、健全なママでも、子どもを傷つける可能性はあるし、完璧な育児ができるわけではないんです。
ただ、そのできごとをどう受け取るかが大きく違い、育児の禁止事項が多い人は、そこで「まぁいっか」と思えず、ズルズルと引きずって、そのまま悪循環のなかに入ってしまうのではないでしょうか。
だとするならば、「ズルズル引きずるクセ」を手放していくことで、少しは楽になれるのではないかと思うんです。
「どんなママでも(健全なママでも)子どもを傷つける可能性はある」と理解し、失敗してしまったら、「そういうときもあるよね」と自分に寄り添う。
そして、自分なりの精一杯の育児をする。
それでいいと思うんですね。
そこに、「わたしは母親失格なのではないか」とか、「わたしのせいで、子どもの人生がめちゃくちゃになってしまう」といった、余計な思考を加えてしまうから、苦しくなるんです。
「煩悩」が多すぎるんですね。
「余計な思考を加えず、できることをする」でいいと思います。
複雑性PTSDを患っているママさんも、健全なママさんも、それは同じ。
自分をつらくさせるような思考や感情は、どんどん手放していけばいいんです。
そうやって切り替えていったほうが、結果として、ママの笑顔が増えて、子どもにもいい影響があると思います。
「こんな母親で……」なんて思わなくていい。どんなママでも、子どもにとっては「大好きなママ」だから。
複雑性PTSDを抱えながらの育児、お疲れさまです。
少しずつ、思考を柔軟にしていきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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