見出し画像

【エッセイ】子どもはなんでも見通す〜僕の幼少期から常にある人生最大の課題に気づきはじめた話

どこかで薄っすらと気づきながらも
子供の頃から
【芸能】こそ"自分が生きる理由"
として言葉どおり独りっきりで 
それを心の支えにして生きてきたけど
僕がいちばんこの人生に必要なのは
まず一般的に皆さんが当たり前の様に持っている
(揺るぎない血縁関係の絆)
みたいなものなのかもしれない。

僕の人生1番の課題は
【自分という存在への無性の愛を知らない事】
これなのだと今70%くらい気づき始めている。

僕の母親はきっとこの文章や
これまで書いてきた僕の文章を読んでいたら

【私はこんなに、これだけ、大事にした】

と、熱演の大芝居を打ってみせた事だろう

しかし僕の子供時代から別れまでの
母との細かなエピソードの中にあるのは

【この子への愛情は全くわかなかった】

という話ばかりなのだ。

もっとも明確なものをひとつ挙げるなら

『行動は一切伴わない口先だけの愛情表現』

それはまるで取ってつけた台詞の様にして
いわば表面的な表現が極まり
(全く実感が籠っていないところから
むしろ心象を操作したいだけの言葉)
というものばかりだった事だ。

昔と今とで価値観が反転した
我ながら稀有な人間としてわかることのひとつに
『人を見るなら言葉でなく行動』
というものが根本にあって。
母はよく子供の頃から私に表面的な
かわいい我が子、愛情がある、といった言葉を
並べながらも
私が小学生の頃でまだ携帯電話もない時代から
子役として活動する中で
私のことを事実心配することはなく
夜まで時間がかかる仕事の時にも
一度も付き添ったことも、迎えに来たこともなく。
かと思えば
ちゃっかりとギャラはすべて懐に入れながら
金額についてはデタラメなことしか言わずに
お前はどうせ口先だけ、
痩せてて黙ってればいい男、
うわぁ太ってるの醜い、
という風にして
どれだけ酷い言葉で
心身への否定を繰り返されたか知れず。

今振り返ってもとても
「腹を痛めて産んだ我が子」へ向ける言葉
ではないものばかりが本音として垣間見え

「わからないものは突き放す」
「お前のそのままに価値なんてない」

という事しかされて来なかったなと改めて思う。

だから私は思う。
私のように親の愛情を根源的に知らない人は
その事実をそのまま受け入れられず
現代では「アダルトチルドレン」などと
ふざけた呼称をつけられ
どこまでも馬鹿にされる現世地獄に
痛み傷つけられる事ばかりだと思いながら
どこかに希望を探し求めて
ひたすら無自覚に周囲や誰かに依存執着したり
はなから希望を諦めて絶望の道に進む
ということ以外の選択肢の見つけ方を
全然誰も教えてくれはしないし
全然誰もそんな自分を
根源的に愛そうとはしてくれない、という
そんな生まれながらの負の連鎖に苦しむが
もしもそれ以外の
この【現世地獄】から抜け出すことを
真剣に自分の頭で考えられるのであれば
ここ数年書き続けているとおり
【テレビやネットのネガティブな話は全遮断】
【人との会話でなく、自分との会話の時間を増やす】
という所から、
とにかく日々の生活のなかで
自分自身のやりたい事をすべて最優先し
この人生をやり直す、生き直すこと。

コロナ禍にせっかく人間関係が
世界的にリセットされたのだから
わざわざ土着的な古臭い価値観に戻る必要はなく
どこまでも自分の本音を否定も肯定もせず
ただそのままの事象として眺めるところから
好きなものを食べ、好きなことをして、
外に使ってきた時間やお金をすべて自分に使う。

そうすると、自分にとって
本当に欲しいものと
本当は不要ないらないもの
との区別が段々と時間をかけてわかりはじめる。

ちなみに僕はこの生き地獄から抜け出して
ただ幸せになりたいというおもいを
ここ10年は明確におもいながら
考えて絶望して迷ってまた立ち上がって
というサイクルを繰り返し続けて
コロナ禍からのこの4年が経つ今の今になり
やっと本当の本当に自分の人生に必要なこと
が何かという事に気がついた。
これは生まれつき
尋常じゃないと言われるほど考える
という自分の生態に救われた。
性格ではなく、生態というのが正しい言い方。
(まさにこういう所w)

そしてこうして
自分ファーストに自己愛を持つその先できっと
本質的に自分が必要としている
ある種の今の人生での"最重要課題"
つまり="いっちばん求めていること".
この事に
依存や執着はゼロで気づけるようになる
そんな気がする。

おわりに


僕はただの映画を中心に活動をする俳優をしたり、
毎日のようにこうして文筆で
随筆、エッセイ、詩を書いたり、
今は映画脚本の執筆を学校に通って学んだりしている
ただのその辺にいる奴で
当然、教祖でもなんでもないし
むしろ新興宗教はただの金銭目的の装置
としか認識しておらず
本質的な宗教については
SF作品が大好きを超えて愛している延長で
宗教のルーツと都市伝説(のテイ)の話は
様々調べて詳しかったり
実家の影響でより詳細な話も学として
持っていたりもするが
僕は思うに結局のところは
ひとりひとりの人間の自主性からの自覚
ここからしか何も変わらないのを知っているし
とにかくまずは
まるで誰かの赤ちゃんを抱っこする時のように
どこまでも丁寧に、
自分のカラダと心を大事に大切に扱うこと

ここからしか個人個人の人生は変わらない。
何に縋っても、何に頼っても、
結局最後は自分に自信が備わる所まで
自分を最も信頼できるようになるまで
自己肯定感という言葉が忘れられるようになるまで
自分の食べたいものを食べて、
本当はやりたくないことをやめて、
という日々の積み重ねしかない。
それから一応あくまでも参考になれば
というところで、
あなたが自分で探す必要はあるけど
どうやって日常生活で自分と向き合えばいいか
の話で僕(二階堂新太郎)の場合どうしたか
については
過去のnoteを見ていただければわかる。
この記事をご覧くださいとかしないので悪しからず。

あとは何よりもちゃんと
ゴミ山みたいな情報は無視して
そのゴミ山の上をザクザクと歩いたり登ったり
しながら、正確で重要な情報を拾う目を養う。
そうして自身を穢さずに生きていく。

これしかないと思う。

ご自愛ください、はいつだって
ガチで僕は言っています。

自分を通して、写し鏡の世界の皆さんへ

おしまい

二階堂新太郎
2024.12.18

いいなと思ったら応援しよう!