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情を入れた人の末路

情を入れるということは、相手がぶつけた承認欲求=同調圧力=悪魔術に服従することです。
情を入れると抽象度が下がります。どれくらい抽象度が下がるのか、少なくとも相手以下になってしまいます。
服従になってしまうので相手に主導権を奪われているからです。言い換えれば騙された、詐欺に遭った状態とも言えます。
振り込め詐欺も犯人の巧みな演技に情を入れてしまったからこそ引っかかるのです。冷静になる(強迫観念に駆られない)相手にどう思われようと構わないのであればこんな小細工には引っかかりません。
また悪魔術というのは色々あります。
動画の再生回数やブログのアクセスといった集客のために胸や谷間をアップしたりとお色気アピールする馬鹿な女性たちがやっていることも悪魔術なんです。そんな阿婆擦れたちに引っ掛かるような男性も女性に情を入れてしまっています。
こう書いて、相変わらず能力開発士Kyokoは女性に厳しいなと思った方は、

「女性には優しくしなければいけない」
「女性はか弱い生き物だから守ってあげないと」
こんな固定観念がブリーフシステムに刻まれているのかもしれません。

男尊女卑ですね。
あと騎士道精神の影響を受けた漫画とかゲームの洗脳もありますね。時代遅れなんですけどね。
また、女性に情を入れればモテるとか思っているのかも。
モテたいも承認欲求ですね。
実際問題、女性には優しくしなくても大丈夫です。
優しくすると調子こいて甘えて何もやらなくなってしまいます。
女性はすぐ楽をしようとするんです。
女の涙を武器に使ってくる人もいます。
「泣けば許されると思うな」と言いたい。
泣きたいなら感情解放ならともかく、他人まで巻き込む女性は最悪です。
悲劇のヒロインを助長することにもなります。
女性は弱い?いや、図太いし強いから大丈夫ですよ。
女性だらけの大奥みたいな職場で修羅場をくぐってきた身なので、女性のセコさ陰湿さはよくわかってます。
女性は誰もが出産の痛みに耐えられるようにできているんです。
潜在的に女性は強くて本人が自覚してないだけだから、女性に情を入れる必要はありません。
この文章を読んで不快に感じるのであれば、その感情を解放させましょう。

あと私は、女性だけに厳しいのでありません。
厳しいと言うか私を鬼軍曹だの鬼コーチだの思うこと自体がその人の悪神反応で拡大解釈、被害妄想です。
私がやっていることは指導であり最短で解決できる方法をハッキリ言っているだけです。オブラートに包んでほしい、もう少し優しい言葉をかけてほしいとかそういった意見(同調圧力でした)もありましたけど、優しくしたら楽な方に逃げてやらなくなってしまいました。
その結果をどう思いますか?人格に悪神の入ったドリームキラーの皆さんは「指導者の指導の仕方が間違っている」と言って責任転嫁してくるでしょうね。こういうのもインチキ自己肯定なんですよ。
悪いのはどう考えても、指導を受ける側の態度ですよ。
指導を受ける側が「楽したい楽したい」と性根が腐っているからですよ。
いいですか?だから指導者と同じ抽象度・土俵に立てないくせに文句ばかりいっちょ前に言うというのはおかしいです。
何が悪いかというのをこちらは全部答えを出しているのです。
そこから目を背けることは臭いものに蓋であり逃げですよ。

その文句を言う行為もドーパミンのためにやっている極めて自己中心的な考え方です。
ドーパミン中毒の行動パターンは熟知していて一番効くのは最短で解決できる方法をハッキリ言う。これしかないんです。

情を入れることは良いことだという洗脳がまかり通っているのはヤバイことです。某アニメで「私のために泣いてくれるのか…」と感激してしまうシーンを見たことがありますが、これも承認欲求ですね。

情なんか入れたら人生の主役を自分ではなく他人に預けた操り人形の人生になってしまいます。優しくしてあげればこの子は前に進めるはず。そんな考えでは甘いです。ヤバイ人は前に進むどころかどっぷり依存し、ストーカーしたり、リストカットをして気を引こうとかしてくるとんでもない人もいるんですよ。
全ての他人が善良な人ではないのです。むしろ自分の利益のことばかり考えている人たちです。そんな人に良いように利用されてボロボロになる人生を歩んでいいのでしょうか。

