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プライドが邪魔をする1

自己受容を妨げる要因として厄介なプライド。
2022年の時点で既にプライドは邪気発生源です。

何故プライドがあることがマズいのかというと、そのプライドというのは必ず対象があるわけです。

○○に対してプライドを持っている

これを言い換えると、○○でインチキ自己肯定しているということになってしまうんですね。

何かにつけて威張ったり自慢したりする人の例はわかりやすいです。
あとドヤ顔するのもインチキ自己肯定になるため邪気発生源です。

もちろんこの裏には承認欲求があります。
プライドもまた承認欲求を原動力としたものなのです。

意外に真面目な人や優等生タイプの人もプライドが高くなる傾向です。

特に邪気発生源にいくつも該当している人というのは該当した数=インチキ自己肯定している数とも言い換えることができるためプライドも高くなります。

かつて私もスピリチュアルジプシーだったので、邪気発生源にいくつも該当していました。あの頃の自分は本当にプライドが高かったなと反省しています。

プライドが高い人は、まず何に対してプライドを持っているかを自覚する必要があります。おそらく過去に何かで名声を得た、評価されたのだと思います。これはつまり承認欲求を満たした記憶ですよね。
ここに確実に悪神が入っていますよね。
もし、プライドを持つ対象がなかったとしたら、果たして自分を受け入れることができますか?

その人が今まで正しいと思ってやってきたことが、間違いだったと知った時そんな自分を受け入れられるでしょうか?

プライドが高い人はこれが、驚くほどできないのです。

やろうとすると、無理!こんなの私じゃない!

と激しい抵抗が出てくるわけです。プライドの対象というのはほとんどが他者からの評価です。他者から評価されることが自分の価値という洗脳に囚われているのです。
更に言い換えれば、承認欲求を満たすことが自分の価値になっているのです。

他人から評価されようがされまいが自分の価値というのは生きている限りあります。自己受容できている人は良いも悪いも受け入れられるので、〇〇がある自分もない自分もどちらも受け入れられるのです。どちらも私ですと受け止めて完結するだけなのです。

自分の人生の中で嫌だったこと恥ずかしかったこと全部受け入れるのです。たとえ今不調続きでも誰にも認められなくてもそれも自分の姿だということを受け入れます。恥ずかしいのは人からどう思われるかを気にしているからです。

確かに仕事ではミスは許されないという風潮ですし、同じ失敗を何度も繰り返すと叱られてしまうのはあります。
日本の会社の経営方針がそもそも腐ってるので、つくづくサラリーマンは自己受容に不利だなとは思います。
他人と接する機会が増えるし。仕事で失敗した時は追い込んでしまうとかえって失敗し上手くいかないものです。だからこういう常識さえも本当に正しいのか、ただ縛り付けているだけなのか一歩引いてみるといいですね。

良い自分なら受け入れられるけど悪い自分は受け入れられないというのはインチキ自己肯定の典型です。受け入れない人ほど、自分に言い訳をしたり隠蔽したがる傾向です。それが後で明るみになった時の方が更に悲惨なのにバレなきゃいいと思ってやってしまいますね。
前回の記事でも書きましたけども。
日本人の恥の文化というのも足を引っ張っていると感じます。

自己受容できない限り、人間の本性は悪に向かいます。

プライドの高い人は結局他人の評価を拠り所にしていますので、当然のことながら他人軸です。
他人軸の人は抽象度が低いし、

偶像大好きです。


プライドにしているものが偶像ですしね。

だからこそ偶像化している相手を妄信してしまうから詐欺に遭うことに対する印象も好印象になります。

偶像化するということはその相手に操られることを許してしまうのです。


偶像に対しては絶対的な信頼があるから、どんなに頑固な人でもガードがゆるゆるになってコロッと騙されてしまいますね。
私の父は、医者を偶像化しているので、医者の言ったことにコロッと騙されすぐに処方された薬を飲んでしまいます。
他にも詐欺はいろんな手口がありますね。不安だったり調子が悪い時に強迫観念に駆られてその状態を速攻で解決できる方法に縋って偶像化してしまったり。偶像化した瞬間に騙されてしまいます。
こういうのも不安や調子の悪さをそのまま受け入れればスッキリ解決するはずなのに。その過程を無視するから罠にハマるのです。

プライドが高い人は偶像が大好きですが、偶像だと思ってない人に対しては厳しく攻撃的です。これも他者受容のできなさを証明していますね。
プライドが高い人に「あなたプライド高いですよ」と指摘すると、途端に逆ギレですよ。

抽象度が低いことを指摘すると更に逆ギレ。
もう目も当てられない。

ここで逆転の発想。
プライドの高い人が嫌がることや、耳の痛いことを言ってくれる人程、有益な情報を伝えてくれているし、抽象度が高いのです。
そのような相手はドリームキラーではなくドリームサポーターです。
邪気発生源がまだ切り捨てることのできない人たちは、間違いなくプライドが高くて承認欲求の塊なんですけど、このような人が妄信する相手は全てドリームキラーです。
しかもそんな人を妄信するご本人もドリームキラーだからまさに類は友を呼ぶって感じですよね。
そして承認欲求を満たす。
こんなことの繰り返しですね。

せっかく、本人の成長のために貴重なアドバイスをし、背中をポンと押してくれているのにそれを逆ギレしたり、自虐思考して悲劇のヒロインになって突っぱねる。
脊髄反射レベルでそんなことをする前にまずやることがあるではないですか。

そのモヤモヤする気持ちや感情を解放させましょうよ。
「私は悔しいと思っているな」「私はみじめだと思っているな」「私は不愉快だと思っているな」「私は怒っているな」「私は悲しいな」等々。

答えは至ってシンプルです。
方法は一つしかないのだから直ちに自己受容・感情解放すればいいのです。
やり方も過去記事できちんと説明しました。
読んでいますでしょうか?

不快な感情を認めたら負けだ。感じきるくらいなら死んだ方がマシだと思ってしまう人は、まずその不快な感情を認め受け入れましょう。

嫌だ!と抵抗するなら、その不快な気持ちを受け入れることからはじめましょう。

こじらせているのは全部自分自身です。
苦労する道を自ら選び苦しみ続けるのはやめましょう。

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