「 己の中に清らかな循環をつくる 」
どうしても譲れない特別な「これがいい」がない時には、必要以上に貪らない。
どうしても何か一つを選ばなくてはならないというときには、なるべく選択肢の一番下を選ぶように。
どうしても譲れないこと以外は執着することなく軽やかに譲り、手放せる人でありたいと思っている。
日常は小さな選択で溢れている。
意識をするとその多さに驚く。
そして、その別れ道の先に広がる未来について思いを馳せてみる。
きっと正解、不正解はない。
でも、必ず未来はどこかほんの小さく変わっていく。それが積み重なって人生になる。凄く凄く怖いけど、でもやっぱり私はワクワクする。
選べないこともある、もう戻れない選択肢もある。
でも、選べるものも本当に沢山ある。
バスで、カフェで、どの席に座るか。
何を食べるか、どの道を使うか、どんな言葉を綴るか。
この思いをどんな言葉を選んで伝えるか。
ヨガの教えに「アスティア」という言葉がある。日本語で言うと「不盗」。
他人の所有物を盗まないことが簡単な解釈。ただ、私の中でヨガ哲学を学んだ時間に「人のチャンスや夢を奪わないことも含まれる」という教えがとても印象に残っている。
一人夢を叶えた人がいるということは、その背景にその夢を逃した沢山の人がいるということ。
私には叶えたい夢がある。
人生で、日常で、大切にしたいこと重きをおきたいことが具体的に決まっている。明確にある。
それを守り続けるために、なるべく長く自分の手元においておきたいから、だからこそ、それ以外は手放す、受け取らない、譲っていく。それを意識していきていきたいと思っている。
考えていると、本当に誰よりも必要としているものなんてないような気もしてくる。
これもヨガの教えで「シャウチャ」「浄化・清らかである」というものがある。
夏目漱石もこんな言葉を残している。
“持っている人には、それを正しく使う責任がある。知識があるのなら知識を、お金があるのならお金を。”
その責任を義務をしっかりと果たしていきたいと思う。
私は本を読むのが好きだ。新しいことを学ぶことが好きだ。
受け取ってばかりいる気がした。
それを私の番で止めてはいけない。
ヨガでいうときっと私は清らかではないし、責任を果たせていないと夏目漱石は怒ってしまうだろう。
欲しいもの大事にしたいものを常に明確にしておくこと。
それをいつでも受け入れられるようにそれ以外は受け取れないこと。
得たことは、自分よりもっともっと必要としている人がいるかもしれないから、自分に留めず、独り占めせず、放していく。本当に欲している人へと届ける媒体でいる。
意識して清らかな循環をつくる。意識して軽やかに風通しよくいたい。