情を入れることのヤバさについて、野口嘉則さんの「これでいい」と心から思える生き方から引用します。 

P86~88のロバ引きの兄弟の話です。

年の離れた兄弟が、二人で一頭のロバを引いて歩いていると、通りがかりの人から次のように言われました。
「君たち、せっかくロバの背が空いているのに乗らないのかね?」
 そこで兄の方がロバに乗り、弟が引くことにしました。 しばらく行くと、通りがかりの人が兄の方にこう言いました。
「君は年下の者への思いやりがないのか。年長者として恥ずかしくないのか
ね?」
 兄はあわててロバから降り、弟を乗せてロバを引くことにしました。またしばらく行くと、通りがかりの人が弟の方にこう言いました。
「なんという礼儀知らずな奴だ。 年上の者にロバを引かせるとは」
 そこで兄弟は、二人してロバに乗ることにしました。 するとこんどは、通行人たちが兄弟を見ながら言いました。
「あれではロバがかわいそうだ」
 兄弟はあわててロバから降り、二人してロバをかついで歩き始めました。
しばらく歩くと、兄弟はヘトヘトに疲れ、橋を歩くときに足を滑らせ、ロバとともに川に転落してしまったのでした。

 この兄弟には、「自分たちはどうしたいのか」という主体性がなかったのですね。
 年下の者を思いやることを大事にするのか、年上の者に対する礼儀を守ることを大事にするのか、ロバを最大限に働かせることを大事にするのか、ロバをかわいがることを大事にするのか・・・・・・、そういったことを自分たちで考え、自分たちで主体的に選択していれば、周りの人たちの言葉に振り回されなかったはずです。

 周りの人たちはそれぞれの価値観を持っていて、それにもとづいた意見やアドバイスを言ってきますが、仮にこちらがそのとおりに行動したとしても、その結果の責任は取ってくれません。
自分の人生は、自分の責任で創っていくしかないのです。人生で問題に直面したとき、それをどう捉え、どう対処していくかは、自分で考え、自分で選んでいくしかないのです。

「これでいい」と心から思える生き方 野口嘉則

大事なところは太線にしました。
他人軸になっている人、特にこの太線の部分何度も読みましょう。

続いて新たな視点でこの話を解釈してみましょう。
通りがかりの人が4回登場しますね。この人たちは兄弟のドリームキラーと仮定した上で話を見てみましょう。

実はこの兄弟4回も情を入れているのです!
コーチングの視点では何やってんだこいつらは!です。
それに、ロバを引いている兄弟は本来の目的があったはず。ロバを連れて2人とも無事に帰宅することだったのかもしれません。しかし、川に転落と大怪我か命の危険に遭った、または死んでしまったかもしれないとなると目的すらも達成できていませんね。
つまり通行人が悪魔術をかけたんですよ。
確かにドリームキラーの通行人は悪いですけど、ドリームキラーなんてこの世界にごまんといるわけですよ。
私はこの世の99%の人間=ドリームキラーと戦っていますし、毎日情報空間に送られる呪詛に対して喝を入れ呪詛返しをしているくらいの状況です。
引用ではドリームキラーの意見に耳を貸して情を入れてしまった兄弟に責任があります。
他人のせいにするのは簡単ですが、この世界にごまんといるドリームキラーたちを一々相手にコイツらが変わることを願い続け(邪気発生源)ても変わらないし、待っている時間が無駄です。
自分たちが変わって対応力をつけてかわしていった方が遥かに楽ですよ。くれぐれも相手に従順になれとか、強いものに巻かれろじゃありませんので誤解なきよう。私の場合は、何かと理由をつけて距離を取ったり、悪質な変な奴の場合は厳しく対応することもあります。
もし兄弟の親族がドリームキラーを探し出し「アンタのせいでこんなことになったんだ!どうしてくれるんだ!」と文句を言っても、
「はぁ?だったら断ればいいじゃないか。」と返されて終わりですよ。
通行人の意見はあくまでたくさんの選択肢の中の一つにすぎなくて、それを実際に選んだのは兄弟であって通行人ではないですね?
通行人のなかには自分の意見を採用してくれとばかり押し付けてくる質の悪い人もいるでしょう。しかし、それでも何を選択するかは兄弟なのです。
兄弟は最初の一行目のまま二人で一頭のロバを引いて歩いていればよかったのです

「君たち、せっかくロバの背が空いているのに乗らないのかね?」
→ 「はい。」
で話終わりですから。

何故、兄弟は通行人に対し情を入れてしまったのでしょう。
それは、他人に対する承認欲求のせいです。
この人の意見を聞けばこの人は喜んでくれると思ったからですね。
相手の立場になってこの人はきっとこういう思いをしてきたからこそこのようなことを言うのだろう。と共感されれば相手は承認欲求を満たせて嬉しいわけです。またさらに自分の意見を他人が採用してくれたら、自分が正しいことの証明になり自分が認められたということだから承認欲求満たしているんです。相手が喜んでくれた=兄弟の承認欲求を満たしたになります。
で、承認欲求を満たすのはいいことだと思い込んでいるから。承認欲求を満たしてあげると喜んで自分たちもまた承認欲求を満たせて一石二鳥…

