私の、私らしい在り方
「何かを目指すという状態ではありません。
このままでいいなあと思っています。
でも、変わらないでいたいというわけでもありません。
どうなってもいいなあと思っています。
でも、悪くなるようなイメージはありません。
どう転んでも、なんとか楽しく生きていくんだろうなあと思っています。」
坂口さんのこの言葉が、まるで自分の言葉のようで驚いてしまった。
私は自分の綴る文章が好きで、自分の心にあるマインドも結構気に入っていて、自分の描く絵が好きだ。
だから、私は大丈夫なのだと思える。
鼓舞するとかそういう形ではなく、とても自然に、当たり前にそう思える。
「事実」として辛いとされる経験も山のように通り抜けてきたのだけど、この道を通り抜けてきたからこそなのかもしれないけれど、「大丈夫」という思いはその強さを移ろうことがあっても、存在として変わることなく確かにあり続けている。
私の逞しさであり、強さなのだと思う。
漠然としたその存在に輪郭を持たせてくれたのは沢山の本との出会いだと思っている。
その中でも坂口恭平さんの書籍との出会いはとても大きなものだ。
私に必要な断片だと強く思っているから、きっと人生のどこかの場面で巡り合っていたのだと思うけれど、もしものもしも出会えていなかったと思うと凄く怖い。
私は「直感」が良く当たる。「直感」にとても敏感で、そしてそれに従うことに躊躇しない。なんの裏づけがなくとも、「直感」という一つの支えだけでどこまでも進んで行くことができる。
そういうふうに生きてきて、自分で驚くほどの素敵でときめく心地よい未来を作ってきたという確信があるから、そこに迷いがどんどんなくなってきた。従わない怖さの方が上回るようになった。
日々は選択の連続だ。それは怖さでもあり、面白さでもある。選択に自覚的でいたいし、前向きでいたいと思っている。
基本は「直感」に基づいて生きていく。直感をきちんと感じられる自分である為に自分自身の純度を高めておく。寝不足だったり、食べすぎだったり、運動不足だったりすると、「欲」とかそういうものと混ざってしまったりして「直感」を見失ってしまったりしてしまうから。なるべく、できるだけ「所有」するということをやめ、軽やかでいる。食べ過ぎないこと、寝すぎないこと、ミニマリストの思考もこれに繋がっていくと思う。
今この文章を綴っていく中で、「彼」と関わり方についてハッとしてしまった。
彼の時間を所有したがっていたかもしれない。大好きで、大切、と思うのはとても幸せなことだけど、それゆえに、過度にべったりした付き合い方は私の目指すべきあり方には反しているような気がする。反省。
彼を私が所有することはできないし、私のことを彼は所有することはできない。
彼に私のすべてを知ってほしい、理解していてほしいとは一切思っていないし、そんなことはそもそもできないと思う。
私が知っているのは、彼の沢山の中の小さな小さな断片であること。でも、その断片は私の目には何よりも愛おしく映っていて、彼の気づけていない、彼の素敵な断片の存在を沢山言葉にして伝えたいと思う。そして、同時に私の知らない断片をどんどん磨くように生きていてほいしと願う。
私も、彼の目には届かない断片を有していて、彼がなんと言おうと、私はこれらを大切に磨いていきたいと強く思っていて、どんなときにも守り抜きたいと思う。使える時間は限られている。彼と共有する時間も大切だと思うし、大切にしたいと思っている。でも、時間を当てたいのはその断片だけではないということを忘れてはいけない。例えば、仕事から帰宅して夜寝るまでの時間。「無駄」という言葉は少し冷たいけれど、偏ってしまっているという自覚はある。反省。
15分でも30分でも本を読んだり、ヨガの勉強をしたり、仕事の勉強をする時間に割り振ってみる。ハッとしたとき、「彼」を責めるなんてことの無いように、気づいた今ここで舵を切りたい。
軽やかでいるためには、やるべきことに「今」手を付けること。ヨガでは「カルマを溜めない」と表現する。私にとって凄く苦手なことだ。「やるべきこと」をなるべく急いで手放していくこと。自戒を込めて。バーッと書き出して、無心で淡々と片付けていく。頑張ろう自分。
所有しすぎないということに、アウトプットの習慣化も含まれていると思っている。
学んだことも、自分のここの番で止めることをせずに、どんどん外に出していく癖をつけるようにしている。私は色んな事に興味があって次々に惹かれるものに出会う。成熟させて洗練させていくというのは少し苦手なのかもしれない、手ごたえとか損とか徳とか意味とかそういうものはあんまり必要としていなくて、どんどん自分の中を素敵なときめくものを通していきたいという思いが強いような気がしている。次々通して素敵とピンときたものを巡らせていれば、望まなくとも、良くも悪くも変化はあると思っている。
受け取ったら、ここで止めない。アウトプット。GIVEする。
そして、自覚的に、なるべく、できるだけ、「受け取る」ものの質を上げておく。色んなものに興味深々で、ときめきやすく、深く感じやすい傾向を感じているからこそ、選べるところは自分自身のために慎重でいたいと思う。目に映すもの、耳にするもの、自然と入ってくるものが多いからこそ、自分で選ぶことができるところは丁寧に質の良い物を受け取っていきたいと思う。
軽やかでいるためには「今日のエネルギーをなるべく今日使いきる」という心がけがある。
学生の頃から不眠症に苦しんできた。寝れないというのは心にも体にも負担がかかる。そして私にとって昨日、今日、明日、の区切りがなくなってしまうことが苦しかった。今日の疲れは今日でとる。今日のエネルギーは今日使いきって、心身ともにしっかり「疲れる」というのは、日々に区切りをもたらし、活力を生むと感じる。しっかり体を動かして体を疲れさせる習慣をもっと確かなものにしていきたい。中途半端にエネルギーを残すことは自分のプラスにならないと感じる。
そして、一番は絶対に欲しい物を明確にして、その他は手放し、執着せずに譲ることのできる自分でいること。
持ちすぎないこと。この思考を私の中に強く残してくれたのがホセ・ムヒカさん。
立場、収入が変わると、考え方や生活のパターンすらも変わっていく人がいる。
自分の信念や本質が外の状態が変わったからといって変化してしまうのは可笑しいこと。
ムヒカさんが質素な生活を続けるのは質素でいることが目的なのではなく、汚れから自らを遠ざける為。
日本に来日したときにも一切買い物をしない。そうしないと崩れてしまうことを知っているから。小さな1個で簡単に崩れてしまう。
自分は想像以上に弱い生き物で、強く律しないといとも簡単に、楽な方に流れてしまうのだと思う。
ヨガのレッスンを毎日提供するか、受ける。
移動は基本自転車か徒歩。(0円)
ネイルを毎月する。
生活費は60000円。
外食は基本しない。
お洋服はお気に入りの4セット。
もう今ここで十分に満たされていることを忘れない。
残りは貯蓄に回していくこと。