自分たちも通行人もどちらも承認欲求の塊でドーパミン中毒だからそうなってしまいます。この兄弟に承認欲求がなかったら、通行人の意見は全て断ったでしょう。

丁重にお断りしておけばいいだけです。
セールスみたいに口が上手くしつこい場合は「結構です」とか言ってしまうとプラスに捉えられてしまうので毅然とした態度で断わればいいのです。
私は電話で変なセールス電話が来たら問答無用で「要りませんので。」と言ってガチャ切りしています。しつこそうなら何も言わず切ります。
ただ、この兄弟の場合断ると相手を不快にさせてしまったり、相手からの印象が悪くなってしまうと思ったから、それが嫌で通行人の言うことを聞いてしまったのです。承認欲求ですね。

なかには、こんな酷い人もいるかもしれません。極端な例ですが。
「君は年下の者への思いやりがないのか。年長者として恥ずかしくないのかね?」
→「わざわざご指摘ありがとうございます。別に恥ずかしくありませんし、いつもこのようにしておりますのでお構いなく。」
→「なんだその態度は!俺の意見は正しいぞ。言うこと聞かない奴は金払えよ!」
「金払えよ」のところは「ぶっ〇すぞ」とかでもいいです。こんな脅しをしてきたら、逃げて警察に通報するなどして対処しましょう。恐喝罪です。
まぁ、こんな逆上して脅そうとする時点で対した人間ではないです。
できればスマホなどで証拠を撮っておきましょう。

というわけで、情なんか入れても何もいいことないですね。
抽象度の低いドリームキラーに情を入れてしまう人は、その人に責任があるのだから、情を入れるのは良いことだと思い込んでいる人はいつまでたっても成長できませんね。成長どころかむしろ後退していきますね。
たまに自分のしたことに責任を持ちたくないという人がいますが、だからといってそれを他人任せにしたところで、自分の人生に責任を持つのは自分でしかなく、結局自分に返ってくるんですね。他人のせいで間違おうがそれでも責任を負うのは自分です。だったら自分で考え行動した方がいいでしょ。

情を入れるように強引に働きかけているのは承認欲求です。承認欲求がある人は、自分も他人も皆ドリームキラーです。
承認欲求を切り捨てて自分の意見を尊重できるようになれば自分軸で生きやすくなり、どんどん成長していきます。

著者の野口さん自身も、本業のお仕事に専念するために講演やセミナーの講師の依頼を断る方針にしたところ、とても充実できたそうです。

ところで、この記事どこかで見覚えがないですか?

そうです。過去記事「他人軸になる人の末路」を加筆修正しただけです。

何故かというと、結局同じことだからです。
視点を変えただけです。
私の対応が厳しい、鬼コーチだと思う人はわかっていませんというかその時点で承認欲求だなとわかるのですが。私に優しくしろっていうのは結局私に情を入れて対応してほしいとお願いすることになってしまうんですね。で、それを言ってくる人というのは例えば批判される立場の人とかを可哀想とか思って情を入れてしまったのではないですかね?

同情することが偶像化されているのではないでしょうか。
あと、「情を入れないことは恐ろしい」とか「情を入れなかったらサイコパスになってしまう」とかそんな思い込みもありそうですね。
「優しい人は同情してくれる人」とか。

ゴール達成に向けての思い切った行動とか時にサイコパス的要素も必要なこともあるんですけど、なんか勘違いして人564を楽しんでヒャッハーしているヤバい人みたいに拡大解釈しているのかなとも思えます。何でしょうね。漫画やアニメの影響?
あと、周りの冷血人間だとか言われるのが嫌とかは承認欲求です。そんなことを言う人の方がおかしいし同情を偶像化している人たちなんです。抽象度の低い人の意見に一々反応しててもしょうがないです。

成功者は驚くほど情を入れたりしません。
成功者でもテンションが高い人もいると思っても、テレビとかの情報なら製作側からこういうキャラでやってと言われているから演じている場合が結構ありますよ。この人テンション高いなが実は本当はものすごく冷静沈着だったとかはよくある話です。本を読むとわかる。
私は、そこでやっぱりそうだろうなと納得しますけどね。

全ての人に受け入れられることなど不可能です。自分の承認欲求を満たしたいから他人の承認欲求を満たしてあげようとかそんなことをやっても無駄です。

また、今回は対人関係の例ですが、これが本やテレビドラマや映画、音楽が対象でも同じ仕組みです。情を入れるということは作り手に洗脳されることでありこれも承認欲求のせいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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